連休の話

2017/05/02



時はまさにゴールデンウィーク。
浮かれなければ、早く浮かれなければと焦っているうちに時間だけが過ぎていきます。
毎年恒例の浮かれ難民です。

■最近の買い物
今日は何ヶ月かぶりに有給休暇を取れたので、一日中猫と戯れていようかとも思ったのですが、秋葉原に行くことにしました。
職場の人からもらった万世ラーメンのクーポン券が何枚かあり、それを早く使わなければならぬという余計な使命感に駆られてのことです。
無事に秋葉原に到着し、肉の万世ビルに行ってクーポン5枚を叩きつけ、パーコー2枚乗せという肉貴族的ラーメンを食しました。肉の倍プッシュです。

存分に肉欲を満たし、さあて次は物欲を満たしてやろうかとアキバヨドバシに向かいました。
前々からiPhoneで使うBluetoothのイヤホンがほしいなと考えており、目当ての製品がどこにあるか店員さんに聞こうとしたのですが、声をかけるなり「今対応中なんで」と、まるでナンパされたプライドの高い女もかくやというほどに恐ろしくつっけんどんに拒絶され、生まれて初めてお店の人間に怒りをおぼえました。ちょっとした怒号層圏でした。
俺は滅多なことでは怒らない人間だと自負しており、職場の人々からも「井上さんマジ仏」「南無阿弥陀仏だ井上さん」「仏☆契(ぶっちぎり)」などと言われており、そろそろ野兎が自ら炎に飛び込んだり、俺を堕落させるために淫魔が夜な夜なエロい夢を見せたりするのではないかと気が気でなかったのですが……そんな自分をここまで瞬時に怒らせるとは、とんでもない煽りのスキルです。ジョナサン・グレーンのような煽りのプロだったのかもしれません。

そんな次第で完全に買い物する気が失せたのですが、よくよく考えたら買わなくて正解だったような気もします。今使ってる有線イヤホンは十分使えるし。あとBluetoothは遅延するので、デレステとかのゲームをやるには不都合がありますし。
試しに売り場でもっとも高くて新しいボーズのBluetoothイヤホンを手持ちのiPhone6Sで使ってみましたが、やはりコンマ何秒か遅延してました。最新のiPhoneなら遅延しないのかもしれませんが……。
もしかしたらあの店員……俺に早まった買い物をさせないために、わざと……?


■最近の読書
夢枕獏先生の「空手道ビジネスマンクラス練馬支部」を買いました。
あらすじが「街でチンピラに土下座させられた42歳のサラリーマンが空手を習う」というのと、帯に「一番になるのを諦めたのは、いつだっただろうか?」などと書かれている時点でもう読まないわけにはいかぬと判断。
少しずつ読もうと思っていたら、ほぼ一日で読んでしまいました。
けっこう分厚い本ですが、夢枕獏先生の作品にはところどころ改行がやたら多いページが挟まれるので、ほとんど苦もなく読めます。
というか、この改行の多いシーンは俺が個人的に「獏空間(ばくうかん)」と称しているもので、夢枕獏作品における物語のクライマックスとか、そういう重要なポイントで出現します。そして俺はそこでたいがい涙を流します。この獏空間を味わうために夢枕獏小説を読んでいると言っても過言ではありません。
夢枕作品を全部読んでるわけではありませんが、「空手道~」はその中で一、二を争うほど好きになりました。「神々の山嶺」と合わせて中年男性のバイブルですよこれは。
今年はもっと夢枕獏を読んでいこう。
具体的には「餓狼伝」と「キマイラ」シリーズはできるだけ読もうと思います。
エンドロールで女装した安倍晴明が踊り狂う実写映画の「陰陽師」はもう観ないです。

俺のフレンズが異世界でとってもアニマルすぎる

2017/04/16

※この物語はフィクションです。
 実在する人物や動物とはあまり関係ありません。

※流行に乗るため「フレンズ」などという語句をタイトルに入れましたが、
 けものフレンズの二次創作ではありません。すいません。


 どこが上か下かもわからない、あやふやな空間に俺は漂っていた。
 たぶんこれは夢なのだ。
 昨晩、俺はいつものように仕事で疲れ果て、家に帰るなりレコーダーに溜まる一方のアニメを二話ほど消化したあと、泥のように眠りについた。
 そこまで思い出すと、急速に世界が白く色づきはじめた。夢から醒める前兆かもしれない。
 ふと、白い視界の中に一人の男が浮かんでいることに気がついた。知っている顔だった。
「お前は……」
 俺は思わずつぶやいた。
「俺の十数年来の友人であり、最近はボリビアに旅立つと言って消息が途絶えていたヒライじゃないか」
 誰かに説明するかのような不自然な台詞が口をついて出た。
 ヒライも俺を認めると、手を振って応えた。涼しげなアロハシャツの袖が揺れた。
「イノッチじゃん。ぼくの十数年来の友人であり、そろそろ過労かメタボでぽっくり死ぬんじゃねえかと密かに危惧されているイノッチじゃん」
「ビキニ・ウォリアーズを全話観るまでは死なないさ。それよりどうだった、ボリビアは」
「いや、実はボリビアまで行くのが急に億劫になって、西日暮里で引き返してきた。ぼくの旅の終わりはもうここでいいかなって。セカイの中心、西日暮里で」
 遠隔地にいたかと思いきや、わりと近所にいたらしい。あいかわらずヒライは俺をがっかりさせるのが上手い。
「ところで、なんなんだいここは。よく見たらぼくたちしれっと宙に浮いてるし……。夢なのかな。それにしてはイノッチの不健康さが妙に生々しいけれども」
 あまり不健康不健康言わないでほしい。むしろ嘘でもいいから健康とかヘルシーとか不老長寿とか言ってほしい。植物だって毎日言葉をかけてやれば成長が促進されるらしいし、だったら俺にだってなんらかの効果があるかもしれない。
 そんなことを考えていると、聞きなれない女の声が響きわたった。鋭い笛の音のように甲高かった。
「これは夢なんかじゃないわ」
 俺たちおっさん二人から少し離れた場所に、やはりその人物は浮いていた。「浮いていた」と言っても職場の飲み会とかで誰とも会話できなくて、他のグループの狭間の空間でひたすらカシスオレンジをちびちびやるという感じの「浮いていた」ではなく、ふわふわと宙に浮かんでいるという意味だ。
 それは少女だった。
 ややきつめの表情とは対照的に、なにやらふわっとした素材の服を身にまとっている。ふわっとしたスカート、ふわっとした襟元、そして背中からはふわっとした四対の羽根が伸びていた。
よくよく見てみると遠近感がおかしい。てっきりこのおかしな空間のせいで距離感が狂っているのかと思ったがそうではなく、どう見ても彼女のサイズは通常よりも小さい。だいたいfigmaぐらいの大きさだった。
「えっ……これってチャム=ファウ的なもの?」
 ヒライが妖精のような少女を指さして言った。
「なんだと……じゃあ、すなわちここはバイストン・ウェルってわけか」
バイストン・ウェルを知る者は幸せである……大塚芳忠のナレーションが脳裏をよぎった。なんてこった。知らぬ間に俺たちは幸せになっていたのか。
「残念ながらここはバイストン・ウェルではないし、私はミ・フェラリオでもないわ」
 妖精少女がそんなことを言った。一見少女の姿をしているが、さらっとダンバイン用語を使っているあたり、もしかすると俺たちと同世代なのかもしれない。
「そしてもちろん、夢でもない。これはまぎれもなく現実よ。ただし、あなたたちの現実とは異なる世界の」
 彼女が横薙ぎにさっと腕を振ると、眼下に円形の島のようなものがいくつも浮かび上がってきた。島同士は橋のような細い道で連結されている。俺たちの真下にあるひときわ大きな島には、巨大な文字が描かれていた。ひらがなで四文字。
 ふりだし
と書いてある。
「ここはル・マニア・ワールド。これからあなたたちには私の作った遊戯場で遊んでもらいます」
妖精もどきの少女はにっこり笑って付け加えた。
「死ぬまで……いえ、死んでからもずっと、ね」


「するとなにか」
 少女の言葉にさほど驚いたふうもなく、ヒライは言った。
「ようするにここは異世界ってわけかい。そして元の世界に帰るには、あの巨大なすごろくをクリアしろと。そういうことかな」
「そ……そうよ。やけに話が早いわね」
 不審げな妖精に向かって俺は言ってやった。
「いやいや、だってこれ超ありがちな話だから……いい歳して俺たちがどれだけ異世界もののラノベやゲームを乗り越えてると思ってるんだよ。ル・マニア・ワールドってのも微妙にスダ・ドアカ・ワールドを彷彿とさせるし、もう少し世界観を捻ってくれよ頼むから」
 むぐ、と悔しげに顔を歪ませるミニ少女。
 いい歳こいたおっさん目線でさらに言ってやろうとしたところに、横から制止の声が入った。
「いやいやイノッチ、落ち着きなよ。だって仕方ないじゃない。誰だって最初は強引にオリジナリティを出そうとして無意識に好きなもんから雑にパクってきちゃうものさ。そう、誰だって最初からはびっクリエイターにはなれないさ。煮えたぎる才能にコツを加えないとな。そういうもんだろ、びっクリエイターって」
 さりげなく「びっクリエイター」という言葉を二度も織り交ぜつつ、いつになくヒライが優しい言葉を吐くので、俺は問うた。
「いったいどうした、平素なら似てないチャオズの物真似を見ただけで即座にキレるお前が……まさか、この妖精ちゃんに恋でもしちまったのかい」
 ちなみに俺は恋してない。だって巨乳じゃないし……。
「ばっかちげえよ、ちげえよばっか、イノッチ・ちげえよ・ばっか・ちげえよ」
なぜかリズミカルに俺の言葉を否定するヒライ。そこはかとなく不快感をおぼえたので、一発殴っておくことにする。だが……。
「あれっ、なんだこれ。すり抜けちまうぞ?」
 俺の鉄拳はヒライの身体に触れることができない。これではワンパン入れるどころではない。ゼロパン……いや、むしろカニパンという線もあり得る。
 混乱する俺たちを楽しそうに眺め、勝ち誇ったように妖精は言う。
「無駄よ。そっちのデブはここに召喚したときにアストラル体にしちゃったから」
 デブというのはまあ論理的に考えると俺のことであろう。女の子にデブと言われるのは何歳になってもそれなりに傷つくことを付記しておきたい。だが俺は傷心をおくびにも出さず、彼女に詰め寄った。
「おいチャム、なにしちゃってくれてるんだよ!」
 なんだよアストラル体て。ゲームや漫画でときおり見かける用語だが、幽霊みたいなもんだろうか。
「チャムちゃうわ! 私のことはそう……ゲームマスターと呼びなさい」
 羽根を震わせてそんなことを言う。
「じゃあマス子、なぜこんなことをするんだ。どうせ教えてはくれないだろうがいちおう訊いておく」
「ふん、もちろん教えてやらないけど……ヒライ」
妖精チャムあらためマス子が、そこで苛烈な視線をヒライに向けた。明らかな敵意が込められている。
「このゲームはあんたに遊ばせるために作ったの。あんたに思い知らせてやるためにね」
「え、ぼくに?」
 なにやらマス子とヒライには因縁があるらしい。もっとも、ヒライには身におぼえがないようで、困惑しているようだが……。
「あの、マス子、じゃあ俺はいったいどうしてここに……」
「あんたは、まあ……ついでというか、単なるとばっちりね。古い友人も巻き添えにすればヒライが苦しむかなって。あとマス子言うな」
 ちくしょう……なんだそれ。この先ずっとこの体だったらどうするんだ。コントローラも握れないからゲームで遊んだりもできないってことか。超困る。
「残念だったね。あいにくぼくはまったく苦しんでいないよ。むしろちょっと楽しくてテンションが上がっちゃってるぐらいだよ」
 場にそぐわぬほどに不敵な笑いを浮かべながら勝ち誇るヒライ。お前はもう少し苦しんでほしい。なんなら死んでくれてもいい。
「ふふん。いつまでそんな悠長なことを言っていられるかしら……さあ、ダイスを転がしなさい。あなたたちにとっての運命のダイスをね」
 マス子がちょっと格好いいことを言うのと同時に、俺たちは「ふりだし」の島の上に降り立っていた。眼前には一辺が一メートルもあろうかという巨大なダイス……すなわちサイコロが一つ、置かれている。
「バラエティ番組でこういうのあったよね。トークのお題を決めるやつ」
「あー、あったあった。なにが出るかな、なにが出るかな……ってやつだな」
「早く振りなさいよ!」


 そうしておもむろに遊戯は始められた。とんだすごろクエストであった。
 俺はアストラル体とやらにされたせいで物体に触れられないため、ヒライがダイスを抱え、よっこらせと放り投げた。おっさんなのでこういう場合にはほぼ確実に「よっこらせ」だの「よっこいしょ」が出るのである。
 出目は三。
 それに従い、ぞろぞろと歩いて島を三マス分移動する。スケールが無駄にでかいのでけっこう時間がかかる。
「私が自分で仕組んでおいてなんだけど、あんたたち従順すぎない? 普通こんな理不尽なことが起きたら、もっといろいろ根掘り葉掘り訊いたり、元の世界に帰せ!って掴みかかったりしてくると思うんだけど」
 ふわふわと俺たちの周囲を飛び交いながらマス子がそんなことを尋ねてきた。その軌道が心なしか彼女の不安を表しているように思える。
「愚問だね」
 ヒライが即断する。
「こういう場合に下手に楯突いたり騒いだりすると、たいていそいつは見せしめに殺されると相場が決まっているんだよ」
 俺もうなずきながら、
「俺たちのようなしょうもない三十路は、いざというときのための行動を日々わりと真剣に考えているもんさ。『ゾンビが街を占拠したらどうすべきか』とか『職場にテロリストが乱入してきたらどうすべきか』とかな。もちろん『いきなり異世界に召喚されたらどうすべきか』というケースも考えていたということだ」
 それを聞いたマス子は、なぜかげんなりした様子だった。
「本当にしょうもない三十路ね……なんで三十年以上も生きてるのかしら……」
 そうこうしているうちに三マス先のマスにたどり着いた。地面には大きな文字で、指示とおぼしき言葉が書かれていた。

 メスチソに会え

「会えるか!」
 つい俺は叫んだ。俺とヒライと妖精のマス子しか存在しないっぽい異世界で「白人とインディオの混血の人に会え」とか、そんな理不尽な指示ありえねえだろ。
 だが、いちおう一縷の望みをかけて訊いてみた。
「ヒライよ。お前、実は白人とインディオの混血だったりしないか?」
 案の定、彼は首を横に振った。
「いや、残念ながらぼくは生粋のモンゴロイドだね。モンゴロイダーと称しても過言ではないね」
「なるほど。俺もそうだ」
 モンゴロイダーという言葉の意味はわからなかったが、意味を聞くのは敗北のような気がするのでスルーする。つづけて俺は斜め上あたりに滞空していたマス子にも視線を向ける。
「言っとくけど私も違うわよ」
「そうすか」
 しばし沈黙がその場を支配した。
 この世界は寒くもなく暑くもない。いつの間にか空は青く澄み渡っており、俺たちのよく知る太陽にそっくりな輝きが天を満たしていた。
「で、メスチソに会えなかったらどうなるのかな」
 ヒライが当然の疑問を口にする。
「えーと、罰ゲームとして腕立て伏せ五十回ね」
 えー。罰ゲームて……。
 俺が全身でゲッソリする感覚を表現しているわずかの間に、すでにヒライは地に両手を付けてプッシュアップをはじめていた。この男は順応性が高すぎる。
 近くに漂っていたマス子が俺の肩を小突く。
「イノッチだっけ? ほら、あんたもやるのよ」
「……わかりましたよ」
 俺も這いつくばって腕立て伏せをはじめる。この過酷な運動を行うとき、いやでもデブは己の重さを自覚する。そのあまりの重さに恐れおののく。押しつぶされそうになる。
 ヒライの三倍以上の時間をかけて、俺はようやく腕立て伏せを終えた。
「あんた、どれだけ不健康なのよ……」
 マス子の呆れ声が頭上から降ってきた。
 ぜえぜえと息を切らせ、疲れきった両腕を棒のように垂らした俺に反論の言葉を口にする余力はない。
「そうだぞイノッチ。もっと運動しなよ運動を」
 ほがらかにヒライが言う。五十回程度の腕立て伏せなどまったくこたえていないらしい。
「納得いかねえ……」
 これ、完全に俺一人への罰ゲームじゃねえか。
「じゃあ次行くよ。そらよっと」
 ヒライがダイスを振る。今度の出目は六だ。
 マスの島を渡り歩く道すがら、俺は羽虫のように空を漂うマス子に声をかけた。
「マス子さんや。きちんと聞いてなかったけど、このすごろくをクリアしたら本当に俺たちは元の世界に戻れるんだよな。そして俺もアストラル体とかいう珍妙な状態から元の身体に戻れるんだよな」
「ええ、そうよ。このゲームをクリアできれば、あんたたちは元の世界に帰ることができる。あんたも元の不健康な肉体に戻れる。この私が保証するわ」
こんなよくわからない謎生物の保証がどれだけ信頼に値するのだろう……。正直はなはだ不安ではあったが、とりあえず納得するしかなかった。
「無事にクリアできればね……ふふふ」
 わー、不吉な予感しかしねえ。
 やがて俺たちは指定のマスに着いた。地面にはこう書かれていた。

 アボリジニに会え

 アボリジニとはオーストラリアの先住民のことだ。最近ではアボリジナルとも言うらしい。
 俺は表情を消して淡々とマス子に問いを発した。
「で、実行できない場合の罰ゲームは?」
「腹筋五十回」
 俺とヒライは無言で腰を下ろし、それからしばらく腹筋運動に没頭した。


 それから何回かダイスを振り、止まったマスの指示に従う。たいていは理不尽で実行不能な指示が書かれており、俺たちは罰ゲームを遂行する羽目になった。
「このすごろく、マジでクソゲーなんだけど……このままだと俺、結果にコミットしちまうぞ……」
 繰り返される反復運動で疲弊しきった俺の口からぼやきがこぼれた。筋肉という筋肉に多量の乳酸が溜まっているのがわかる。気を抜くと痙攣しそうになる両足を引きずるようにして、俺はマスを渡り歩いた。
「ついに到着したわね。ここが最後のマスよ」
「えっ、もう終わりなのかい」
 軽快に歩いていたヒライがちょっと名残惜しそうに言う。俺とは違い、まったく疲れていないご様子だ。
「あんたたちにはここでもう一度ダイスを振ってもらうわ。そして選ばれた動物と戦ってもらう。それに勝利できればクリアよ」
 マス子がそんな説明をする。
 動物ってあれか。異世界だけに、まさかドラゴンとか出てきちまうのか。
「そして戦うのはヒライ、あんたよ。デブの方は近くで見守るだけ。助言ぐらいはしてもいいけど」
「あいよ」
 軽いノリでサクッとダイス(各面に動物のシンボルらしきものが彫られている)を振るヒライ。驚きの順応性であった。
 転がったダイスの面には犬とおぼしきシンボル。
 犬。犬か……もしかしてヘルハウンド的な凶悪な犬なのかもしれない。
「これから一分経過ののち、専用のバトルフィールドに転移するわ。そこで対戦動物と勝負。デスマッチよ」
「なるほど。二人が入り、出るのは二人……というわけかい」
 訳知り顔でヒライがサンダードームの掟っぽいことを言った。
「いやいや出るのは一人だろ。それだと単なる仲良しの二人組じゃねえか」
 あと「一人と一匹」という表現の方が正しいと思う。
「あ、あと動物に殺されても生き返ってリトライできるから安心して死んでいいわよ」
「お、そうなんだ。安心安心」
 マス子の言葉を聞いてあっさり安心するヒライ。いやいや、そう簡単に安心するなよ。いくら異世界での出来事とはいえ、普通は心配だろ。どれだけゲーム脳なんだよ。
「さあ、転移するわよ。ヒライ、大自然の怒りを思い知るといいわ」
 マス子がまるでサムスピのナコルルのようなことを言った瞬間、景色が切り替わった。一面、見渡すかぎりの草原だ。
 かたわらのヒライの前方、数メートル付近のあたりに一匹の犬がいた。
 黒っぽい毛並みの、それなりに獰猛そうな犬である。ヘルハウンド的なやつではなく、軍用犬のように超強そうなタイプでもなく、言ってしまえばごく普通の犬であった。
 俺はヒライに声をかけた。
「おい、そんなに強そうな犬でもないが、お前大丈夫か。犬ってまともに戦ったらかなり強いって聞くぞ」
「大丈夫だ。問題ない」
 問題しか感じられぬ不穏な回答である。恐る恐る、俺は勝算の有無を訊いてみた。ヒライはアロハシャツを脱ぎ、自らの腕にぐるぐると巻きつけながら言った。
「ああ。まず犬に腕をわざと噛ませる。そして川に引きずり込み、溺死させればいいのさ」
「おい! それまんまマスターキートン(漫画)の知識じゃねえか! それに川なんてどこにあるんだよ」
「あ」
 ヒライが間抜けな声を出すと同時に、対峙していた犬が飛びかかってきた。とっさにシャツを巻いた腕を差し出すヒライ。次の瞬間、「あいたた……い、痛い、痛い!」
 犬に腕を噛まれたヒライが悲鳴をあげる。まあ、そりゃ薄いアロハシャツ一枚だしな……。
 空いている方の腕を使い、ヒライが犬の頭を殴りつけると「ギャンッ」と悲鳴を発しつつようやく腕から牙を引き抜いた。
「いてえ……いてえよお」
 呻きながら腕をおさえるヒライ。シャツはぼろぼろに裂け、鮮血にまみれている。かなり壮絶な光景であった。
「おいヒライ、来るぞ! ガードを上げろガードを」
 丹下段平のような叱咤を飛ばす間に、怖ろしいまでの敏捷性でヒライの懐に飛び込んでくる犬。慌てて身をよじるヒライの首元に犬の口腔が迫る。
「うわ……」
 防ぐ間もなく喉を噛み裂かれ、地面に引き倒されるヒライ。力を失ったヒライの頸部から、断続的に真っ赤な噴水のように血飛沫が周囲に撒き散らされた。それは凄惨な幕切れの合図であった。
 そうして俺の十数年来の友人、ヒライは命を落とした。


「あー、マジで死ぬかと思ったわー」
「いや、マジで死んでたからな……」
 俺たちは「ふりだし」のマスに戻されていた。
 ヒライが犬に殺されたとたん、格闘ゲームよろしく中空に「ヒライLOSE」という文字が出現し、まわりの景色が暗転した。そして気がついたら最初の場所に戻されていたというわけだ。
死んだはずのヒライはピンピンしていた。腕や喉の負傷は跡形もなくなり、ずたずたになっていたはずのアロハシャツも元通りになっていた。
「まったく、ざまーないわね」
 楽しそうに俺たちを見下ろすマス子。声が弾んでいた。
「さっきの犬はル・マニア・ワールドでも最弱の小物……あんな犬ころごときにやられるようじゃ、このゲームをクリアするなんて夢のまた夢ね」
 薄っぺらい胸を反らしながら、なおも言い募る。ヒライがひどい目にあったのがよっぽど嬉しかったらしい。
「いやいや、でもぼくは全然負けた気がしてないからね」
 あれほどまで見事に惨殺された者の言葉とは思えない。こいつの場合、負け惜しみではなく、ほとんど本気で言っているのがすごい。
「腕に巻きつけたのがシャツだけじゃなく、ズポンやパンツも全部巻いてれば違った結果になったと思うんだよね」
「いや……そんなに違った結果にはならなかったと思うが……」
 いつまでも敗北を引きずらない姿勢は立派だが、こいつ脳内の敗北感知器官みたいなもんが壊れてるんじゃなかろうかと少し心配になる。
「で、また最初からやり直しってわけか……」
 俺はうんざりしつつ、いちおうマス子に確認してみる。
「あのー、動物バトルまでのスキップ機能みたいなのはないんすか」
「ないわね」
「そうすか……」
 ため息をつく俺を尻目に、ヒライがダイスを振る。
 そうして再び俺たちのすごろクエスト(二周目)がはじまった。


 たしか漫画「ToLoveる」にも似たような話があった。
 ひょんなことから強制的に等身大リアルすごろく的なものをやらされ、それはもうウハウハなエロハプニングが次から次へと起こるのだ。
 いいよな……せっかく異世界に行くなら、俺もああいうラッキースケベが横行するエロコメディの世界に迷い込んでみたかった……。
 進んだ先のマスで腕立て伏せ五十回やら背筋七十回やらスクワット百回やらをこなす最中、そんなことを考えて必死に現実逃避にいそしむ俺。
 全身の筋肉をくまなく酷使できたころ、ようやく「あがり」のマスへと再びたどり着いた。
「ヒライ、マジで頼むぞ……いや本当にマジで勝て。死んでも勝ってくれ」
「わかっているよ。ぼくも霊長類のはしくれ……こんなわくわく動物ランドに屈しはしないさ」
 あいかわらず言葉尻だけは威勢はいいが、こいつの戦闘能力は普通に三十路のおっさん程度でしかない。わずかなアドバンテージと言えば、そこそこの体力と、「空手バカ一代」や「バキ」とかのバトル漫画を人よりも多く読んでいるぐらい。かなり絶望的だ。
「さて次の動物は……っと。なんだこれ、鹿かな?」
 ヒライが転がしたアニマルダイスの目は、たしかに鹿だった。頭部に立派な角を生やした雄鹿のシンボルだ。
 鹿か……肉食獣ではないだけ、まだ勝ち目があるか……?
「ヒライよ、なにか策はあるか」
「ある」
 友は力強く断言した。
「鹿のあの角……あれをうまく掴んで押さえ込めば、たぶん勝てると見たよ」
「かなりの猿知恵臭がするんだが……まあがんばってくれ」
「今思ったんだけど、イノッチも戦いに参加できないのかい? 相手に触れられなくても、囮になって注意をひくとか」
 あ、なるほど。思わず俺が手を打つそばで、ゲームマスターことマス田マス子(仮名)さんが冷酷に言い放った。
「無理よ。アストラル体は動物からは一切感知できないから。言ったでしょ、あんたはただ見守るだけの存在。空気よりも希薄な存在だから」
「あ、そうなの……」
 うなだれる俺。ヒライも軽く舌打ちする。
「なんだよイノッチ、意味ないなあ。方向音痴のマッパーぐらい無価値な存在だよね」
「オイそれはちょっと言いすぎだろ!」
 そんなせこい諍いを起こしていると、不意に世界が切り替わった。バトルフィールドへと転移したのだろう。
 今度の舞台は木々が生い茂る森林だった。ヒライの前方に、ひときわ立派な大樹に寄り添うようにして一匹の雄鹿がいた。
 鈍く光る黄金の毛並み。あまりよく知らないが、たしかオジロジカとかいう種類の鹿だろう。ごつい枝のような角の下にある黒い瞳が、悠然とヒライを見下ろしている。やばい。森の王者的な風格が感じられる……!
 対峙するヒライを見ると、特に気圧された様子もなく、冷静に相手を見定めているようだ。
 やがてヒライは両手を前に構えながら、じりじりと鹿の方へと歩み寄っていった。
 これは、今度こそはいけるか……?
 近づいてきたヒライに応じるように、雄鹿の方も頭を下げて戦闘態勢に入る。
「鹿ってこんな好戦的だったっけ……」
 俺がつぶやくと、マス子がふんと小さく鼻を鳴らした。
「そんなわけないでしょ。動物は……自然は怒っているのよ、あの男に」
 あいかわらず彼女の言葉の端々には、ヒライへの憎しみが滲んでいた。
「なあマス子。ヒライがいったいなにをしたっていうんだ?」
「それは……」
「それは?」
「……教えられないわ」
 彼女はぷいっと顔をそむけてしまった。
 だんまりを決め込む彼女を尻目に、ヒライと鹿に動きがあった。
 ヒライは素早く前方に踏み込むと、両の手を鹿の頭上、二本の角へと伸ばす。作戦どおりに角を押さえ込む算段らしい。果たしてそれは、成功した。
「よしっ……!」
 ヒライの手が、鹿の角をしっかりと掴む。これで鹿は動きを封じられるはず……。
「おお、やったかヒライ!」
 だが、古今東西「やったか?」と問うて本当にやっていた試しはない。
 俺が固唾を呑んで見守っていると、鹿はさらに頭を下げた。態勢を崩され、前のめりになるヒライ。
 次の刹那、俺は信じがたいものを見た。
 雄鹿が凄まじい勢いで角を振り上げたのだ。奈良県には煎餅をもらうとぺこりとお辞儀をする鹿がいるが、あの動きを逆回しにして千倍ほどに早めたような動きだった。
 離れていても「ごうっ」という風を巻く音が聞こえるほどの、それは猛烈なパワーとスピードを伴っていた。その動きの作用点である角を掴んでいたヒライは、なんと空高く投げ飛ばされていた。鹿の頭上、三メートルか四メートルほどまで軽々と浮かび、そして重力によって落ちてきた。
「わ、うわあああ―――ぎゃぶっ」
 落下するヒライの悲鳴は、蛙がつぶれるような音で途切れた。鋭く突き出された鹿の角が、ヒライの腹部に突き刺さっていた。おそらくは内臓を突き破っているだろう。鹿の角が、垂れてきた血で真っ赤に染まる。仕留めた獲物を高々と掲げ、心なしかそいつは勝利の笑みを浮かべているように見えた。


「いやー、とんだ殺人鹿だったね。死ぬかと思ったよ」
「実際死んでたけどな。しかしあんな格ゲーの必殺技みたいな死に方、たぶん世界初だろ」
 またも「ふりだし」に戻された俺たち。
 もう投げやりな気分になり、俺は地べたにだらしなく寝っ転がりながらわめいた。
「あー、もう、ていうかこれ、まったく現世に帰れる気がしねえんだけどー。ヒライが勝てる動物なんてこの世にいるのかよ?」
「おいおい失敬だなきみは」
 口をとがらせるヒライ。三十路のおっさんのくせに少しコケティッシュである。
「ぼくにだって勝てる動物ぐらい、いる」
「なんだよ言ってみろよ」
「うーん……虎とか」
「はあ? 虎って、あの虎か? トニー・ザ・タイガーのタイガーのことか?」
 こいつはなにを言い出すのかと思ったら……さすがに空いた口が塞がらなかった。
 虎と言えば地上最強クラスの肉食獣である。水滸伝に出てくる一騎当千の猛将ですら、虎を倒せる者は少ない。あ、でも「龍が如く」の桐生さんは同時に二頭倒してた。大阪の地中から出現した城で。
「いちおう話だけは聞こうか。言ってみろ、お前のモンキーな知恵を」
「ああ。いいかい、虎ってのは自分の腹には攻撃できないんだ」
「……それで?」
「だから、腹にしがみついて三日ぐらい耐えれば、虎、これ、飢えで弱る。ぼく、勝てる」
 なぜか最後の方はカタコトになりながら、ヒライは語った。
 俺は頭を抱えたくなった。
 今さらだが、こんなド低能なファンキーモンキーに俺の命運がかかっているだなんて……。
「ヒライくん……いろいろ無理があるよね、そのメソッドは。いくらお前が友人でも、それはアグリーできない」
 自分でもよくわからない意識の高そうな言葉を織り交ぜつつ、俺はヒライを諭す。
「でも大山倍達先生はそう言ってたらしいよ」
「マジかよ。いや、しかし無理なもんは無理だから」
 俺はため息をついた。
「ちょっとあんたたち、いつまでくっちゃべってるのよ。さっさと次のゲームをはじめなさいよ」
ぷりぷりしながら俺たちの周囲を飛び回るマス子。
「マス子……いや、偉大で美しいゲームマスター殿。一つお願いというか、提案があります」
俺がそう呼びかけると、マス子は一瞬きょとんとした表情を浮かべたのち、
「な、なによ急にあらたまって……まあ、どうせくだらない話でしょうけど言うだけ言ってみなさいよ」
 そう言いつつ、にやけ笑いを隠しきれていない。あれ、この妖精っ娘、意外とチョロいのかもしれない。チョロマスなのかもしれない。
「ちょっとこのゲーム、バランスが悪いと思うんですよね。ぶっちゃけヒライが弱すぎて勝負になってないっていうか」
「まあ、それはそうね。ここまでサクッとやられるとは私も想像してなかったわ」
「ですから、もう少しハンデをつけてやるというのは……勝てる気がしないとゲームって楽しくないじゃないですか」
 チョロマスは「えー?」と思いっきり嫌そうな顔をした。
「私は今のままで充分楽しいけど。ヒライが死ぬのを見るの、最高に笑えるしー」
……そうだった。こいつの目的はヒライを苦しめることだった。ならば……。
「いやいやマス子さん、むしろ一縷の希望を与えておいて、それが粉微塵に打ち砕かれるさまを眺めたほうが、より愉快に楽しめるかと……どうせこの男は多少のハンデを与えたところで勝てやしませんぜ」
「ふーむ、なるほど。それもそうね……」
 ヒライは黙って聞いている。その瞳は「イノッチ、そんな心にもない真っ赤な嘘までついて、ぼくのことを勝たせようと……!」と言っていた。いや、まあ、嘘じゃなくほとんど本音なんだが……。
「よし、わかったわ。次のバトルではヒライにハンデをあげる」
「マジっすか! あざっす!」
 やった! チョロいもんだぜ、と俺は内心でほくそ笑んだ。
「よっしゃ、そうと決まればすぐにやりましょう。すごろく部分はすっ飛ばして」
「いいえ、そこはきっちりとやり直してもらうわよ」
「あ……そっすよね、やっぱり」


 三周目。
 いい加減筋トレのやりすぎで、疲労を通り越して逆に大腿四頭筋とか上腕二頭筋とかがパンプアップしてきたような気がする。このままだと俺、往年のアーノルド・シュワルツェネッガーよろしくギリシャ彫刻と見まごうばかりの美しい肉体になっちまうんじゃねーかという危惧をおぼえはじめたあたりで、また「あがり」のマスに到着した。
 俺は大の字になって息をつきながら、か細い声で上空のマス子を呼ぶ。
「おいマス子ー、ハンデってのは具体的にはどうするんだ?」
「アニマルダイスを振る前にそれは聞いておきたいね」
 相当な量の筋トレをこなしたにも関わらず、たいした疲労も見せずにヒライが言う。戦闘力は皆無のくせに、体力だけは無駄にあるな、こいつは……。
「そうね、戦う動物が決まった後に、なにか欲しい道具を一つ思い浮かべなさい。それを与えてあげるわ」
「え、それってなんでもアリなのかい?」
 ヒライが勢い込んで聞く。
「ええ、なんでも用意してあげる。ゲームマスターに二言はないわ」
やった……! さすがにこれなら勝てるだろう。猟銃とかが出ればたいていの動物は一発だ。あ、でも実際には銃なんか使いこなせるわけがないか。
 じゃあ、斧とかナタとかの近接武器か? でもあっさり回避されて惨殺というオチが目に浮かぶ……。
 ヒライを見ると、想像を絶するほどに薄汚い笑いを浮かべていた。この顔で街を歩いていたら逮捕されても文句は言えないレベルのツラである。
「よし、まあとりあえずダイスを振ろうか」
 そう言って恒例のアニマルダイスを転がした。
 出た動物は……ラッコだった。
 ラッコ!
 あの愛らしい水族館の人気者。お腹の上に石を乗せ、貝を叩きつけて割るという高度な知恵を有することで有名な、あのラッコか。
 間違いなく犬よりは弱いだろう。ハンデのアイテムもあるし。三度目の正直。今度こそ……。
「おいヒライよ。念のため聞いておくが、どういうアイテムを所望したんだ」
「イノッチ、今回こそは完全に、間違いなくぼくの勝利だ。まあ聞いてくれ……」
 そう前置きして、人類最弱の称号を返上すべくヒライは語りだした。
「まず、銃のたぐいはよくない。どうせ使いこなせないからね。かと言って単純な近接用武器もだめだ。なんせ今回の相手はラッコ……バトルフィールドが水中という可能性がある。いくら武器を持っていたとしても、水中で奴らに勝てると思うほどぼくはうぬぼれてはいないからね」
「なるほど。ではお前は、ラッコに勝つためにどんな物を望んだんだ?」
「それはね……『沈没するタンカー』だよ!」
 とんでもない言葉が飛び出した。
「ちょっと待てよ。タンカーってあれか。原油とかを運ぶ巨大な船のあれか」
「そう、原油とか重油満載のあれだよ。タンカーが沈めば海は激しく汚染される……すなわち、そこで泳いでいたラッコもジ・エンドってわけさ」
 そう言ってヒライは片手の親指を下に向ける。ものすごく良い笑顔だった。
「お前は悪魔か……? 勝つために手段を選ばなさすぎだろ」
 マス子が怒るのもなんとなくわかる気がする。たしかにこいつは大自然の敵かもしれない……。
 戦慄していると、前触れなく転移がはじまった。
 次の瞬間には、俺たちはどこかの屋内に飛ばされていた。まわりには見知らぬ計器がたくさんついた机やら無線機やらが置いてある。そしてかすかに感じる、ゆるやかな上下の揺れ。
「あ、これってもしかしてタンカーの中なのか」
 おそらく操舵室だろう。部屋の窓の外には、広く青い海原が広がっていた。
「すげえ、まさか本当にタンカーが出てくるとは……これでもう勝ったも同然だなヒライ」
「ああ。あとは、このタンカーが沈没すれば」
 あれ。
 なんだろう。なにか重大なことを見落としているような気がするが……。
 首を捻っていると、いきなり操舵室全体が上下に激しくシェイクされた。
「うわっ……!」
 ヒライがたまらず転倒する。俺はアストラル体とやらで半分浮遊していたのでなんともないが、ヒライは立ち上がろうにも、揺れが激しくてままならない。おまけに床が徐々に傾きはじめていた。どうやら沈没がはじまったらしい。
「おいおいヒライよ、これヤバくねえか。このままだと船の沈没に巻き込まれて、下手すりゃお前のほうが先にジ・エンドだろ」
 沈没するタンカーに乗ることの危険性をまったく考慮していなかったらしい。ヒライは相対性理論を思いついたアインシュタインのような表情を浮かべた。
「あ、そうか。逃げないとまずいね、これは」
 俺たちは慌てて操舵室を出る。
 すでに床はとんでもない急傾斜になっており、まともに前進すらできない。
 徐々に傾く巨大な船の中で、まるでピンボールの玉のように壁にぶつかり飛び跳ねながら、ヒライはなんとか船の外へと出ることができた。そこは船の横腹についている非常階段らしき場所だった。
ヒライは必死に手すりにしがみついている。船尾は轟々と渦巻く海に半ばまで飲み込まれ、船体すべてが沈むのも時間の問題と思われた。
「おいヒライ、どうすんだよこれから」
 アストラル体の俺は宙に浮かびながら、セミ虫のように階段の手すりにへばり付いているヒライに声をかけた。船体が軋む悲鳴のような轟音と揺れが絶えず階段全体まで伝播してくる。そのたびにヒライは姿勢を変え、階段から転げ落ちないように四苦八苦していた。
「こ……このままギリギリまで粘る……原油が海を汚染して、先にラッコが死ねば、ぼくの勝利……」
 そこまで彼が言ったときだった。突然、ひときわ大きな衝撃が船体を襲った。
 そしてヒライがいた非常階段は次の瞬間、非情階段と化していた。
 鉄製の手すりが大きくたわみ、ねじれ、船体から引き剥がされた。その勢いで、ヒライの身体は船の外側へ大きく投げ出されてしまった。
 ヒライは水面めがけて真っ逆さまに落ちていった。それを見守る俺もまた、同様の速度で落ちていく。
 青い海が近づき、ヒライは水しぶきを上げて着水した。けっこうな高さからおかしな姿勢で落ちたので、体の骨が砕けていてもおかしくはなかった。俺はアストラル体とやらのおかげか、なんの痛みも衝撃も感じなかった。水の中でもまったく苦しくない。
 激痛にもなんとか意識を失わず、深い海の底へと沈んでいくヒライ。このままでは溺死だ。
 遠ざかっていく海面に向けて、動く腕と足をフルに活用してなんとか泳ごうとする。こぽぽ、と口から小さな気泡が漏れ出る。
 そのとき、矢のような勢いでヒライに近づく影があった。
 愛らしくも流麗な泳ぎを見せる魅惑のフォルム。
 今回の対戦動物――ラッコであった。
「おいヒライ気をつけろ! ラッコが来るぞ!」
 俺の声が聞こえたのか、がぼがぼ、と大きな気泡を吐き出すヒライ。必死に手足を動かし、接近するラッコに向き直ろうとする。その動きはあまりにも緩慢であり、逆にラッコは速すぎた。
 みるみるうちに接近したラッコは、ヒライの襟首を器用に前肢に引っ掛けると、なぜか海上めざして泳ぎはじめた。
 いったいなにをするつもりなのだろう。ラッコの意図は読めなかったが、俺はとりあえず追従する。
 ヒライを引っ張りつつも滑るような速さで泳いだラッコは、たちまち水面へと頭を出し、仰向けにその身体を浮かべた。
「がはっ、ごほ、ごほっ……」
 救命浮き輪にしがみつくようにして、ヒライは毛でごわごわしたラッコの身体に掴まっている。水を飲んだせいで激しく咳き込んでいるが、命に別状はなさそうだ。
「このラッコ……もしかしてヒライを助けてくれたのか?」
 俺は不覚にもちょっと感動しそうになる。
 きゅーん、と可愛らしいラッコの鳴き声が聞こえた。見ればラッコは、つぶらな目をしていた。まるで邪気のないビー玉のような瞳だ。そして、その短く可愛らしい両の前肢には……大きな貝が挟まれていた。
「あ……!」
 俺は歯噛みして悔やんだ。どうしてもっと早く気が付かなかったんだろう。
 ヒライがしがみついているのは、ラッコの腹の部分だった。そう、ちょうどヒライの頭部がラッコの腹の上に乗っている……!
「ヒライ逃げろ――っ! それは罠だ――っ!」
 俺は叫んだが、すべてが遅すぎた。ラッコが持つ硬い貝殻は、ものすごい速度でヒライの頭部へと打ち下ろされていた。つづけざまに、何度も何度も。
「がっ……ぐ、がっ」
 断続的に苦悶の声が上がるが、それもじきに止んだ。
 まるでざくろのように赤黒くはじけた三十路男性の頭部を腹に抱えながら、ラッコは静かに海を漂っていた。


「またお前、エポックなやられ方したな」
「さすがにあれはキツかった……普通は死んでるね」
「まあ、死んでたからな実際」
 俺たちはもちろん「ふりだし」に戻っていた。
 その周囲を滅茶苦茶な軌道で飛び回るマス子。
「あっはははは……ラッコに! 頭を! かち割られて! ふへ、ひーひひひ、しかもあんな卑劣な手段を使ったのに……ぷぷ、くくく……最高、ほんとに最高……!」
 しかも、ちょっと引いてしまうぐらい爆笑していた。まあ、俺も自分の身の上が賭けられてなければ超笑っていたと思う。それほどに愉快痛快な死にざまだった。
 狂乱するマス子を尻目に、ヒライはいつものようにダイスを持ち上げた。
「……さあ、次行こうか」
 飲みの二次会へ赴くサラリーマンのような台詞を吐き、淡々とダイスを転がす。
「ヒライ……」
 長い付き合いの俺にはわかった。奴は今、いつになく本気になっていた。その心中に渦巻いているであろう声が手に取るように感じられた。
 次は……次こそは絶対に失敗しない……!
 三回もの死を乗り越えて、ようやく目が醒めたのかもしれない。その小柄な背中からは、かつてない熱気が感じられた。もしかすると、ちょっとした熱気バサラなのかもしれない。
 やがて俺は、黙ってその背中を追った。待ち受ける筋トレ地獄のことをなるべく考えないようにしながら。


 非情にも四度目のアニマルダイスは、最悪の相手を指し示した。
「お次は……ゴリラか」
 ダイスに彫られている姿からして、おそらくはローランドゴリラであろう。まさにザ・ゴリラと呼ぶにふさわしい体躯を誇り、そのたくましい腕が発揮する握力は、なんと五百キログラムにも達するという。人間の胴体など「いろはす」のボトルよりも容易にひねり潰せるだろう。絞られたぼろ雑巾のようになるヒライの姿が容易に想像できた。
「いちおう聞いておくが、ヒライよ……なにか策はあるのか」
 バトルフィールドへの転送を待つ間、俺は恒例となりつつある問いを発する。
「ある。ゴリラは今までの動物の中でもっとも知能が高く、人間に近い……逆にそれを利用する」
「……なんだと? お前、なにを考えてるんだ? あと次のアイテムはなにを使うつもりなんだ?」
「戦いがはじまればわかるさ」
 そう言ったヒライの瞳には、かつてない決意のようなものが浮かんでいた。
 やがて景色が変わる。
 そこはサバンナだった。アフリカを思わせる広大な大地。なぜか時刻は夕暮れで、巨大な太陽が赤く燃えながら地平線の彼方に落ちゆこうとしていた。
 乾いた大地を踏みしめて、そこに勇壮な動物がいた。強烈な存在感をもつその姿は、間違えようもなくゴリラだった。その筋肉はゴリラであり、牙もゴリラ。おそらくは知能もゴリラであろう。燃える瞳も原始のゴリラだった。誰がなんと言おうと、それは圧倒的なまでにゴリラであった。それはサティスファクションであり、燃えるアクションでもあった。
「やっべえ、めっちゃゴリラやであいつ」
 なぜかいんちき臭い関西弁が口をついて出た。
「おい、どうするんやヒライ……ヒライはん?」
 ヒライは敢然とゴリラに相対していた。その手には、見慣れぬ物体を抱えていた。あまりにも想像の埒外だったため、俺はすぐにそれを正しく認識することができなかった。
黒い。真っ黒な物体だ。薄い毛にまみれている。物体というよりは生き物だ。その顔面は無数の皺に覆われ、まるで猿の赤ん坊に見えた。真っ黒な猿の、赤ん坊……。
「お、おいヒライはん。まさかそいつは……!」
「おいゴリラ! こいつが見えるか!」
 ヒライはやおら手に持ったそれを高々と差し上げ、ゴリラに向かって叫ぶ。
「いいかよく聞け! わかると思うが、こいつはお前の子供だ! ちょっとでもぼくを攻撃してみろ。こいつを殺す!」
 まさかの人質……いやゴリ質作戦であった。
 ちょっとどうかと思わなくもないが、それを卑劣とそしることは俺にはできなかった。もはや人としての尊厳をかなぐり捨てた、それはまさに決戦の姿にほかならなかった。
 ゴリラは少し離れた場所からまったく動かず、ただ静かにヒライと我が子を見つめている。
「聞こえてるよなゴリラ! ぼくの言ってることが、わかるよな!」
 なおもわめくヒライとは対照的に、ゴリラはひらすらに不動だった。その瞳は澄んだ湖のような深い知性の光をたたえている。
「おい、この、ゴリラ野郎……やめろ、そんな目で、ぼくを見るな……!」
「お、おいヒライ……?」
 ゴリ質をとって脅しているはずのヒライが、なぜか逆に追い詰められていた。
「ぐう……う……見るな……見ないでくれ……」
 ゴリラはまるで彫像のごとく動かない。形容しがたい不思議な静謐さがその身を包んでいた。もし聖者というものがこの世に存在するのなら、それはこのような姿なのではないかと俺は思った。
神々しい。
 そんな形容すら浮かんでくるほどの、それは力強くも優しいゴリラのたたずまいだった。
「う……うう、うわああーっ」
 やがてがっくりと膝をつき、地に伏して号泣するヒライ。ゴリラの子供はその腕から逃れ、親ゴリラの元へと帰っていく。
「ちくしょう、ちくしょう……ぼくの負けだ。完敗だ……ゴリラに完敗だ……」
 黙ってなりゆきを見守っていたマス子が、いつになく静かな口調で語りはじめた。
「あのゴリラはこのサバンナの王……長老よ。もう四十年以上も生きているわ」
 四十年……つまり俺たちより歳上だということだ。
 人間以外に、自分よりも長く生きて知性を蓄えている動物がいる……そんなことを考えてもみなかったのだろう。ヒライはハッと顔をあげる。
「どう、すごいでしょう。それが自然よ。あんたみたいなちっぽけなおっさんなんか、ひとたまりもないんだから」
 腰に手をあてて、得意気にマス子は宣言した。それは勝利の宣言だった。
 それに呼応するように、脱力したヒライの口から完全な敗北宣言がもたらされた。
「ああ……負けたよ。ぼくはもう正直、どんな動物にだって勝てる気がしない」
 それは驚嘆すべきことだった。どれだけ勝負に負けようと「負けた気がしない」と言い放つことで有名なあのヒライが、まさかこうも正面から負けを認めるとは。
「ふん、そんな殊勝なことを言っても無駄よ。ゲームはつづけてもらうからね。あんたはずっとここで永遠に動物たちに殺されまくればいいのよ!」
 ヒライに敵意を燃やすマス子。どうしても気になって、俺は再び問いかける。
「なあマス子。お前、どうしてそんなにヒライを憎むんだ。こいつになにをされたんだ?」
 だが案の定、マス子は口をつぐんでしまう。
「……言えないわ。この男が自分の罪を思い出すまでは」
 きっ、と鋭くヒライを睨みつける。
「ぼくの、罪……」
 憎悪で焼き殺そうとするかのようなマス子の視線を受け止め、ヒライがつぶやいた。
「うん、そうか……思い出したよ」
 ヒライはゆっくりと立ち上がり、宙に漂うマス子を見つめた。


「きみはイナゴの精なんだ。ぼくが昔、地元で繰り返し殺したイナゴたちの……」
「そうよ。私は……私たちはぜったいあんたを許さない」
 衝撃の事実がもたらされた。
 え、マス子ってイナゴの精だったのかよ。じゃあ、あの羽根はイナゴの……そう思うとちょっとキモく思えてきたが、かろうじて口には出さずにおいた。
 ヒライはまるで懺悔をするかのように、どこか透徹した口調で語りはじめた。
「ぼくの地元の栃木県は、それはそれは娯楽の少ない地でね……子供の遊びといえばイナゴを捕ることぐらいだったんだ」
 ほかの栃木県民が激怒しそうなことをさらっと織り交ぜながら、ヒライは言葉をつづける。
「普通はすぐに飽きちゃうんだけど、ぼくはイナゴ捕りが大好きだった。夢中になって捕まえたよ。そして、それらすべてを殺したんだ。ありとあらゆる手管を使ってね。飽きもせず、何年も、毎日毎日……。もし『イナゴジェノサイダー』みたいな実績があったら、間違いなく解除できてると思う」
 ゲーム脳ならではの発言だった。ちなみに今は「実績」よりも「トロフィー」の方がメジャーになりつつある。
「ヒライ、あんたは殺しすぎた……大自然の怒りを買うほどにね」
「うん……今さら言ってももちろん許してはもらえないだろうけど、謝っておくよ。ごめん、ぼくはちょっとヤンチャしすぎてた」
 ヤンチャの一言で済むようなことでもないと思うが、そこもとりあえず黙っておいた。
「ふん、もちろん許さないわよ」
「わかってる。でもマス子……ぼくは決めたよ」
「おいヒライ、イナゴだからイナ子の方がいいんじゃないか?」
 それまで空気を読んで神妙に黙っていた俺だったが、ついそこだけは思わず口を出してしまった。
「あ、そうだね。じゃあマス子あらためイナ子、聞いてくれるかい」
「どっちだっていいわよ! ていうかどっちも嫌だけど……なによ?」
「ぼくは、このゲームをつづけるよ」
 それを聞いて、マス子……いやイナ子は口を歪めて笑った。
「はっ、当たり前でしょ。でも手加減なんかしないからね。動物たちは全力であんたを殺すから」
「それでいいよ。ぼくは戦わない。この世界で、ずっと動物たちに殺されつづけるよ」
「えっ……?」
 この言葉には虚をつかれたのか、イナ子の表情から険が取れる。
「おいヒライ、お前なに言ってんだよ」
 とんでもないことを言い出したヒライの胸ぐらを掴もうとするが、それは虚しくすり抜けてしまう。俺は言い知れぬいらだちをおぼえた。もし近くに壁があったら殴っていただろう。
「とりあえずぼくが殺したイナゴの数の分だけは殺されてみるよ。もちろんそれで許してもらおうとは思っていないけど」
「おいヒライ、自分でなに言ってるのかわかってるのか……?」
 三度も繰り返されたヒライの凄絶な死に様が脳裏をよぎる。あれを何度も何度も、果てもなく繰り返すだと……?
 それはただ一言、こう呼ばれるものだ。
 地獄と。

 だが、これから地獄に落ちようとする者とは思えない気楽さでヒライは言った。
「それでイナ子、一つだけ頼みがあるんだけど……そこのイノッチだけはさ、元の世界に帰してあげてくれないかな?」
「ヒライ、お前……」
 いきなりそんなちょっと格好良いこと言い出しやがって……反則だろ……。
「嫌よ。あんたなんかの頼みなんか聞いてやるもんですか」
 だがイナ子はにべもない。まあ、そりゃそうですよね!
 わずかに苦笑して、ヒライは話をつづけた。
「いや、でもね。知ってのとおり、ぼくは酷いやつだからさ。イノッチがぼくの巻き添えでこの世界にいることに良心の呵責とかまったくおぼえないんだよね。正直なところ、むしろ長年の友人が一緒でうれしいぐらいなんだ。だからぼくを苦しめようと思ったら、彼がいないほうがいいと思うんだけど……どうかな」
「ふん、誰がそんな話にだまされるもんですか……!」
 だがわりと普通に本当のことを言っている可能性も否定できないのがヒライのすごいところだ。
イナ子が拒絶の言葉を発したそのとき、まるでそれを諌め諭すように、力強くも優しさと頼もしさを感じさせる声が轟いた。
「ウホ、ウホウホ……!」
 声というよりは咆哮……それはあの澄んだ瞳をしたゴリラ……いやゴリラさんから発せられていた。なにやらゴリラ語でイナ子に語りかけているようだ。
「はい……あなたがそう言うのでしたら……わかりました」
 不承不承という感じでうなずくイナ子。俺の方を向いて、彼女は嫌そうにこう言った。
「そこのデブ、あんただけは元の世界に帰してあげる。偉大なる王に感謝することね」
「え……」
 うれしくないと言えば嘘になる。
 だが……釈然としないものが残る。俺はおそるおそる言った。
「あのさ、なんとかヒライも一緒に帰るってことは……」
「できないわ。それは」
 かつて虐殺の憂き目に遭ったイナゴの精は、厳しく首を振る。
「そうだよイノッチ。それはぼくも望んでいない」
 その加害者であるヒライも同じように首を振った。
 かたくなな意思の前に、ただ沈黙するしかなかった。
 それでもなんとか、俺はか細い声を喉から絞り出した。
「俺は……俺は」
 けれど、自分の出す答えはわかっていた。
 俺は臆病者だ。
 この世界に残って長年の友人が無惨に死につづけるのを見守る……そんな選択はどうしたってできなかった。
「ウッホ……」
 気のせいかもしれないが、そんな俺に向かってゴリラさんが優しくうなずいてくれたように見えた。
 心の中で俺が決断したのと同時に、急速に世界が色褪せていく。
 最初にここへ来たときと同じように、だんだんと上下の区別がなくなっていった。俺の周囲から天地が失われていく。
「なあ、ヒライよう」
 最後に俺は呼びかけた。異世界に残る古い友人に向かって。
「待ってるからな」
 その言葉が彼に届いたかどうかはわからない。


 俺は元の世界に帰還した。
 異世界ル・マニア・ワールドであれだけやらされた筋トレの効果は完全に失われており、俺の腹はぶよぶよで醜く出っ張ったままだった。それなのに筋肉痛だけはきっちり残っており、あそこでの出来事が夢ではないことを思い知らせてくれた。
 あいかわらずヒライには連絡が取れない。
 何度か西日暮里のあたりを探してもみたが、その姿を見つけることはできなかった。


 いくばくかの時が過ぎた。
 毎週楽しみにしていたビキニ・ウォリアーズの放映も終わり、また愉快なお色気アニメはないものかと思っていたが、あそこまで突き抜けた作品はそうそうない。
だが、一つ気になるアニメが流行しはじめた。
「けものフレンズ」……もとはゲームなどからはじまった企画のアニメらしいが、詳しくは知らない。なにかいろいろ事情があって少女と化した動物たち――フレンズ――のハートフルなストーリーが人気なのだという。
 フレンズ……友人。
 俺の脳裏にヒライの姿が浮かんだ。彼はいま、どうしているのだろう。
 ある日、夜中にテレビをつけっぱなしにしていると、噂の「けものフレンズ」の放映がはじまった。
 正直、いくら擬人化されているとはいえ、動物はもうこりごりだった。俺が望んでやまない安っぽいお色気もないだろう。
 アニメの主題歌が勢いよく流れはじめたところで、俺はテレビを消すためリモコンを手に取ろうとした。

……今日もどったんばったん お・お・さ・わ・ぎ……!

 昨年奮発して買ったそれなりの大きさのテレビ画面には、ジャングルのような森林が流れるような動きで映し出され、森を抜けた先にある太陽の光に見立てたホワイトアウト……そして広大なサバンナへと背景が切り替わる。
 その瞬間……おそらくはまたたきのような時間の間に、俺はそれを見た。
 見間違いかもしれない。
 仕事で疲労した脳が見た勝手な幻覚だったのかもしれない。
 そこにはたくさんの動物がいた。
 擬人化されていない、あの、ヒライが戦った野生の動物たち。
 犬がいて、鹿がいて、ラッコがいて、もちろんゴリラさんもいた。ほかにもライオンやゾウやキリン、牛や豚や熊など、ありとあらゆる動物がいた。仏頂づらをしたイナゴの精もいたかもしれない。
 そして――あれは……あいつは……

 我に返ったとき、画面には「けものフレンズ」という特徴的な形のタイトルロゴが表示されている。
 俺はしばし呆けたように動くことができず、ただアニメのオープニングが終わるのを見つめていた。
 やがて右手にテレビのリモコンを握っていたことに気づき、俺は少しだけ考えてから、テレビを消すことなくそれを元の場所に戻した。
 そうしながら今しがた見た不思議な光景を頭のなかで反芻する。
 あれから久しく見ていない、友人の姿。
 たくさんの動物たちに囲まれるようにして、腰蓑一丁のヒライがたたずんでいた。
 彼はまるで往年のアーノルド・シュワルツェネッガーのような美しい肉体をしており、三十路とは思えないほどに無垢で楽しそうな笑顔を浮かべていた。

ニンテンドースイッチでJoyをConしている話

2017/03/08

最近はブラッドボーンを遊んで巨大な獣にふっ飛ばされたり、ダークソウル3を遊んで巨大な槍をぶっ刺されたり、タイタンフォール2を遊んで巨大ロボットに踏み潰されたりと愉快なゲームライフを送っていました。
そんな俺のゲームライフをより愉快にするゲームハードが発売されましたよ。
言わずと知れたニンテンドースイッチです。
熾烈な予約戦争を勝ち抜き、ヨドバシカメラで買うことができました。

とりあえず開封して数十分は付属のコントローラー(Joy-Con)を着脱しては合体させていました。こんなん合体ロボ世代の人間が楽しくないわけがないですよ。
こんなおもしろいものをつくるなんて……さすがは任天堂。まさにJoy-Con……その名に”悦び”を冠するだけのことはあるな……と一人戦慄していました。
まったく関係ないですが、昔、近所にジョイと言う名のスーパーマーケットがありました。不意に汚れなき少年だった頃を思い出してセンチメンタルな気分になりましたよね。もっと関係ない話として「スーパージョイ」でgoogle検索すると、すごい勢いで同名のソープランドの情報が出てくるので注意してほしいと思います。

基本的にJoy-Conを付属ホルダーと合体……いや合神させた状態でゲームをJoyしているのですが、Joy-Conを充電するにはスイッチ本体に装着しないとならず、もうしばらくしたら面倒になって充電できるホルダーか、あほみたいに高価なプロコントローラーを買うと思います。

ちなみにゲームはゼルダの伝説を買いましたよ。
正確には「ゼルダの伝説-ブレス・オブ・ザ・ワイルド-」……いつにもましてワイルドなタイトルです。こっそり「ゲット」を混ぜて「ブレス・オブ・ザ・ゲットワイルド」とかにしても違和感がありません。
高度な振動機能とやらを体験したくて「1-2-Switch」を買おうかとも思ったのですが、紹介映像に出てくるハイテンションな外人パーリーピーポーたちに若干引いてしまったのと、楽しく遊ぶ相手もいないので一人用ゲームであるゼルダの伝説をJoyせんがためにBuyしました。
今度のゼルダはやばいですね。
オープンワールド系のゲームに触れたことがない人が遊んだら戻ってこれないんじゃないかというほどに楽しくてやめどきが難しいです。なんだこの広さ。おそろしく広いのにいろんなものがあって、とにかく密度が濃い。とりあえず歩けばなんかある。
あとリンクの登攀能力の高さ。どんなに急峻な崖であろうとゲージがつづく限りどこまでも登れる。ただそれだけでこんなに楽しいとは。
1日に少しだけ、あと1つだけ祠をクリアしたらやめよう的な感じでちまちま進めています。気分次第でテレビモードでやったり、携帯モードでやったり、寝床でスタンドモードでやってみたりと、それすらも含めて楽しいです。
付属のストラップは使わないときに持て余すので入れ物がほしいなとか、本体一式が入るポーチもいいなとか、周辺機器を揃えるのもまた楽しい。
流行のフレンズ風にいうと、わーい、たーのしー! ですかね。

さしずめ主人公のリンクさんは、殺した怪物の爪や目玉を数十個単位で持ち歩くのが得意なフレンズであり、もし街で見かけても素知らぬふりをしたいと思います。
でもよく考えたらオープンワールドゲームの主人公は誰しもそんな感じのサイコパスなので、リンクさんだけを偏見の目で見るのはやめていただきたい。
あとJoy-Conの振動機能を性的なJoy(悦び)目的に利用できないか……?などと仕事中に考えるのもやめていただきたい。

ブラッドボーンがおまえを真の男にしてくれる

2017/01/23

ブラッドボーン 

よく来たな。正月も終わり、気がつけば1月も終盤に差し掛かろうとしている。この一年のはじまりに、おまえはなにをして過ごしていた? おそらく腰抜けのおまえはいつものように流行りの映画をそそくさと見に行ってはあたりさわりのない感想をツイッターに投稿したり、しょぼいメシの写真やら自撮り写真やらを誰にも頼まれないのにせっせとインスタグラムにアップロードして自分のみみっちい世界を守るのに必死だったのだろう。あるいは噂の新型ゲーム機ニンテンドースイッチの予約に忙しかったかもしれない。俺も予約した。
そうして翌朝からはじまるつまらない仕事にため息をつき、なんてつまらない人生なんだというむなしい感慨から目をそらし、つとめて忘れるようにしながら眠りにつく。そうこうしているうちに1月は終わり、2月も終わり、気がつけば1年が過ぎている。なにごとにも熱くなれず、大事なことがなにかもわからぬまま、場末の酒場で出会ったベイブと乳繰り合い、犬のように交わり、子を生み育て……やがて老いて死ぬ。THE END OF MEXICO……。だがおまえがプレイステーション4を所持し、真の開拓精神をもっているなら話は別だ。まだ遅くはない。おまえにはブラッドボーン(DLC入り)をプレイするという選択肢が残されている。

もしおまえがスマホゲームにかまけてプレイステーション4のひとつも持っていないような腰抜けなら、もう俺から言うことはなにもない。今日も明日もそのあともずっと通勤電車の中でうつむきながらスマホをいじり、ときには自撮りをすればいい。
ブラッドボーンの世界ではそんな腰抜けは二秒と生きられはしない。自撮りをしている奴は死ぬ。
ブラッドボーンの舞台は古都ヤーナム。おまえはなにやらよくわからない病気にかかり、治療法を求めてここに来た。おかしな老人に改造手術をされて目覚めると一切の記憶を失っていた。薄暗い病室で目覚めたおまえは、ふらふらと外に出て、いきなり巨大な獣に食い殺される。だが心配しなくていい。この敗北はあらかじめ定められたもので、いわばファイナルファンタジー2における最初の戦闘と同じだ。
不思議な夢の世界で再び目覚めたおまえは、そこで獣を狩る狩人としての武器を与えられる。そうしておまえは病室へ舞い戻り、先程の獣に復讐する。この街に来て最初の復讐をとげたおまえの両手は、おびただしい量の返り血に染まっているはずだ。それはおまえ自身の新たな誕生の証であり、単なる腰抜けから真の男へと一歩近づいた証なのだ。

それでもどこか物見遊山でヤーナムを探索するおまえは、この街の連中が全員例外なく鉈や鍬や鋤あるいは銃器で武装し、こちらを見るやいなや問答無用で襲い掛かってくることに気づいて衝撃を受けるだろう。ここではだれもが血に飢え、血に酔っている。おまえが住んでいるカリフォルニアのように怠惰と安穏にまみれた地ではない。そう、いわばここはメキシコだ。ここで生きていけるのは真の男だけだ。自撮りをする奴から死んでいく。
そして甘ったれたおまえは、道端に落ちているアイテムをなんの疑いもなく取りに行き、死角に隠れていた男に背後から刺し殺されるだろう。これまでのゲームにおいて赤ん坊がミルクを与えられるように何の苦労もなくアイテムを入手してきたおまえは、またしても衝撃を受けるはずだ。そこでゲームを投げ出すか、教訓を得て成長につなげるかはおまえ次第だ。
アイテムを見つけたら、まず周囲を確認しろ。というか、むしろアイテム自体を罠の一種だと思って注意深く行動しろ。そうやって苦心の末に手に入れたアイテムの数々は、いろいろな意味でおまえを強くし、真の男へと近づけてくれるだろう。

やたら尖った農具を持った男たちがうろつく危険な街を通り抜け、やがておまえはボスと遭遇するだろう。順当に進んでいれば聖職者の獣か、ひねくれた道を進んだ場合はガスコイン神父に出会い……そしてごみのように一蹴されて死ぬ。
このゲームのボスは本当にタフな連中が揃っている。テキーラの産湯で生まれ、三食すべてタコスかドリトスだけを貪り、砂漠のように乾いた土地で育っている屈強な男たち。いわば真のメキシコ人だ。初見で勝つのはおまえがダニー・トレホでもない限り難しいだろう。奴らの一撃は早くて重く、おまえが着ている服をやすやすと貫通し、死に至らしめるだろう。何度も、何度も……。
このゲームのボスはそこらの攻略動画を見た程度で倒せるほどやわではない。もちろんイージーモードなどという女子供向けの機能は付いていない。攻撃パターンを知り、そのタイミングを身体でおぼえ、見切って回避し、攻撃を叩き込む。おまえの与えるせこいダメージを一瞬でチャラにする凶悪な攻撃の数々を延々とさばいていかなければならない。
そうして戦いを制し、狩りを遂行したおまえはかつてない歓喜に包まれるだろう。喜びのあまりそのへんのちんぴらを殴って怪我をしたり、どこかの安酒場でテキーラを浴びるように飲み、酔いにまかせて見知らぬベイブとファックし、気がついたときには裸で路上に放り出されている……それほどまでに大きな高揚感と達成感を味わうことができるはずだ。
どうしてもボスに勝てない腰抜けのおまえには、最後の手段として協力プレイが残されている。目には目を。歯には歯を。屈強なメキシコ人には、より屈強なメキシコ人を。オンラインプレイ用の鐘を鳴らせば、異世界からやってきたメキシコ人がおまえを助けてくれる。仲間に頼るのは恥ではない。アントニオ・バンデラスさえも敵地に襲撃に行く前に仲間を呼び集めていた。勝つためには手段を選ぶな。
だが、このゲームはブラッドボーン……仲良しごっこのお遊戯をさせてくれるほど甘くはない。協力プレイをすると同時に、不吉な鐘の音とともに「敵対者」と呼ばれる狩人がやってくることがある。これはオンラインプレイでおまえを殺しに来たプレイヤーであり、おそらくおまえが見たこともない未知の武器を持っているはずだ。ゲーム発売から2年が経過した今も飽くことなく敵対プレイを行っているということは、すなわち長年鍛え抜かれた真のメキシコ人であり、奴隷バーを何年も回し続けて強くなったアーノルド・シュワルツェネッガーであり、間違いなくステータスや装備は対人用に特化されているのでまず勝ち目はない。
対人戦のことは忘れ、とにかくおまえはこのゲームを最後までクリアすることだけを考えろ。そしてエンディングの意味深さに呆然とし、あわてて考察サイトやら裏設定を読んで、どれだけ自分が多くのことを見落としていたのか愕然とすればいい。俺は愕然とし、このゲームの奥深さに触れてさめざめと涙を流した。この時代にこの傑作というほかない素晴らしいゲームをプレイできた幸運と、それを産んだメキシコの偉大さに感謝した。

つい最近、俺はDLC「The Old Hunters」をクリアした。DLCが出た直後に購入してダウンロードまではしていたが、今の今までプレイしていなかった。
忙しかったとかいろんな理由はあるが、それらはすべて言い訳に過ぎない。ブラッドボーンをとりあえず1度はクリアしたという過去の栄光に縋り、DLCに挑戦するのを心のどこかで恐れていたのだ。
だが俺は怯懦を乗り越え、一歩を踏み出した。真の男になるためだ。
DLCの舞台となる「狩人の悪夢」では、スタート地点の建物を出てすぐのところにいる狩人が見たこともない蛇腹剣のようなものを振るってきて即座に死ぬ。
赤い血のような英語で表示される「おまえは死んだ」という文字を見て、俺は久しぶりに怒りと喜びの入り混じった強い興奮をおぼえ、そして泣いた。早くこのDLCをプレイしなかったことを後悔した。
そう、まるでここはメキシコだ。全体的に砂漠っぽく、プレイしているだけで口の中が渇き、体力回復に使う輸血液がテキーラに見えた。ここには愛しさや優しさや心強さといった人間の善性は存在せず、フェイスブックやインスタグラムのような文明も存在しない。自撮りをする奴は死ぬ。
メキシコの住人は皆、右手に打撃武器、左手に銃器を持っている。あるいは両手に巨大なポールウェポンを装備しておまえを待ち構えている。本編と同じかそれ以上に何度もおまえは死ぬ。
けれどその死が、おまえを鍛え、少しずつ強くし、真の男へと近づけてくれる。

俺はDLCをクリアしたと書いたが、実のところDLCのボス撃破後、最後の最後でとあることをやり残しており、DLCのエンディングを見ていない。DLC武器を全部集めたトロフィーを獲得したことで浮かれ、歓喜のあまりテキーラを痛飲して、ホットなベイブとベッドで戯れ、その勢いでうっかり本編をクリアしてしまったのだ。本編をクリアすると自動的に次の周回がはじまり、クリア前には戻れない。当然DLCステージもクリア前の状態に戻っている。
ブラッドボーンの二週目はいわゆる「つよくてニューゲーム」だが、正確には「敵が超つよくてニューゲーム」であり、ようするに自分よりも敵のほうが強くなっている。ラスボスを屠ったプラス10武器であっても最初の町民を殺すのに数回攻撃しなければならず、町民の農具がかすっただけで即死する。生き延びるためにはほんの少しの油断も許されない。二週目のヤーナムは、いわば真のメキシコなのだ……。

俺はトロフィーを全部取るために二週目の地獄をクリアするつもりだ。延々とここまで読んだおまえはどうだ? つべこべ言わずにプレステ4を購入しろ。今なら異常なボリュームを誇るDLC入りのブラッドボーンが3000円とかで買える。セールのときは半額になったりしている。
それでも買わない奴に、もう言うことはない。カリフォルニアで享楽に満ちた日々を送り、子や孫に囲まれながら老人になり、自分が何者かもわからなくなるまで生きればいい。
だが、もしおまえが腰抜けでなくタフガイなのだと言うならば、今こそブラッドボーンに挑戦し、そのことを示すときが来たのだ。

12/30冬コミ宣伝と、どうでもいい話

2016/12/30

直前ですが冬コミ2日目、いちおう新刊小説出ますのでよろしくです。

まあ、それだけです。
それだけ書くためのブログ更新なんですが、あと一つだけしょうもないことを書きます。
最近、映画「セッション」を見て、かつてないカタルシスを味わいました。

(以下、映画のネタバレを多量に含みますゆえ)

まあ、本筋としては本当に嫌な話ですよ。
アメリカの有名(たぶん)音楽学校に通うドラマーの少年ニーマンが主人公なんですが、その指導にあたる先生が「響け!ユーフォニアム」に出てくる眼鏡先生から眼鏡と毛髪と若さを取って中身をハートマン軍曹にしたような恐ろしい人なんですよ。というか率直に言えばハートマン軍曹そのものなんですよ。
で、その先生に言葉責めですごい屈辱を味わわされて、ときには椅子を投げつけられて、「テンポが遅い!」とか言われ延々とビンタを食らわされるような日々を送ります
ニーマンは「悔しい!」とそこで一念発起し、指から血を流すほどに練習するわけですよ。で、ハートマン先生にちょっとずつ認められていく。
ここまでは普通にいいスポ根です。
そんなこんなで、付き合いはじめたばかりの彼女に「君がいるとたぶん練習のじゃまになるから」というクズっぽい理由で一方的に別れ話を突きつけつつ、ニーマンはドラム主奏者の座を勝ち取りました。
大学でアメフト選手として活躍している兄貴に「でもそれって三部リーグの話でしょ?(笑)」などという自我が肥大しきったセリフを吐き、そろそろハイパー化してもおかしくないほど調子にのりまくるニーマンですが、大事なコンテストの日に少しいろいろあって大怪我をして会場に現れます。
スティックもまともに握れない有様ですので、当然演奏は大失敗。
もちろんハートマン先生はブチギレです。
ニーマンもうっかりブチギレて先生に殴りかかります。ブチギレ音楽祭りですよ。

そしてニーマンは退学になりました。
別の大学に入り直し、新しい生活をはじめて音楽とは縁のない生活をしていたニーマンですが、通りがかったジャズバーで偶然ハートマン先生と再会します。彼はまるで憑き物が落ちたような穏やかな顔で「久しぶりだな」とニーマンに声をかけます。
先生はいきすぎた指導方法を問題視され、音楽学校を解雇されていました。ただあれは、生徒に成長してほしいと願っていたからなんだ……と苦笑交じりにニーマンに語ります。
「実は今度の音楽祭で指揮をするんだが、ドラマーの質が十分ではないんだ。代役を探してる。曲は学校でやっていたような『ウィップラッシュ』や『キャラバン』で、そのへんができるやつがいいんだが……言いたいこと、わかるだろう?」
いきなりデレてきた先生の誘いを二つ返事で引き受けるニーマン。
一時期殺したいほど憎んでいた先生とも和解し、長年満たされなかった承認欲求がもりもりと満たされ、ウキウキ気分です。
やっぱり俺にはドラムしかねえ。うん、ドラムっていいよね! ドラム最高!
浮かれついでに、別れた彼女にも電話します。
「あのさ、実は今度JVC音楽祭ってのに出るんだけどさ…」
「うーん、今の彼がそういうの好きじゃないかも。いちおう聞いてみるけど…」
「え? あっ……そ、そーだよねー、ですよねー」
微妙にへこみつつ、それでも俺には先生に認められたドラムがあるさ! 審査員の目に止まればまた世にでることも夢じゃない!……と迎えた音楽祭当日。
ハートマン先生の指揮のもと開始された曲は、ニーマンがまったく知らない演目でした。
先生から事前に伝えられていた演目は、すべて嘘だったのです。
愕然とするニーマンに、先生はすさまじい憎悪を込めた顔で言い放ちました。

「おれがなにも知らないとでも思っていたのか? おれがクビになるよう学校に密告したのはおまえだろう?」

退学になった直後「横暴なハートマン先生を告発する会」みたいなところの弁護士から匿名での証言を求められ、やけっぱちになっていたニーマンはそれに応じてしまっていたのでした。
その報復としてニーマンをわざわざ自分の楽団に誘い、嘘の演目を伝え、そして当日ステージの上で赤っ恥をかかせるというとてつもない策士ぶり。こんな大人げない大人はじめてみました。
先生の罠にまんまとはまったニーマンは、それはもう悲惨なことになりました。
練習もしていない知らない曲なのですから、まともに演奏できるわけもなく。生き地獄そのものの時間が過ぎ、もはやニーマンのライフは完全にゼロです。

「計画通り」というコラがとても似合う笑顔を浮かべながら「それでは次はスローな曲を…」と気分良くつづけようとしたハートマン先生の言葉を遮るように、痛烈なビートを刻むドラム音が鳴り響きました。
ニーマンが勝手に演奏をはじめたのです。
横の吹奏者が「ちょ、自分なにしとんねん」と慌てますが、ニーマンの鬼気迫る演奏につられて「キャラバン」の演奏をはじめてしまうのでした。

……と、そういう話の映画で、ようするに音楽で生まれた憎しみから音楽を使って仕返しする人々の話であり、音楽で殴ったり殴られたりと、あまりほめられたものではないです。
それでも俺たちが、ラストシーンで勝手にドラムを叩き出したニーマンに諸手を挙げて拍手したくなるのは、言うまでもなくきっと俺たちもニーマンと同じような境遇だからでしょう。
周囲の人々は自分の知らない曲を颯爽と演奏しているのに、自分だけがうまくそれをできない。
それなりにうまくできると思っていたのに、気がつけばこのありさま。ニーマンは先生にハメられたわけですが、俺たちはべつに誰にハメられたわけでもない。もしかすると自業自得なのかもしれませんが、そんなの慰めにもならない。
スティックを振るタイミングはさっぱりわからず、それでも曲は次々とはじまっては終わっていく。
同じステージにいる人々は次々と曲をこなし、喝采を浴びていく。
まあ、それでもいいんですよ。だって死ぬわけじゃないし。
ニーマンだって、実家に帰れば優しいパパがいて、傷ついた息子を暖かく抱擁してくれます。おそらく学校だって仕事だって世話してくれるでしょう。生きていくのになんの支障もありません。
それでもニーマンが勝手に演奏をはじめたのは、早い話がエゴというか自分勝手というか、ほとんどテロ行為みたいなもんですけれども、やはりどうしても喝采を送ってしまう。
だって頑張ってたものな。
血が出るまでドラム叩いてたもの。
そのニーマンの頑張りは、世界中でニーマンだけしか知らない。でも観客の俺たちは知ってますよ。そして思いましたよ。
自分は今までそこまでなにかに一心に打ち込んだことがあるのか?って。
そこまでやれるニーマンがちょっとうらやましいとすら思うはずですよ。
これだけ頑張ってるニーマンが成功しないなんて嘘だよねー良かったねという期待や祝福と、でもそれってなんかちょっと妬ましいよな……っていう複雑な思いを抱えた面倒くさい大人たちに対するアンサーがあのラストシーンで、まあ見事に刺さりました。
最後のセッションを通じてニーマンと先生が理解し合えたっぽいとか、いろいろいいテーマも盛り込んであるのですが、個人的には「持たざる者である凡人が空気を読まず派手に一発ぶちかましてやった」という意味で心に刺さりました。

ドラマーにはなりたくない。
でも来年はもっとがんばろう。

怖がりの先輩の話

2016/11/13

 小学校に通いはじめる少し前。街に点在する桜の木々がその存在感を増しはじめる季節。いつも遊んでいる公園に見知らぬ男の子がいる。彼は錆びた鉄骨で組み上げられたジャングルジムの頂上に登り、高らかに叫んでいる。
「ぼくには怖いものなんか一つもないぞ!」
 本当かな、と思った私は男の子をジャングルジムから引きずり下ろし、その頭をグーで思いきり殴る。すぐに取っ組み合いの喧嘩になる。互いに叩き合い、服を掴んで突き飛ばし合い、髪を掴み合い、頬の肉を伸ばし合う。
 長い長い戦いの末、僅差で私が勝利する。
 馬乗りになった私に組み伏せられながら、彼は言う。
「今日、怖いものが一つできたよ」
 と、怯えた目をしながら私を指差す。その日以来、彼の怖がる顔を見るのが私の趣味になる。


 彼は私より一つ年上である。
「ぼくのことは先輩と呼んでくれ」
 同じ小学校に入ると、彼はそんなことを言う。とくにこだわりもなかったので、私は彼を先輩と呼ぶようになる。
 お昼休みや放課後、先輩に会うと私はきまってこう尋ねる。
 先輩には、今なにか怖いものがある?
 夏休み明け、子供たちの声が飛び交う校庭。五年生になり、顔を日焼けさせた先輩は少しだけ考えて、真剣な表情で答えを口にする。
「やっぱり、きみが一番怖い」
 私は満面の笑みを浮かべて、彼の背中に蹴りを入れる。そして必死の形相で逃げまわる彼に追いすがってすっ転がし、ズボンを脱がしてやる。


 先輩は、今、なにが一番怖いの?
 中学生になって私の背を追い越し、似合わない眼鏡をかけるようになった先輩に私は問う。
「自分が無意味な存在かもしれない、ということがぼくは怖い」
 そんな答えが返ってくる。いつの間にか私よりも怖いものができたらしい。
「この世界、いや宇宙に……ぼくは、いったいなんの意味を持って生まれてきたのだろう。最近はずっとそんなことばかりを考えている。その考える行為そのものを含めたすべてが実は無意味なんじゃないかと考えると、ぼくは夜も眠れないほどに怖くなるよ」
 その日は強い木枯らしが吹いていて、街の向こう側に落ちていく夕日が下校する生徒たちの影を長く伸ばしている。帰り道、肩を落として力ない笑みを浮かべる先輩に私は言ってあげる。
 うん、先輩は無意味で無価値な存在かもね。
「ええっ……?」
 眼鏡の奥の少しうるんだ瞳に向かって、私はなおもつづける。
 勉強も運動もそれなりだし、とりたてて面白いところがあるわけでもないし。いろいろクラスの面倒ごとを押し付けられて毎年なにかの委員長をやったりするあたりが存在価値と言えなくもない……かもしれないけど、宇宙的な視野で見ればほんのチリみたいなもんだと思う。
「そ、そうなのだろうか……ううう」
 頭を抱える先輩を横目に、私はひそかにほくそ笑む。さっき「とりたてて面白いところがない」などと言ったのは嘘だ。なにかを怖がる先輩は、私にとって最高に面白い存在である。


 先輩は高校生になると生徒会に入り、校内運営におけるさまざまの手伝いをやらされるうち、なかば祭り上げられるようなかたちで二年生の冬には生徒会長になってしまう。
 ちなみに私も同じ学校に入学し、なりゆきで副会長の座におさまっていたりする。
「……ぼくが今、一番怖れていることがなにかわかるかい?」
 数日後に迫った校内行事の雑務のため、放課後に二人で黙々と書類作成をやっていると、訊かれてもいないのに先輩はそんなことを言い出す。
 下校時間はとっくに過ぎている。もう他の生徒会メンバーは帰ってしまい、生徒会室には私と先輩の二人しかいない。
 いいからとっとと仕事をしてください、という私の言葉を無視して先輩は語りはじめる。
「ぼくは……女性のおっぱいを見ることもさわることもなく生涯を終えるのではないか……そのことが一番怖ろしい」
 あっけに取られつつも、私は質問する。少し前まで、自分の存在の意味がどうとか言ってませんでしたっけ?
「そんなことは、もうどうでもいいんだよ!」
 眼鏡の奥の目を大きく見開いて、彼は力強く叫ぶ。
「むしろ人生の意味や価値っていうのは、おっぱいをさわれるかどうかで決まる。それが人生のすべて……そう言っても過言ではないんだよ。人生すなわちおっぱいであり、世界これおっぱい。宇宙もまたおっぱいである。しかし宇宙に存在するありとあらゆるおっぱいは、二つに大別される。ぼくがさわることができるおっぱいと、ぼくがさわることができないおっぱい……言うまでもなくその二種類だ。服と下着に隠され、ぼくから観測することができない女性のおっぱいは、その二種類の可能性を常に併せ持つ。つまり二つの状態が量子的に重なり合っているんだ。……ここまではわかるね?」
 いいえわかりません、と私は冷たく即答する。少なくとも私の胸は量子的に重なり合ったりはしていない。
「ふう……やれやれ」
 肩をすくめながら首を振る先輩。むかっとしたので何年かぶりに先輩の顔面をグーで殴る。
「ぐあっ!」
 うめいて鼻をおさえる先輩に向かって、ゆっくりと私は聞く。自然に低い声になる。
 ねえ、もしかして先輩って、私のことを女だって思ってないんじゃないですか?
「えっ……?」
 先輩はおそるおそる、という感じでうなずく。
「う、うん……きみはなんというか、ぼくにとっては妹みたいなもんだよ。少々、凶暴な」
 私はさらにもう一発、先輩を殴る。もちろんグーで。


 そうして、私たちの間にいくつもの四季がめぐる。
 桜の花が舞う季節の、とある日の夜。
 私の目の前のテーブルの上には、指輪のケースが置かれている。
 その箱の中には、先輩が貯金と初任給をつぎ込んで買い求めたであろう指輪が納められている。
 その円環には、ささやかな輝きをまとう小さな宝石があしらわれている。指輪を挟んだ向こうには スーツ姿の先輩が座っており、ひどく神妙な面持ちで私の言葉を待っている。
 ふと気になって、私は訊いてみる。
 先輩が今、一番怖いことってなあに?
「えっ?……な、なぜ今、そんなことを言うんだい?」
 額に汗を浮かべ、真っ青な表情で彼は訊き返す。これまでに見た中でも最高の部類に入る素晴らしい「怖がり顔」をしている。一番好きな表情。私の大好きな顔だ。
「そんなの決まってるじゃないか。きみの返事を聞くのが……今、一番怖いよ」
 願わくば、先輩のその顔をずっと見ていたい。そう思いつつも、私は贈られた指輪を握りしめて、とある言葉を口にする。



「ようやく眠ったね」
 私の腕に抱かれ、静かに寝息をたてる娘をのぞき込みながら、先輩は言う。
「ぼくが抱っこしたら必ず泣き出すのに、きみだと一発で泣きやむんだものなあ……」
 苦笑しながら、そっと赤ん坊のほっぺたをつつく。
 この子はね、と私は彼に教えてあげる。
 この子はね、きっと先輩の困る顔が見たくてわざと泣くんですよ。
「そ、そうなのかい?」
 そうですよ。だって私の娘ですもの。
「うーん、それは困ったなあ」
 さほど困ったような顔をするでもなく、先輩は微笑みながら娘の顔を見つめている。
 そこで、私は問いかける。
 彼に対してこれまで幾度もしてきた、例の問いかけ。
「……今、一番怖いこと、かい?」
 先輩は首をかしげ、しばし考えるそぶりを見せる。やがてゆっくりと両の腕を伸ばし、私と私の抱く我が子をいっしょに包み込むようにしながら、おだやかな声音でささやく。
「この幸せが、いつか終わってしまうかもしれない。それが一番怖いよ」
 さして怖くもなさそうな先輩の弛緩した表情を眺めながら、私は静かに考える。
 もしも今、この小さな娘の細い首を突然へし折ったら、いったい彼はどんな顔をしてくれるのだろう、と。


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