劇場版ラブライブ!をみてきたよ

2015/06/22

 新宿ピカデリー前にはいつものように何十台ものバイクやサンドバギーが路駐されていた。
 さらにどこの馬鹿どもが乗ってきたのか、乗合バスよろしく大型の装甲車まで鎮座している。車体の背面に据え付けられた銃座の上で、機関銃が雄叫びを上げるような角度で濁った空を示していた。
 
 まとわりついてくる重油の臭い。獣の革とおぼしき臭いと、むき出しの鉄が錆びた臭い。よくわからない隠し味のような臭い。それらが最悪の三重奏だか四重奏をかなで、俺の鼻孔を直撃した。
 車輌はどれも例外なく装甲板が何枚も無骨に重ね貼られ、ホイールやボンネットから槍のような鋭いスパイクが突き出ていた。まるで鉄のハリネズミか、あるいは病気の針葉樹のようないびつなシルエットを晒しているそれらを慎重に避けながら、ピカデリーの入り口にたどり着く。
 
 やがて俺はピカデリー内部に通じるスイングドアの前に立った。耳障りな蝶番の音を響かせ、その汚い木切れで出来た扉を押し開けた。すると外部の臭気とはまた趣の異なる悪臭が、バックドラフトよろしく俺の顔面に襲いかかってきた。それは獣の臭い。頭蓋からすっぽりと知性の失せた者たちが放つ、下劣で粗暴で野卑な臭いだった。
 ピカデリーのロビーでは革アーマー(とでも呼ぶしかない、肩パッド付きの半裸じみた革の服装)を装備した男たちがカードに興じていた。連中は野卑な笑いを漏らしながらも、ロビーに踏み入ってきた俺を油断なく粘着性のある視線で値踏みしている。

 俺は売店のカウンターに向かった。
 猛獣からの防護を目的とした鉄柵じみたカウンターテーブルの向こうで、無愛想な店員がグラスの汚れを拭っていた。グラスは垢なのか油なのか分からない黒斑にまみれていた。店員は同じぐらい汚い襤褸布を使って、それを神経質に何度も何度も擦っている。
「アイスミルクを」
 注文すると、背後でけたたましい笑い声が聞こえた。
「ひゃっはは……ミルクだってよォ」
 俺は舌打ちし、肩越しに声の発生源へ視線を走らせた。テーブルの男たちは鼻につく薄ら笑いを浮かべながら、手に持ったカードやナイフを弄ったり、安バーボンの瓶をあおっている。何人かは得体のしれない葉を巻いた煙草を咥え、そのうちのさらに何人かは眼の焦点が合っていなかった。
「すいませんねお客さん。うちゃそういうのやってないンですよ」
 店員がさして悪びれた様子もなく言った。
「ホットドッグのセットはどうです……うちのは正真正銘、犬の肉を使ったリアルのホットドッグだよ」
 俺が首を振ると、なにがおかしかったのか店員はヒッヒッとしゃくりあげるような笑い声を漏らした。
「ま、あんたの後ろの連中に頼めば、立派なホットドッグをサービスしてくれるかもしれませんがね……ミルク付きで」
「もういい。チョコクロのセットをくれ」
「……毎度」

 オンラインで予約したチケットを発券し、ロビーの片隅に座り込んで開場を待つ。
 喧騒の中でぬるいコーラをすすっていると、屋内のどこかに設置されたスピーカーからひび割れた声が聞こえた。
 8:50上映の「ラブライブ!The School Idol Movie」……その入場開始を告げる声だ。
 テーブルの男たちがぞろぞろと動き出す。
 俺も腰を持ち上げ、便所の前にできた小便溜まりを踏み越えてシアター1へ向かう。
 
 シアター1は背徳の温床だった。
 飲酒や喫煙はもちろんのこと、座席の陰でくぐもった嬌声を上げて女と交わっている者もいれば、誰かれかまわず怪しげな粉末の取引を持ちかける者もいた。
 俺は指定された座席の前に行き、何発もの銃痕が刻まれたシートに腰掛けた。
 ところどころに染みの浮いたスクリーンを見上げながら、スクールアイドルたちの軌跡に思いを馳せた。

 テレビアニメ「ラブライブ! School idol project」――
 母校存続の危機に立ち上がった、高坂穂乃果をはじめとする9人の少女たちの物語である。
 芸術の女神になぞらえ「μ’s」と名乗った彼女たちは、数々の苦難を絆の力で乗り越え、スクールアイドルの祭典「ラブライブ!」でとうとう優勝を果たす。

 印象的だったのは、物語の中で「三年生が卒業した後、μ’sを存続させるか否か」という問題が非常に大きなテーマとして扱われたことだ。彼女たちのくだした決断は「μ’sを終わりにする」というものだった。
 その思いを涙ながらに海の彼方へ叫ぶ場面は、深く視聴者の心に刻まれた。
 念願のラブライブ!優勝を果たし、そこでμ’sの活動は終わりを迎えた。
 だが、テレビアニメ版で終わったはずのμ’sの物語……その続編として、今回の劇場版が公開されたのである。
 終わりの向こうには、なにがあるのだろう?
 俺はその答えを知るために、この日、新宿ピカデリーにやってきたのだ。

 開幕のブザーが鳴り、照明が落ちる。
 矢澤にこ、西木野真姫、絢瀬絵里の三人の掛け合いによる「劇場内での注意」が終わり、本編が開始しても場内の喧騒は止むことはなかった。
 だが、μ’sによるライブのシーンがはじまった途端、

「Oh……my GOD(なんてこった)」
「It's……Angel……Angel voice……(こいつは…天使の歌声だ)」

 そんな小さなつぶやきを最後に、シアター1の内部に静寂の波が満ちていった。
 いや、厳密には完全なる静けさではない。
 耳を澄ませば、それは聴こえてきた。
 乱れそうになる息を詰め、忘れかけていた涙を流しながら、それでも慟哭を必死にこらえる、男たちの静かなメロディー。
 獣たちが一時、人としての理性を取り戻し、奪い、殺し、憎しみ、騙すことのない空間を共有する。

 そして、物語の終盤。
 μ’s最後のライブ、最後の曲がはじまる。
 そこで、約束された終焉の果てを、俺は――俺たちは見た。

 終わりの向こうには、世界が広がっていた。
 男たちが忘れていた、それはかつての世界の姿だった。

「穂乃果……」
 俺はつぶやく。
 はじまりは、ほのかなものだった。
 最初はささやかで、ぼんやりとしたそれは、やがて大きく育ち、実っていった……。

「Little bird……(ことり)」
 ある男は、いつかの朝に聞いた小鳥のさえずりを思い出していた。
 今は耳朶が醜く裂かれて潰れ、黒い穴となったそこに響いた、たしかな音。
 それは巣立ちの音。力強い羽ばたきの前兆だった。
 誰もが耳にしていたはずの、あまねく可能性の音だった。

「Sea……(海未)」
 ある男は、夜明けの海を思い出していた。
 海で生まれ、海で育ち、海にすべてを奪われたのち、海で悪逆非道の限りを尽くしてきた。
 鈎状の義手となった片手には、もはや掴めるものは何も無い。
 男はそのことに初めて気づき、涙した。

「Star……(凛)」
 ある男は、空にまたたく星を思い出していた。
 いつものように酒場でカードで負け、有り金を巻き上げられ、殴られ、路上に放り出され、顔面に唾を吐きかけられた。
 ああ、けれども、なぜだかそんなときは……決まって星が綺麗だった。

「Hope……(希)」
 ある男は、ただわけも分からず喉を震わせていた。
 死んでやろうと思っていた。ポン引きを殴って小銭を手に入れ、ありったけのクスリを買い、そのすべてを一気にキめて極彩色の地獄に落ちてやろうと思っていたのだ。
 それが望みだった。望みだったはずなのに……今はその行為がつまらないものに思えた。

「Smile……(にこ)」
 ある男は、笑い方を必死に思い出していた。
 彼が笑うときは、愛用のショットガンを向けた相手の顔が恐怖に引きつるときだった。笑いとは常にそのようなものだった。
 まるでシーソーのように、自分の笑いが相手の恐怖に変換される。相手が恐怖した分だけ自分は笑顔になれた。
 だが生まれて初めて彼は、何の意図も効果もない、ただの笑いを浮かべようとしていた。

「Princess……(真姫)」
 ある男は、かつて一度だけ心から愛した女を思い出していた。
 最悪な男にふさわしく、女もまた最悪だったが、それでもあれは愛だったのだと唐突に気づいた。
 いつだって大事なことは遅れて気づくし、たいていは取り返しがつかない。
 それは重々承知の上だったが、それでも彼は胸を裂かれるような痛みを感じ、しばし肩パッドを震わせた。

「Картина……(絵里)」
 ある男は、薄れかけた意識の中で、幼い頃に見た絵画を思い出していた。
 冬に閉ざされた遠い祖国の生家で、暖かな暖炉のそばに飾られた家族の絵。
 四角い額縁の中でたたずむ、父と母と妹と自分。
 腹に開いた穴からは、とめどなく赤いものが流れ続けている。やがて彼の身体は急速に熱を失い、冷たくなっていった。



 上映が終わり、俺は自らの世界へと帰ってきた。
 銀幕の向こうに見えた世界は消え失せ、すえた臭いに包まれたおなじみの世界がやってくる。
 終わりの向こうには新たな世界があった。
 それでは、さらにその世界の終りにはなにがあるのだろう。
 また違う世界が現れるのか?
 それとも、そこで本当の終わりが訪れるのか?
 あるいはどこにも終わりなどないのか?
 
 しばらく俺はシートに埋もれたまま時を過ごし、やがて人の気配が失せたシアター1を出るために立ち上がった。
 シアターの出口の横、薄汚れたシートにもたれ、一人の男が死んでいるのが視界に入った。
 異国の風貌を持つその男は、小口径弾で撃たれたとおぼしき腹部からおびただしい血を流し、真っ赤な海に沈んでいた。
 死にかけた者が逃げ込んでくるなど、ピカデリーでは珍しくもないことだ。
 死にかけていた者が死んで死体になった。ごくごく日常的な光景だった。
 だが……その男は、どこか安らかな表情を浮かべていた。それはとても珍しいことだった。広い砂漠を彷徨した末に見つけた泉のように、とてもとても稀有なことだ。
 彼は最期になにを見たのだろう……と思い、それはもちろん劇場版ラブライブ!しかないことに遅れて気がついた。
 血にまみれ襤褸布のようになった彼の服の上に、一枚の小さな紙片が置かれていた。
 入場者特典に封入されているスクフェス用のシリアルコードが記された紙。
 目を凝らすと、

「SR 小泉花陽」

 と書かれているのが見て取れた。
 それはすでにコードを入力して用済みになったために捨てられたのかもしれない。あるいはスクフェスのプレイヤーではない者が不要として捨てただけかもしれない。
 まっとうに考えればそれはゴミ以外の何物でもない。
 そう、ゴミクズだ。
 この世界を構成する、あまりにありふれた普遍的なものだ。
 この紙もそうだし、死んでいる男もそうだし、さらに言えばここにいる俺自身や他の男たちがそうだった。
 だが俺は、それが男にたむけられた花のように思えた。
 死出の旅路を彩る、小さな白い花。小泉花陽……。
 ここにいた、ろくでもない野獣たちの誰かが、死者に花を供えた?
 それはあまりに馬鹿げた考えだったが、今しがたの映画の体験を思えば、頭のどこかで認め、頷くこともできた。

 劇中で「誰か助けて」と小泉花陽は言った。
 俺たちは「ちょっと待ってて」と心の裡でつぶやいた。
 けれど本当は、救いを求め、待っているのは、彼女ではなく俺たちなのかもしれない。死者を悼む行為が、常に生者のためにほかならないように。
 そんなやくたいもない考えを軽く頭を振って追い出し、男の亡骸に背を向ける。
 血溜まりを踏み越え、赤黒い足跡を点々と残し、そうして俺はシアターを出て猥雑な外の世界へと戻っていった。

ヤマノススメ

2014/09/12

 アニメ「ヤマノススメ」をセカンドシーズン含めぶっつづけで視聴しました。

 ゆるふわガールズ登山アニメの金字塔であり、ヒロインを演ずる井口裕香と阿澄佳奈の頭蓋がとろけそうなボイスが交互に襲い来るおそるべき作品です。気がつけば高山病よろしく脳に酸素が行き渡らなくなり、正常な思考を失いがちになる危険なアニメでした。
 途中からは小倉唯までもが加わり、ほとんど生体兵器の域に達している甘ったるい声音までもが混ざるようになり、あやうく涅槃のむこうに落ちかける意識が、かろうじて日笠陽子の声によって踏みとどまる……そんなアニメです。

 あと、観た人はみんな同じ感想を持つと思いますが……とにかく主人公のひなたとあおいの家がでかいんですよ。
 ルビをふるなら……そう、”巨(デカ)”いんですよ。
 その華美壮麗さたるや、豪邸という言葉すら生ぬるいほどです。
 風呂は当たり前のように優雅な檜造りで、部屋の中にしれっと大理石とおぼしき石段があったりして、もはやちょっとした神殿です。おそらく家の奥には巨大なポセイドン像とか祭壇とかがあると思います。もちろんポセイドン像は突然動き出してこちらを襲ってきます。
 家の庭で女の子たちが普通にテントを張ったり自炊してキャンプができるほどの豪邸です。ていうか、もう君たちあえて山とか外へ行かなくてもいいんじゃねえかなとすら思いました。
 すげえよ飯能。石油でも産出しているんでしょうか。

 しかし、ここな(CV:小倉唯)の家はわりと普通のアパートでした。たぶん六畳二間ぐらい。
 どんだけ貧富の差が激しいんだよ飯能。
 少しは分けてやれよ土地を。そして部屋を。
 あと、ここなは同学年の友達がいなさそうで心配。むしろいじめられてそうな気がして心配です。あんなアイドル声優みたいな声してたら、周囲から「媚びた声(ボイス)出しやがって」などと迫害されそうです。俺だったら迫害する。あまつさえ1回100円ぐらい払って目覚ましボイスとかを録音させてもらう。

 先輩キャラのかえで(CV:日笠陽子)も友達少なそうな気がします。
 高校生の身で単独縦走しまくっているとか、かなりのハードコアな山っぷりです。
 たぶん普段は「登山」なんて生ぬるい用語を使わず「山をやる」とか言ってると思います。
 いずれ冬の谷川岳の鬼スラで生死の境をさまよったり、エベレストの南西壁冬季無酸素登頂に挑んで生死の境をさまよったりしそうな感じです。
 ちなみに携行食として愛用しているチョコレートは、のちのちの重要な伏線と見て間違いありません。夢枕獏「神々の山嶺」的には、チョコレートは「羽生の手記」と「マロリーのカメラ」に並ぶ三種の神器と称しても過言ではない超重要アイテムですので。
 なんだかんだで、このアニメ唯一のお色気(おっぱい)要員なのですから、あまり生命を粗末にしてほしくないところです。
 三つ峠帰りの温泉回は、今後も繰り返し視聴したいと思います。
 本当にありがとうございました。

心滑らかになる(ブレンパワードED曲より)

2013/11/05

 往年の名作アニメ「ブレンパワード」をすべて視聴するという荒行をこなしたのですが、あらためてしょーもない大人(とくに両親)が反省したりしなかったりする話でした。大人はもっとしっかりしなさい。
 二十数回もOPとEDを観たおかげで、登場人物のIN MY DREAM的な女性の全裸に耐性ができると同時に、とてつもなく心が滑らかになりました(KOKIA的に)

 あと毎回冒頭に入る比瑪ちゃんの「先週のブレンパワード」は、今観てもあまりにエキセントリックでした。新キャラとして複数のアンチボディを引き連れて颯爽と登場したナッキィ・ガイズを「戦力になりそうでならなかった」とばっさり斬って捨てるあたりもすごい。
 
 個人的に好きなブレンパワード台詞ベスト5


5位「おまえのブレンパワードの扱い方、イエスだね!」
 比瑪ちゃんに再会した勇が感極まって言い放った言葉。グッド(良い)でもバッド(悪い)でもない、第三の価値観を俺たちの前に提示してみせた。
 無性に日常生活で使いたくなる言葉。


4位「この子、優しい目をしてるよ」
 比瑪ちゃんが生まれたてのブレンパワードを見て言った言葉。
 その言葉とは裏腹にブレンの目が邪悪な感じで赤く光るので、すごく不安になる。


3位「ごめん、覚えていない」
 クインシィ・イッサーを自ら名乗ってはばからない面倒くささを発揮していた姉・伊佐未依衣子が、珍しく優しい顔で思い出話を語っていた際に、勇が言ってしまった言葉。
 そのあまりの即答っぷりにイッサーはブチ切れ、二人は再び険悪なムードで別れてしまう。
 その後「なにが不満なんだ!」と残された勇が叫んでいるが、どう考えても「おまえのリアクションだろ!」とつっこまざるを得ない。


2位「オーガニック的なもの」

 劇中のほぼ9割方の現象がふんわりと説明できてしまう便利な言葉。
 理屈のよくわからない現象や理論、人物の奇矯な行為および愉快な台詞もすべて「オーガニック的なもの」で済まされてしまう傾向がある。物語中の謎であるビー・プレートを探す際も、やはり合言葉は「身近で一番オーガニック的なもの」であった。
 あと、いろいろ悩んでる人に対しては「あいつ、ナイーブなんだ…」と思っておけば間違いない。


1位「死ねよやーっ」
 バロンの名台詞……と長年思っていたが、実は息子のジョナサンもさりげに使っていた。ブレンパワードはこんなしょーもないところで親子のつながりを表現するおそろしい作品である。
 とりあえず気に食わない相手に投げかけると異常にテンションがあがる上に、搭乗するバロン・ズウもでかくなる魔法の言葉。
 ところでジョナサンは「あやつはァー」などと、たまに時代がかった言葉を使う。
 比瑪ちゃんは「なーんて下品な赤色なんでしょ」などと、若者らしからぬ言葉を使うが可愛いので許される。


 昔から好きですが、やはりバロンとジョナサンが素晴らしかったですね。口先と卑猥なジェスチャーを駆使して主人公を泣かすという伝説的なジョナサンの煽りも圧巻であり、いつも胸ポケットに指を入れているのも気になります。
 それはそうと、息もつかせぬ修羅場につぐ修羅場(主に深刻な家族問題)で、次々と名台詞が炸裂する名作……いやオーガニック的作品の金字塔といえましょう。

小鳥遊六花・改 劇場版 中二病でも恋がしたい!

2013/09/23



 劇場版「中二病でも恋がしたい!」であるところの「小鳥遊六花・改」を観覧してきた。

 当然、新宿ピカデリーである。
 なにがどう当然なのか自分でもうまく説明できないが、このような劇場アニメを視聴するのに新宿ピカデリーという場所は、なんというかこう、しっくりくるのである。
 三連休の真ん中の日、朝九時の回をオンラインで予約していたので、普通に出勤するのとそう変わらぬ時間帯で家を出て、電車に乗り、新宿ピカデリーにたどり着いた。
 早朝でまだ開いている店も少ないせいか、新宿の街は少し人通りが少ないように思えた。
 ピカデリーの入り口には、十数人の男女がたむろしていた。どうやらまだ入り口が閉まっているらしかった。俺が到着するとほぼ同時に自動扉が開け放たれ、よく訓練された兵士のように彼らは屋内へと吸い込まれていった。俺もその流れに乗り、映画館へと足を踏み入れた。
 手早く排尿を済ませ、込み合う前にパンフレットを買い求めたあと、エスカレーターでシアター1へと向かい、予約した席に座る。
 しばらくして場内が暗くなると同時に、周囲のざわめきがぴたりとおさまる。ポップコーンをかじる音すら聞こえない。限りなく統制された者たちのみが生み出しうる無音の空間が創出された。
 さすがに日曜の朝っぱらからここに座っている連中はものが違う。彼らも新宿ピカデリーという場所に「しっくり」くるものを感じているのだろうか……。

 予告編のあとに映画本編がはじまり、少しばかりの時が流れた。
 忘れがたい至高のとき。至福の時間。


 気がつくと俺は電車に乗っていた。
 電車に乗って、どこかへ向かっているらしかった。
 夢か?
 夢かもしれない。俺は自分以外に誰も乗客がいない車両で、ぽつりと緑色のシートに腰掛けていた。車窓からは夕焼けとも朝焼けともつかない陽の光が強く差し込んでいる。
 俺の膝には、開場前に買い求めた映画のパンフレットが乗っていた。1200円もしたが納得できるつくりの逸品である。
 とりあえず俺はそれをめくってみることにした。
 そして、今しがた体験した「小鳥遊六花・改」の余韻に浸った。

「ほう……くみん先輩の胸囲は89cm……かなりのものとは思っていたが……」
「自分より二回りも下の女の子に『先輩』はないでしょう」
 不意に声がして、俺はキャラ紹介の頁から顔をあげた。
 俺の真向かいに男が座っていた。男というよりは、少年と呼ぶほうが適切だろう。彼は詰め襟の学生服を着ていた。たるんだ頬に薄笑いを浮かべて、声変わりを迎えたばかりと思わせる低く聞き取りにくい声音で言葉をつづけた。
「くみん先輩はあざといと思うんですよ……おっぱいが大きいから許しますが……」
「あざとくてなにが悪い。そんなことを言ったら……」
 俺はそこで口をつぐんだ。そしてこわごわと疑問を口にした。
「おまえは誰なんだ……その前に、ここはどこなんだ」
 なかば自分に問うようなかたちの言葉に、少年はそっけなく応じた。
「わかりませんか」
「まさかとは思うが」
「はい」
 俺は言った。
「おまえは俺か?」
 彼はうなずいた。
「うわあ、マジか……」
「マジです。十四歳のあなたですよ」
「あっ、そうだ。過去の自分に会ったらスポーツ年鑑的な情報を渡さないと」
 ビフ・タネン的な思考にとらわれた俺を一蹴するように、十四歳の俺は言った。
「無用ですよ。これは、そういうあれではないですから」
「なに……じゃああれか。なんというか……これは精神世界的なあれか」
「言ってしまうと、そうですね」
 俺は深いため息をついた。

 電車は絶え間なく俺の身体を揺らしながら、どこかへ向かっていた。
 俺を遠くへ運ぼうとしているようにも感じられたし、同じところをぐるぐると回っているようにも思えた。
 明日に向かっているかもしれないし、昨日に進んでいるのかもしれなかった。

「中二病って、なんなんですかね」

 昨日よりもなお遠い日の俺が、俺にたずねた。
 中二病(あるいは厨二病)とは、なにやらファンタジー的な設定に取り憑かれ、痛々しい言動や行動をとってしまう状態をさす。誰にでも少しぐらいは経験のある若気の至りとでもいうか……。
 ちなみに「中二病でも恋がしたい!」は、過去に重度の中二病だった過去を持つ少年・富樫勇太が、過去を封印して入学した高校で、ばりばり現役の中二病少女・<邪王真眼>小鳥遊六花と出会う……という物語である。

「ばりばり現役の十四歳、すなわち中学二年生の俺から言わせれば」
 彼は口角を醜く歪めた。
「中二病っていうのはつまるところ性欲ですよ。ちっぽけなくせにおそろしく深刻で、行き場のない性欲。可愛い女の子が空から降ってこねーかな。それでいろいろあった末におっぱい揉ませてくれねーかな……毎日毎日、授業の合間や登下校の最中、そんなことばかり鬱々と、悶々と考え、想い、必死に願っている。要するにそういう状態のことですよ」
「それはそうかもしれんが、だからなんだと言うんだ」
「恋が成就した瞬間、中二病は治癒する」
 彼は重ねて言った。
「中二病でも恋はできますが、恋が成就したなら中二病ではいられません」

 いつの間にか、電車は徐々に速度を弱めはじめていた。
「女の子とデートしてみたり、手を握ったり、おっぱいを揉んだ瞬間に、もうその病を患う必要はないんです。卒業ですよ。渇きと飢えに苛まれつづける妄想の世界から、満ち足りて充実した現実への。俗にいうリア充ってやつです。リア充爆発しろってやつですよ。まあ爆発しそうなのはリア充な方々を眺めながら内側にいろんなものを溜め込んでいる俺たちのほうなんですが」
 彼はつとめて軽い調子で話していたが、そこにはどうしようもなく深刻なものが滲んでいた。
「でもいつかは自分も……そう思って心の平衡を保つんです。だって俺には未来がある。十四歳ゆえの盲目の希望がね」
 希望のかけらも感じさせない口調で少年は言った。
 まあ、気持ちはわかる。ほかならぬ俺の気持ちは、俺が一番よくわかる。この俺に……二十年後の俺に言いたいこともよくわかる。わからないでもない。
「それはともかく『中二病でも恋がしたい!』……すばらしいアニメでしたよね。でも、つきつめればアニメはアニメでしかありませんからね。登場人物を演じる声優さんは中二病とはほど遠い成功者だし、作画、演出その他もろもろ製作者の方々は才能にあふれた世界に誇るクリエイターです。俺たちが観ているスクリーンにも、その向こうにだって……本当の中二病なんてどこにもないんですよ。それがあるとするなら」
 昔の俺はそこで言葉を切り、黙ってこちらを見つめた。いかにも十四歳らしい、いい具合に濁って煮えたくった混沌たる感情が渦巻く双眸が、俺の姿をとらえていた。
 やがて、どこかへ行き着いたらしい電車はゆっくりとその動きを止めた。どこにも行けず、どうにもならなくなった車中の空気を吐き出すような音をたててドアが左右に開いた。
「……くみん先輩の乳に感心してる場合じゃねーだろってことですよ」
 吐き捨てて、十四歳は電車を降りていく。
「なあ」
 俺はその背中に思わず声をかけた。
「それでも、六花は可愛かったと思うんだよ」
 彼は振り返らなかった。
「勇太はがんばっていたと思うんだよ……俺は」
 ドアが閉まった。

 電車はもう動き出すことはなく、俺は新宿ピカデリーのシアター1の真ん中あたりの座席に深く腰掛けていた。すでに場内の照明は点灯し、退場をうながす放送が繰り返されていた。
 自動的にどこかへ俺を運んでくれるものもなく、誰もいなくなったシアター1の中心。六花も勇太もくみん先輩も映ってはいない白いスクリーンを一瞥して、俺はよっこらせと重い腰をあげた。
「嫁にするならモリサマちゃんだがな」
 もしも誰かが聞いていたなら虚しく絶望に満ちた言葉だと思われたかもしれないつぶやきを小さく木霊させながら、俺はいささか「しっくり」きすぎた感のある新宿ピカデリーをあとにした。

獏ライブ!その2

2013/04/18

第6話「センターは誰だ?」


 穂乃果の部屋に、三人の女が集っていた。
「おう、これに歌詞を」
 東條希が、一冊の擦り切れた帳面を手にしながら言った。手垢にまみれ、汚臭が漂っていた。表紙全体が灰色をしている。タイトルを書き入れるためのスペースには、小さく”歌詞”とだけ、黒いボールペンで記されていた。
 スクールアイドル活動についての話を聞きに来た希は、興味深げに二人が語る言葉に耳を傾けている。
「歌詞はだいたい海未先輩が考えている」
 凛が短く言った。
「ほう。では新しいステップを考えるのは――」
「それはことりが考えている」
 間髪入れずに穂乃果が答えた。
 誇らしげに太い笑みを浮べているμ'sのリーダーに、希は問うた。
「では――穂乃果、あなたは何をしているん?」
「うむ」
 しばし黙考し、穂乃果は言った。
「私は飯を食らう」
「私はテレビを視聴する」
「私は他のアイドルたちを見て、”凄いな”と思う」
「そして私は、海未とことりと二人の応援をしている」
 そう答えた。
 満ち足りた月のごとく、欠けたるもののない答えであった。

「それだけなん――」
 希は魂魄を抜き取られたような面持ちでつぶやいた。



問 スクールアイドルのセンターを担うべきリーダーについて問う。
答 誰よりも熱い情熱を持ち、皆を牽引する者である。
問 重ねて問う。リーダーとは何か。
答 皆の精神的支柱になれるだけの懐の大きさをもった者である。
問 なお、重ねて問う。リーダーとは何か。
答 皆から尊敬される存在である。
問 リーダーとは、矢澤にこか。
答 ――――
問 なお、重ねて問う。リーダーとは、矢澤にこか。
答 ――――

 「音芸教典」巻ノニ 問答篇より



「けっきょく、誰がリーダーをやるのだ!?」
 業を煮やした真姫が声を荒げた。
「歌、ダンス、アイドルとしてのオーラ。どう比べても結論が出ぬ」
「皆、同じか――」
 答えの出ない問いであった。場の空気は澱み、誰もが出口のない迷宮に入り込んでしまったような困惑をおぼえていた。

「じゃあ、いいのではないか。リーダーなどなくても」

 そう、穂乃果が言った。
 力に満ちた言葉であった。
 全員の驚愕を尻目に、気負いのない表情で言葉を続けた。
「リーダーとは、あってなきがごときもの……すなわち虚無であろう。私たちの歌と踊りとは何の関係もあるまい」
「――」
 部室はつかの間、沈黙に支配された。
 やがて、かすれた声で真姫が反駁した。
「しかし……センターはどうするのか」
「ああ」
 我が意を得たりと言わんばかりに、穂乃果は大きくうなずいた。そして、
「全員がセンターをやればよい」
 と言った。
 己を指さし、
「私がセンターである」
 次に海未を指さし、
「お前もセンターであり、すなわち私である」
 ことりを指さし、
「お前もセンターであり、すなわち海未であり私である」
 同じように凛、真姫、花陽を指さして宣言した。
「お前たちも皆センターであり、同時に私自身でもある」
 矢澤にこが渋面を浮かべながら訊いた。
「このにこも、センターなのか?」
「そうだ――」
 穂乃果が……いや、今やμ's全員の総意である者が答えた。
「にこ先輩、あなたもセンターであり、同時に私である。全員が等しく歌い、踊り、廻り、隣の者の手を握る。それは尾を飲み込む蛇の連鎖であり、永劫に続く螺旋である。その意味で、私たちは皆、等価なのだ」

 ごう……

 吼えた。
 今や一つになった彼女たちは、ひとかたまりの巨大な呼気を放出した。
 どこからともなく、風の唸りにも似た響きが届いた。
 それはきっと、青春と呼ばれる音であった。



「でも……本当は誰がリーダーにふさわしいのだろうか?」
 練習をするために屋上へ向かう道すがら――
 そう誰かが問うた時、すでにその答えは皆の心にあった。
「そう、それは――やはり――」
 問いを発した瞬間に答えが生じ、問いがそのまま答えとなった。
 誰よりも早く階段の果てるところへ辿り着いた穂乃果が、叫んだ。
「じゃあ開始(はじ)めよう――」
 解き放たれた扉から、露天の柔らかな光が今や一つのものとなった皆の上に降り注いだ。すでに問いも答えもなく、ただ歌と踊りの熱気が生じる前の心地良い静寂だけがあった。

獏ライブ!

2013/03/12

アニメ「ラブライブ!」がおもしろいので、各話の見どころを夢枕獏風に紹介したい。


第1話「叶え!私たちの夢——」

「廃校――」
 高坂穂乃果は目眩を感じた。
 年々生徒の数が減じている。ゆえに廃校。
 明快であった。
 そのあまりに明快すぎる論理が、穂乃果の眼前に硬い石壁のようにそびえていた。



「おまえたちが、スクールアイドル活動だと」
 生徒会室は澱んだ空気に満ちていた。
「認められぬ」
 生徒会長と名乗ったその女は、穂乃果たち三人を睨めつけながら拒絶の言葉を口にした。
 露国人の血が混じっているらしい。羆のような体軀であった。
 だが――
 白い、嫋やかな指をしている、と穂乃果は思った。
 会長の放った、
 しゅう……
 という獣の呼気にも似た冷気が肌をなでた。
 ぶるり、と肉が震えた。
 だが、同時にその言葉は熱い何かを感じさせた。
 熱――
 熱である。
 長い時をかけて火中で炙られ、歪にねじくれた鉄のごとく、冷めやらぬ熱を秘めていた。



 三人は生徒会室を退室し、校舎を後にした。
 その歩みは、重い。
 重い、足取りであった。
「なあ、穂乃果よ」
 それまで黙していたことりが、短く問うた。
「やるのか」
 問われた穂乃果は――歌った。
 高らかに歌いながら、走り出していた。

――だって 可能性感じたんだ
――そうだ……ススメ!

 走っている。
 穂乃果は、走っている。
 何故、走っているのか。
 自分は何に抵抗しているのか。
 スクールアイドルで生徒集めなど無理だと言われたことに対してか。
 それを受け入れるしか無い現実に対してか。
 わからない。
 わからない穂乃果が歌っている。
 傍らには、南ことりと園田海未がいて、同じように歌っていた。
 彼女たちは疑いようもなく――終生の友であった。

「わたし、やる」
 歌い終え、その躍動を止めた穂乃果は言った。
 力に満ちた言葉であった。
「やるのか」
 海未の問いに、少女は太い笑みを浮かべた。
「やる。やるったら、やる――」
 桃花の下で笑った。
 春である。
 たまらぬトゥモロウであった。


第3話「ファーストライブ」

「テンポが遅いぞ、穂乃果っ」
 海未の叱咤が飛ぶ。
 なんという声であろうか。
 それは雷鳴であった。
 細身と呼んでもよい海未の身体が、急に一回り大きくなり、ぐうっと迫ってくる。
 穂乃果はしにものぐるいで踊る。
 ファーストライブに向けた、特訓である。
 校舎の屋上には、熱が満ちていた。

 脚が痛かった。
 動くたび、みりみりと靭帯が伸びる音がした。
 それでも穂乃果は笑っていた。

 地には南ことりが転がっていた。
 ことりは血の小便を赤い河のように漏らしながら、失神していた。
 後背筋を鍛えるために重い米俵を腹の上に載せ、大きく仰け反るという常軌を逸した鍛錬のさなか、ついに限界を超えて忘我の地へ旅立ったのである。
「くむっ」
「くむっ」
 痙攣しながら、ことりは小さく呻いていた。
 中天の下、穂乃果はアンモニアの匂いを両の肺に吸い込んだ。
 臭い――
 その匂いは、さらに強くなってゆく。
 それは近づいてくるライブ――「生」の鼓動であった。



「始まるな」
「そうだな」
「わたしたちは、やるだけのことをやった――そうだな」
「ああ」
 ファーストライブが、始まろうとしていた。
 開幕直前のステージに立ち、穂乃果たちは互いに笑みを交わした。
「ゆくか」
「ゆくのか」
「ゆこう」
 眼前の暗褐色の緞帳がゆるゆると昇ってゆく。
 そこには――

ラブライブ無人

 そこには、何者もいない。
 何者も存在しなかった。
 それは寂寥であった。
 それは虚無であった。
 それは虚空であった。
 空であり、無であった。

 ステージに立つ三人の瞳は、奈落のような色をたたえていた。
 やがて穂乃果が言った。
「うむっ」
 唇に、悲愴な笑みを浮かべていた。
「それはそうだ――世の中、そんなに甘くはない」
「穂乃果」
 ことりが言った。
「穂乃果よう」
 海未が言った。

 そこへ――
 一人の女生徒が講堂へ駆け込んできた。無人の客席を見て、驚いている。
 まさか、もうライブは終わってしまったのか――
 困惑の表情を浮かべ、右往左往していた。

 それを見て、穂乃果は笑った。
「やろう」
 笑いながら、言った。
「やるのか」
 海未が問うと、穂乃果は、ごうっと炎のような息を吐いた。
 なんだ。
 なんなのだ。
 この娘から感じる、この熱いものは――

「全力で、歌おう」

 その言葉を耳にした二人の体内に、得体の知れないものがせり上がってきた。
 深く――
 深く、空を吸った。
「ひゅうっ」
 誰もいないはずの虚空を飲み込むように、強く吸い込んでいた。
 身体の奥底に渦巻き堆積してゆくそれを、丹田からゆっくりと導く。
 やがてゆるりと腹と胸を巡ったのち、大きく開いた口腔から解き放った。

 獣の咆哮にも似た、それは産声であった。




「――」
 講堂に駆けつけた唯一の観客。
 小柄な眼鏡の少女――小泉花陽は、たまらず失禁した。
 そうさせる力が、穂乃果らの歌に込められていた。
 すさまじい代物であった。

「これは、すごいな」
 髪の短い、活発な印象の少女が花陽に寄り添っていた。
「すごい――」
 花陽の尿の量が、ではない。
 ただ彼女に付き添って訪れただけの講堂。
 そこで、ほとんど観客もいないままに歌っている三人が、である。
「これが、スクールアイドルか」
 微笑みながらそれを、じいっと見ている。



「ふん」
 穂乃果たちの歌を眺めながら、生徒会長は肉食獣の呼気にも似た吐息を漏らした。
 スポットライトの下で輝く三人に、翡翠のように美しく怜悧なまなざしを向けていた。
「まだ、ぬるい――」



「認めぬ」
 小柄な三年生が、座席の陰で爪を噛んでいた。
「にっこ、にっこ……にいん」
 狂おしく目を血走らせた少女は、喉から臓腑の塊を吐くようにつぶやいた。



「完敗からのスタート、か――」
 その女は、講堂の扉の前の壁に背を預け、泰然と少女たちの歌声を聞いていた。
 生徒会副会長の東條希である。
 太い、女であった。
 それはただそこにある山であった。
 あるいは海と呼んでも許された。
 ただそこに在るだけで、すべてを内包していた。
「――」
 希は丸太のような胸を揺らし、先刻から通路の陰に隠れているもう一人の少女に視線を放った。
 びくり、と小さな肩が震えた。
 隠れていたのは、西木野真姫という名の一年生であった。
 歌が好きで作曲の技にもたけており、穂乃果たちに密かに楽曲を提供したものの、素直に仲間になれない不器用な娘であった。
 真姫は、副会長の意味ありげな視線を疎ましく感じた。
「なんなの」
 必要以上に剣呑な言葉が口をついて出た。
 なんなのだ。
 まさか私は、怯えているのか? この女に――
 つう、と頬に汗がにじむ。
 真姫の挙措を鑑賞して堪能したというように、希は黙って太い笑みを浮かべた。
 どきり、とした。
 異様な笑みであった。

 知っているぞ――
 わかっているぞ――

 女はすべてを見通し、万物を掌上に転がし、薄く嘲笑ってさえいるかのようであった。



 歌を終えた穂乃果たちに、生徒会長は言った。
「これから、どうするの」
 凍えるような声音の中に、底知れぬ熱を秘めた問いであった。
 熾烈な問いかけであった。
 しかし、穂乃果は臆することなく言った。
「やります――いつか、ここを満員にしてみせます」
 瞳には星のような輝きを宿していた。
 不意に、その場にいたすべての者の胸に――
 どくん、
 という音が木霊した。

 ああ、そうか。
 はじまるのだ。
 とうとう、はじまる。
 わたしたちの――

 開闢を告げる脈動だった。
 それは始まりの、鼓動であった。



 やるよ……。
 穂乃果は両隣にいる友に、囁くように言った。

 ことりよ。
 海未よ。
 わたしについてこい。
 わたしは必ず、ここを満員にするだろう。
 わたしは休まない。
 もしも、わたしが疲れただのなんだのと言って休もうとしたら、わたしをセンターから引きずり下ろせ。
 わたしのステージ衣装を剥ぎ取り、色とりどりのサイリウムを秘所に突き立てるがいい。

 ことりよ。
 海未よ。
 そしてまだ見ぬ未来の仲間たちよ。
 約束するぞ。
 スクールアイドルとして天下を取る。
 必ず廃校を食い止めてみせる。
 それが、わたしにできることだ。
 それのみが、わたしにできることだ。

 そうして穂乃果は、光と闇が交錯する舞台へ足を踏み出していった。


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