2005.09.25(Sun)
ベトナム爺さん
バイト先の、とある同僚の話をしよう。
俺のやっているバイトというのは、ある港湾倉庫の中のひとつで、遠洋漁業の漁師さんが捕ってきたたくさんの蟹たちがひしめく網カゴを見張る仕事。
常に二人組み(ツーマン・セル)で、それぞれがカゴから2メートル離れた場所に事務用椅子を置いて座り、ひたすら蟹たちがあふれ出さないように注意する。自給990円。
シフトの関係上、俺はベトナム爺さんと組むことが多かった。
ベトナム爺さんは右足のスネから先が義足の、50から60がらみの老人だ。
足はベトナムで失ったらしい。だからベトナム爺さん、と俺の中ではそう命名されている。
「……おらァ元傭兵でな」
と、蟹の動きを眺めながらベトナム爺さんは言った。嘘か本当かわからない数々の戦場話を、俺は数え切れないほど聞かされた。
「坊主、銃撃ったことはあるか? 無い? そうか。すごいぞ、アレはな。いや、よくよく考えるとすごくなんかねえんだよ、アレはよ。火薬で鉛ン弾ァすごい速さでぶっ飛ばしてるだけだしよ。引き金を引くと「たたたん」ってよ。三点バーストってやつでよ。相手の胸の辺りに三つ穴が空くんだよ。すんげぇ簡単だよ。簡単に死ぬんだよなぁ……いやほんとによ、アイツいったい何のために生まれてきたんだろナってぐらい。親父とお袋が夜な夜な頑張ってよ、十月と十日お袋が腹を痛めてやっとこさァこの世に生まれてよ。言葉もしゃべれず腹が減ってはギャアギャア泣き喚いて、糞を漏らしては泣き喚いて。それがちょっとずつ大きくなってよ。悪戯とかしてたんだろうよ、きっとガキの頃は。それで学校とか行ってよ、いろんな友達できたり、いっちょまえに女の子好きになったりしてよ。それぐれぇになると親に反抗したりとか、難しい年頃だったりしてな。でもまァ親父とかにしてみりゃア、おお我が息子よ、ようここまで成長したなァってなもんだろ。それがよ、おらァの指先がちょいっと引き金絞ってよ、「たたたん」で終わりだぜ。全部。なぁオイ。あァ、うん、まだ子供だったよ、おらが殺したのはさ。アレ少年兵っての? なァ……」
ベトナム爺さんの話は、たいていが戦場で人を殺したときの話だったが、それは近代の突撃銃を使った話だったり、艦載機で相手の機体を撃破した話だったり、ベトコンを竹槍で突き殺した話だったりした。
俺は愛想良くそれらの話に相槌を打ちながら、わさわさとカゴにひしめく蟹どものはさみを見つめていた。
ある日、ベトナム爺さんが仕事を辞めると言い出した。
聞けば漫画家になるのだと言う。
「これからはクリエイターだべよ。いや、むしろびっクリエイター」
オチらしきことを口にするベトナム爺さんの顔は、わりと晴れやかだった。俺は素直に、彼の新しい門出を祝福した。心の中で。
最後のシフトが終わり、彼は職場の人々に挨拶をして、義足を引きずりながら去っていった。
別れ際、ベトナム爺さんは俺に古びた本をくれた。
それは何度も何度も読み返されたらしく、手垢にまみれた彼の愛読書だった。
表題にはこうあった。
「ルパンに会いたくて…」横山智佐
たぶんとびっきりの困惑顔を浮かべていたであろう俺に対し、ベトナム爺さんは「しかもこれ、実は3巻まであるから」などと、何をどう受け取っていいのかわからない情報を添えつつ、ある意味完全に投げっぱなしのまま、職場を去った。
俺はこの本を破棄するべきか迷ったが、けっきょくのところ未だ手元に置いたままでいる。
それはそうと、今日もカゴの中の蟹が勢い良く左右に動き回り、はさみを振り回している。俺は椅子に座りながらそれを眺め、蟹たちがいつか、いつの日かカゴの中からあふれ出さないかと、黙々と見守っている。
俺のやっているバイトというのは、ある港湾倉庫の中のひとつで、遠洋漁業の漁師さんが捕ってきたたくさんの蟹たちがひしめく網カゴを見張る仕事。
常に二人組み(ツーマン・セル)で、それぞれがカゴから2メートル離れた場所に事務用椅子を置いて座り、ひたすら蟹たちがあふれ出さないように注意する。自給990円。
シフトの関係上、俺はベトナム爺さんと組むことが多かった。
ベトナム爺さんは右足のスネから先が義足の、50から60がらみの老人だ。
足はベトナムで失ったらしい。だからベトナム爺さん、と俺の中ではそう命名されている。
「……おらァ元傭兵でな」
と、蟹の動きを眺めながらベトナム爺さんは言った。嘘か本当かわからない数々の戦場話を、俺は数え切れないほど聞かされた。
「坊主、銃撃ったことはあるか? 無い? そうか。すごいぞ、アレはな。いや、よくよく考えるとすごくなんかねえんだよ、アレはよ。火薬で鉛ン弾ァすごい速さでぶっ飛ばしてるだけだしよ。引き金を引くと「たたたん」ってよ。三点バーストってやつでよ。相手の胸の辺りに三つ穴が空くんだよ。すんげぇ簡単だよ。簡単に死ぬんだよなぁ……いやほんとによ、アイツいったい何のために生まれてきたんだろナってぐらい。親父とお袋が夜な夜な頑張ってよ、十月と十日お袋が腹を痛めてやっとこさァこの世に生まれてよ。言葉もしゃべれず腹が減ってはギャアギャア泣き喚いて、糞を漏らしては泣き喚いて。それがちょっとずつ大きくなってよ。悪戯とかしてたんだろうよ、きっとガキの頃は。それで学校とか行ってよ、いろんな友達できたり、いっちょまえに女の子好きになったりしてよ。それぐれぇになると親に反抗したりとか、難しい年頃だったりしてな。でもまァ親父とかにしてみりゃア、おお我が息子よ、ようここまで成長したなァってなもんだろ。それがよ、おらァの指先がちょいっと引き金絞ってよ、「たたたん」で終わりだぜ。全部。なぁオイ。あァ、うん、まだ子供だったよ、おらが殺したのはさ。アレ少年兵っての? なァ……」
ベトナム爺さんの話は、たいていが戦場で人を殺したときの話だったが、それは近代の突撃銃を使った話だったり、艦載機で相手の機体を撃破した話だったり、ベトコンを竹槍で突き殺した話だったりした。
俺は愛想良くそれらの話に相槌を打ちながら、わさわさとカゴにひしめく蟹どものはさみを見つめていた。
ある日、ベトナム爺さんが仕事を辞めると言い出した。
聞けば漫画家になるのだと言う。
「これからはクリエイターだべよ。いや、むしろびっクリエイター」
オチらしきことを口にするベトナム爺さんの顔は、わりと晴れやかだった。俺は素直に、彼の新しい門出を祝福した。心の中で。
最後のシフトが終わり、彼は職場の人々に挨拶をして、義足を引きずりながら去っていった。
別れ際、ベトナム爺さんは俺に古びた本をくれた。
それは何度も何度も読み返されたらしく、手垢にまみれた彼の愛読書だった。
表題にはこうあった。
「ルパンに会いたくて…」横山智佐
たぶんとびっきりの困惑顔を浮かべていたであろう俺に対し、ベトナム爺さんは「しかもこれ、実は3巻まであるから」などと、何をどう受け取っていいのかわからない情報を添えつつ、ある意味完全に投げっぱなしのまま、職場を去った。
俺はこの本を破棄するべきか迷ったが、けっきょくのところ未だ手元に置いたままでいる。
それはそうと、今日もカゴの中の蟹が勢い良く左右に動き回り、はさみを振り回している。俺は椅子に座りながらそれを眺め、蟹たちがいつか、いつの日かカゴの中からあふれ出さないかと、黙々と見守っている。
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