個人的ゲーム史3

2012/11/06

■ゲームボーイその2
 俺は高校を卒業するまでに、学校を二回だけ休んだ。
 高校時代にナイフで腹を刺されて入院したときと、中学時代に学校をさぼったときだ。

 その日、学校をサボってみようと決めていた。
 さしたる理由があったわけではない。
 学校が好きというわけでもなかったが、格別に嫌いというわけでもなかった。たいていの十四歳が経験する、世界に対する反抗的なものだったとも思わない。
 と、思っているだけで、実は単にそういうものだったのかもしれないが。

 いつも通りに朝食を食べ、中学指定の学生鞄を持ち、家(例のボロ家だ)を出て、とりあえずすぐ近くにある小さな児童公園に行き、ベンチに座ってみた。そのとき公園沿いの道に、犬の散歩をしている男性の姿が見えた。
 その男には見憶えがあった。アマイケという人で、公園の向かいにある自宅で学習塾を開いている。まずいことに、当時の俺はそのアマイケ塾に通っていた。
 学校の先生というわけではないが、いちおう先生は先生であり、見つかればあまり愉快なことにはならんだろうと俺は思った。
 なんとかアマイケ先生の視界から隠れ、公園から抜けだした俺は、もっと遠くへ行くことにした。
 知り合いに会うことのない、どこか遠くへ。

 そうは言っても当時から行動力に乏しかった俺のことなので、徒歩で小一時間ほど移動したあたりで「そろそろいいかな」という気分になってしまった。学生服で平日に街を歩いていると補導される、という噂を聞いていたが、誰かに声をかけられるようなことはなかった。

 目についた大きな公園の敷地に入り、ブランコに腰掛けてみた。
 周囲にあまり人はいない。少し遠くの噴水広場に、近所の幼稚園児とおぼしき子供たちが数人いて、元気に走り騒いでいるのが見えた。

 俺は学生鞄からゲームボーイを取り出した。
 今振り返ると笑ってしまうが、この日の俺はなにをどう思ったのか、初めてのスクールエスケープのお供にゲームボーイを選んだのだった。
 俺はゲームボーイから伸びたステレオイヤホンを両耳に押し込み、電源スイッチを入れた。
 聖剣伝説のカートリッジが入っていた。
 記憶喪失の少女との出会い。帝国にさらわれた彼女を助けるために、ミスリルソードやらチェーンフレイルだとかを振り回す。
 このゲームの音楽は、どれも名曲と名高い。とくに街を出たフィールドで流れる音楽が好きだ。この曲の旋律を耳にするたびに、俺はこの日のことを鮮明に思い出す。
 子供たちが水遊びに興じる声は、すでに遠い。

 やがて日が暮れ、バックライトのない液晶画面がよく見えなくなってきた。
 昼飯も食べていないので、お腹も空いた。
 俺はゲームボーイの電源を切り、元通り鞄の中に仕舞った。けっきょく俺はなにがしたかったのか。こんなところでゲームボーイに興じたかっただけなのか。
 わけがわからない。呆れるしかない。
 この中学時代の俺が、もし無人島に行くときに持っていくものをひとつ選べと言われたなら、きっとゲームボーイを選ぶのだろう。
 中学生が遊ぶには小さすぎるブランコから冷えきった尻を持ち上げ、俺は公園を出て、来た道を戻った。

 家に帰って夕飯を食べたあと、学校から電話がかかってきた。
 担任の教師は、俺が風邪でもひいて来なかったのだろうと思って確認のために電話をかけ、そこで息子の不登校を初めて知った母親は仰天した。その後、母子揃って学校に赴き、生まれて初めて生徒指導室という場所に入った。
 先生や母親はおそるおそる俺が抱えているはずの深刻な悩み、心の病巣的なものを聞き出そうとしたが、自分でも心当たりがないので答えようがない。
 とにかくすいません、もうしません、と涙ながら各位に謝り、世間様におけるナイフみたいに尖った十四歳の少年たちに比べると非常に締まりのない、なんともぐだぐだで生ぬるい感じで、ともかく俺はその日を終えた。

個人的ゲーム史2

2012/11/03

■PCエンジン
 キヨシくんの家でR-TYPEを初めて遊んだとき感じたことを、今あらためて言葉にすると「次世代感」になるかと思う。白くてしゃれた筐体が持つ、明らかにファミコンとは格の違うパワーに俺は酔いしれた。
 ファミコンカセットとは比較にならぬほど薄く小さいHuカード。
 AボタンではなくIボタン。
 BボタンではなくIIボタン。
 スタートボタンではなくRUNボタン。
 すげえ! ファミコンとは一味違うぜ!
 当時は半ば本気でそう思い、邪聖剣ネクロマンサーだの、弁慶外伝だの、定吉七番だのと、次々と発売されるエッジなゲームに没入していった。
 当然のことながら「大竹まことのただいま!PCランド」も欠かさず視聴していた。ゲームについて素人同然の連中に囲まれ、ただひとり真摯にゲームの紹介をしつづける渡辺浩弐氏の孤軍奮闘に尊敬の念を抱いたものだ。


■ゲームボーイ
 くにおくんの大運動会やダブルドラゴンで殺伐とした同時対戦に明け暮れていた俺たちは、ゲームボーイがもたらした「通信対戦」にもまた、激しくのめり込んだ。
 通信対戦に用いるゲームは、もっぱらテトリスだった。というか、それ以外のゲームボーイソフトで対戦をしたことがない。
 小学六年生になっていた俺は、人気者ナミオカくんといっしょにウジイエくんというクラスメイトの家に毎週集まり、ひたすらテトリスの対戦に明け暮れた。
 ブロックを鬼のような速度で積み上げ、テトリス棒を入れて相手側に邪魔なブロックを大量に送り込み圧殺する。あるいは先にテトリスを達成され、下からせり上がってきたブロックで圧死する。
 少年期、発達途上であろう脳細胞、その大部分を俺たちはテトリスに費やしていたと思う。
 ゲーム脳だとかテトリス脳という言葉は、俺たちに限って言えばわりと的を得た状況だったかもしれない。俺は明けても暮れてもブロック同士の間隙を埋めることだけを考えていた。
 どうしてあんなにも必死になっていたんだろう。
 今考えると少し不思議に感じるくらいの熱中ぶりだった。
 感傷的な話でまとめるならば、まあ、ただ単に埋めたかったんだろうなと思う。
 十二年ばかりこなしてきた人生の中で気づきはじめた現実における隙間。どうあがいても埋められないもの、いつまで経とうがからっぽにすぎない空虚ななにかの代わりに、俺たちは液晶画面の中でテトリス棒を積み上がったブロックの間に黙々と差し込んでいたんじゃないかと思う。

 どこか大人びたところのあったウジイエくんの部屋には、セガのマスターシステムやらパソコンやらが置かれており、俺にとっては文字通り宝の山のような有様だった。
 パソコンを起動すると、そっけない白い線画で洋風の館が表示された。
 どうやらアドベンチャーゲームらしかったが、コマンド入力のやり方がわからず投げ出してしまった。それが「ミステリーハウス」というゲームだったと知るのは、ずっとずっと先の話だ。

 俺たちが遊びに行くと、ウジイエくんの姉さんが必ずチョコレートを差し入れてくれた。
 小指の先ぐらいの、銀紙に包まれたチョコレート。
 それが何枚も籐製のバスケットに入れられていた。
 もしかすると少しばかり高級なチョコだったのかもしれない。包み紙の中のそれを口にするたび、濃い甘さの中に少しだけ苦味を感じた。

個人的ゲーム史1

2012/11/02

 いつの間にか三十五歳。
 もしかするともう自分の人生は半分過ぎてるんじゃないか。
 それなのに、まだなにも始まっちゃいないような気がするのはなぜだろう。

 そんなことを考えてしまいがちな夜だから、なんとなくゲームのハードウェアごとの思い出。


■ファミコン
 初めてファミコンとそのゲームを見たのは、小学校一年生だったか二年生だったか。
 たしか友達の家で見たスーパーマリオブラザーズが初めてだったと思う。
 ボタンを押すとテレビの中のヒゲのオヤジがジャンプしたり走ったり、カメを踏んづけたり、キノコを食って巨大化したり。今もってよくわからない世界観だったが、俺は素直に感動した。
 たしかずっと友達の兄貴が遊んでいて、そのときはプレイできなかったように思う。いつの日か好きなだけあのオヤジをコントローラーで操ってやりたい、と強く思った。

 その頃はファミコンを持っている友達の家に、それこそ毎日のように遊びに行っていた。今思うと相当うざかったろうなと思う。

■セガSG-2000
 父親が念願のファミコンを買ってきた、と思いきやセガSG-2000だった。
 ファミコンが売り切れだったから代わりに買ってきたのか、単に間違ったのか、なにか強いこだわりがあったのか今となっては定かではないが、とにかく家でTVゲームが遊べるのでそれほど文句はなかった。
 当時まわりの友達でセガのハードを持っているのはナリタくんだけだった。それがきっかけで仲良くなり、彼の家にもよく行くようになった。
 寒冷地特有の強い暖房によって空気が乾燥しがちなナリタくん家の薄暗い居間で、まるで置物のようなナリタくんの祖母が静かに見守る中、俺たちはひたすらジッピーレースをプレイしていた。

■ファミコンその2
 今度こそ父親がファミコンを買ってくれることになった。
 近所の玩具屋「一番堂」に行くと、欲しかったスーパーマリオは売り切れていた。代わりに、なぜかポートピア連続殺人事件を買ってもらった。
 ほんと、なぜなんだ。

 しかし、これはとても幸せな出会いだった。
 このとき買い与えてもらったゲームがもし別のものだったら、俺という人間はまるで別の人格になっていたのではないか、とすら思う。

 俺は来る日も来る日もヤスを連れて殺人事件の捜査に明け暮れた。
 このゲームにはセーブ機能はおろかパスワード機能すらなかったため、ファミコンの電源を切るたびに捜査状況がリセットされてしまう。しかし子供時代にのみ発揮される無駄な記憶力により、俺は操作を進めるための選択肢をほぼすべて丸暗記していた。
 当時このゲームを遊んでいた者であれば、今でも30分ほどあれば楽に阿弥陀ヶ峰(平田の自殺現場)まで行けるだろう。ただ、地下迷路は少しキツいかもしれない。
 犯人はヤス。
 今となってはもはや常識となった有名な事実ではあるが、当時の俺にはその話を信じられなかった。ヤスは俺のもっとも信頼する部下であり、この困難な事件に共に立ち向かう無二の相棒なのだ。
 とうてい受け入れられない話であった。
 彼自身の服を取ることを三度続けて命じ、その目で動かぬ証拠を確かめたあのときまでは……。


 クラスの人気者ナミオカくんの家で、よくアイスクライマーを遊んだ。
 彼の家はやたら広くてまごうことなき豪邸だったけれど、なぜかファミコンとテレビは台所のようなキッチンっぽい部屋に置いてあったような記憶がある。
 ナミオカママが物憂げに夕飯の支度をしているそばで、俺はナミオカくんと協力しながら氷の山を上へ上へと登っていた。
 アイスクライマーの醍醐味である妨害プレイは、当時とてもじゃないができなかった。


■ファミコンその3
 クラスメイトのキヨシくんの家には、妖しい魅力があった。公営団地の一階にある薄暗い彼(と彼の兄)の部屋には常に最新のファミコンソフトや、見たことのない漫画が乱雑に置かれていた。
 コーエーの三国志を貸してもらって、あまりの難解さ(と処理の遅さ)に投げ出してしまった思い出がある。あのときもっと真剣に遊んでいたら、また違った人生を歩んでいたのかもしれないと思う。

 このあたりから「マンガ道場」という店に出入りするようになる。
 玩具屋「一番堂」の近くにある古本や中古ゲームを扱う店で、恐ろしく狭い店内に陰気な親父がぽつりと座り、いつもなにかのテレビドラマが流れていた。
 ここでゲームの攻略本のほか、中古のミネルバトンサーガやアルゴスの戦士を買ったりした。


 小学校時代のことを書いていて、ふと思い立ってgoogleマップで当時の母校周辺を閲覧してみた。
 あまりの懐かしさに胸がつまる。
 冬の朝、校舎の前にずらっと並んだバスに乗り込みスキー遠足に行った思い出などがよみがえり、過去の濃密なにおいにむせ返りそうになった。
 あのころは通学路が厳密に定められていて、学校には必ず決まった道順で行き帰りしていたなーと思いながら、小学校の頃に住んでいた自宅(借家)を見て、あまりのボロさに愕然とする。

小学生の頃住んでた借家
 なんか汚い板とか立てかけられており廃屋かと見紛うみすぼらしさだが、いちおう二階建てでそれなりに広く、そこそこ快適であった。土地のあり余っている北海道であるから、一軒家とは言え家賃もかなり安かったのだろう。
 しかしこの家、風呂場があまりに汚すぎて害虫(わらじ虫とか毛虫)の温床になっていた。それも今となってはいい思い出ではある。
 が、おかげでちょっとしたトラウマになったらしく、今でも少し風呂場が怖い。
 また、玄関のドアが老朽化しすぎていて、ちょっとした力の加減で簡単に鍵が開いてしまうという、現在では考えられないセキュリティの低さであった。というか、あれから二十年経ってるのにまだ交換されてないっぽい。


 ちなみに、すぐ向かいの家には、クラスメイトの女子イトウさんが住んでいた。
向かいのフカセさん家
 絵に描いたような成功者の家。麗しのマイホームである。
 もちろん窓にボロ板などはまっていない。おそらく風呂場も綺麗であろう。
 あまつさえ、これみよがしにマイカーも完備されている。

 こうして見比べてみるとおそろしいまでの格差だが、当時の俺はとくに疑問を抱いたり、羨んだり引け目を感じたりということもなかったように思う。
 ここでもう少し妬みとか嫉みを養っていれば、もっと上昇志向を持ったギラギラした大人になっていたかもしれない。玉座のようなマホガニー製の机にふんぞり返り、巨大な宝石の付いた指輪をはめ、ぶっとい葉巻をふかしながら血統書付きのシャム猫を撫でていたかもしれない。(部下から良くない報告を聞くと首をへし折る)


 俺の両親、こんなボロ家に住んでるくせにのんきに子供にゲーム機なんぞ買い与えてんじゃないよと思わないでもない。
 それでもゲームを遊べる環境をもたらしてくれたことに、ただひたすら感謝するしかない。


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