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忘年会

2013/01/27

 職場の忘年会があった。
 年の暮れも迫ってきたとある平日の夜。仕事が終わり、職場のビルから宴会の会場へと移動する。職場の同僚と客先の社員、合わせて十数名ほど。

 店は駅から少し歩いたところにあった。
 海辺にある繁華街。風が強かった。暗い色をたたえる海水からたっぷりと冷気を吸い取った風は、俺たちの衣服の裾から容赦なく入り込んだ。みな、寒い寒いと言いながらコートの合わせを握りしめていた。
 俺はコートを着ていなかったので、とくになにもすることはなかった。
「井上さん、寒くないの」
 客先の社員から、もう何度目かもわからない質問が繰り返される。
「寒くないですね」
 実を言えば少しは寒いが、それを言えば「じゃあなぜコートを着ないんだ」という話になる。その問答をするのが面倒で、寒くない、と一種の強がりにも似た返事をしてしまうのだった。
「へえー」
 感心したようにも呆れたようにも聞こえる感嘆を漏らし、四十過ぎの社員はこれみよがしに身体を大きく震わせた。彼は丈の短い革のコートをぴっちりと着込み、首には茶色をしたウールのマフラーを厳重に巻いていた。

 どうして俺はコートを着ないんだろう、と自問してみる。しかし、誰かを納得させられるような答えが自分の中のどこを探しても見つからないことに、少なからず驚きをおぼえる。
 コートを持っていないわけじゃない。コートを買う金がないわけじゃない。コートがなくても平気なほど寒さに強いわけじゃない。
 肌着の綿シャツ、長袖のワイシャツ、背広の上着。その頼りないたった三種類の衣類で外界から自己を守れると思っているわけでもない。
 せせら笑うような海鳥の声が遠い波間から聞こえたような気がしたが、ようやく着いた盛り場の雑踏の中に紛れて消えていった。

「それでは忘年会を始めたいと思います。まずは乾杯の挨拶を……井上さんから」
「えっ」
 とある店の二階にある座敷に参加者が集い、幹事をしている同僚からいきなり話を振られた俺は、つかの間途方に暮れた。
 このような場面は今までになかったわけじゃない。それでも俺は困惑した。なぜか今日に限って頭の中からそれなりの年月蓄積してきた社会人としてのノウハウがすっぽりと抜け落ちてしまったかのようだった。先ほど浴びた潮風によって、その手の知識が吹き散らかされてしまったか、あるいは錆びついて別のなにかに変質してしまったのかもしれない。
 その場の全員が、なみなみとビールが注がれたジョッキを手にして俺の言葉を待っていた。
 仕方なく口を開いた。

「ええと、気がつけばもう十二月も半ばですね。この季節になると、今までの自分を振り返って思います。自分はこの一年……十年、二十年でなにをやってきたんだろう。なにを成し遂げてきたんだろうと」

 俺を見つめる何人かと目が合った。先月、子供が生まれたばかりの部下。
 すぐとなりには四十過ぎの社員。俺に寒くないのかとしつこく問うてきた彼もまた、今年のはじめに待望の第一子を迎え入れていた。

「……みなさんは、いろいろと積み上げているなあと思います。なにかを築いて、後世に残していくんだろうなあと。それに比べ、私はどうなんだろうと思います。来年の今頃は、もう少しだけ胸を張ってなにかを誇れるようになりたいとは思います。乾杯」

 会社の忘年会で述べるにはあまりに個人的過ぎ、支離滅裂と言ってもいいような言葉だったが、最後に付け加えた「乾杯」の言葉により、彼らは条件反射的に「乾杯」と唱和して手にしたジョッキを互いに合わせた。
 かちり、かちり、と甲高い音が座敷に響いた。どこか儀式めいたその音は、異国の主君が自らの騎士の両肩に剣を触れさせる叙勲の作法に似ていた。俺たちは互いが互いにかしずくべき主君であり、それと同時に、ちっぽけな領土と領民を守ることに腐心する騎士なのかもしれなかった。
 あるいは、捧げ持ったビールジョッキこそが重要なのかもしれない。正教徒が手にする十字架のように。

「井上さんさあ、あれだよ。相談所みたいなところに行けばいいじゃない」
 気がつけば酒を満たした「十字架」を手にした社員が、俺のような不信心者にはもったいないほどの高尚な教えを口にしている。
「婚活だよ、婚活。やっぱりさ、努力しないとさ」
「そうっすかね」
 俺は手元のビールには口を付けず、店員を呼んで梅酒のロックを頼んだ。
「ぼくは三十三で結婚したんだけどさ。まあ、三十を超えて結婚してないってんで、当時はなにかと変わり者扱いされたもんだけどね……」
 そうした彼のありがたい話が長々とつづいた。あまりのありがたさに、残念ながらほとんど内容をおぼえていない。
 俺は氷で薄まった梅酒をすすりながら、彼の子供(娘とのことだった)が成長し、誰かと結ばれ、子を育み――そうして延々と繁栄と継承を繰り返す子孫たちのことを思った。
 彼の何世代かあとの子孫はアメリカやヨーロッパ諸国に移住する者があり、世界中に拡散していた。さらに世代を重ねると、彼ら、彼女らは勢いよく地球外へと飛び出していく。どこか遠い、気の遠くなるほどの旅路の果てにある恒星系。おそらくケンタウロス座のアルファ星系だろう。射手座の脚の部分に位置する三重連星。大宇宙の三つ子。

「だからね、相談所のお世話になって結婚というのも、普通にありだと思うんだよ」
 社員の話はまだつづいていた。
「あきらめずに頑張ればさ、希望はあるって!」
 遠く輝かしい未来に生きる大勢の人々にとっての祖先にあたる偉大な男に向かって、俺はうなずいた。
「そうですよね。希望はありますよね。いずれお嫁さんをクローン技術とかで生み出せる時代も来るでしょうし」
「え……」
 今しがたまでのごきげんな笑いを引っ込めた彼に、いやいや冗談です、と声をかけてから、俺はもう一杯の梅酒を注文した。やはりロックで。
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