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個人的ゲーム史5

2013/05/21

■カードゲーム、ボードゲーム
 引きつづき高校時代のパソコン研究部について書く。
 毎日情報処理室に集まっては、テクノポリス(エッチなパソコン雑誌)がどれだけテクノなポリスかを語り合ったり、プリンセスメーカー2でエロエロな娘を育てていたら職業が娼婦になってしまったことについて真剣に悩んだりしているうちに、俺たちは高校二年生になっていた。

 高校二年生。十七歳である。
 少年漫画やライトノベルの主人公はたいていこのあたりの年代であり、なにかこう、未だかつてない出来事が己のまわりに起こりそうな気がする年頃だ。
 主観としての物語において俺たちはたしかに個々が主人公に違いなかったけれど、さほど特別なことが起きぬことをわきまえており、クラスの片隅で目立たず迷惑をかけぬよう分相応に生きる謙虚な主人公たちであった。

 パソ研仲間の一人で、俺と三年間同じクラスになったAという友人は、しきりに「十年後」という言葉を口にした。

「なあ井上、お前、十年後の自分を想像できるか?」

 想像できるわけがない。

「百年後だったら死んで灰になってるだろうと想像できるが、十年後は難しいな」

 俺が苦笑いすると、彼は決まって次のようなことを言った。

「二十七歳だぜ、二十七歳!」

 やがて訪れる大いなる破滅を告げる預言者のような、大仰な身振りで。

「三十歳を前にして、夢も希望もなく会社の歯車になって擦り切れているかもしれないんだぜ?」

 Aは俺への悪意でこのようなことを言ったわけではない。
 それは俺に対しての言葉であると同時に、A自身への言葉……ひいては教室のそこらじゅうで蠢いていた有象無象の十七歳たちへの問いかけでもあったからだ。
 薄闇に閉ざされた将来を受け入れられるほど大人でもなく、幸福と光輝に満ちた未来を無条件に信じられるほど子供でもない。どっちつかずの、ただの十七歳である俺は、この問いに困惑と苦笑をもって答えるしかない。


 放課後、情報処理室に集まった際、いつしか俺たちはカードゲームで遊ぶようになった。
 例によって誰かが家から持ってきたゲーム群を繰り返し遊んだ。
 UNO、モノポリーと言った定番から、ロードス島戦記カードゲームやらモンスターメーカーカードゲームなどといったマニアックなものも含めて繰り返し遊び、文字通り日が暮れるまで没頭した。
 もはやパソコン研究でもなんでもない集まりと化していたが、顧問の先生は特になにも言わなかった。あいかわらずPC98でゲームを遊ぶと怒られたが、部屋の片隅でカードゲームに興じることは黙認されていた。

 ある日、見慣れぬ一年生が情報処理室に入ってきた。
 細いフレームの眼鏡をかけた少し神経質そうな細身の男子だった。彼は俺たちがカードゲームに興じるさまを、ひどく面白げに頬を歪めて見ていた。
 タナカと名乗ったその後輩は、その日からパソ研に混ざって遊ぶようになった。
 彼はいろいろと多彩なゲームを所有しており、俺たちの遊びの幅はぐんと広がった。やがて高校から徒歩数分という便の良さに加え広い遊び部屋が確保できる彼の家に遊びに行くようになり、休日に集まって朝から晩まで「バトルメック」などの長時間かかる重いボードゲームに興じるようになるまで、さほど時間はかからなかった。
 ちなみに、タナカの家に遊びに行くようになって「タナカ」というのが実は偽名だったことを知った。

「教室でゲームをやってるような怪しい人たちだったので、なんとなく本名を名乗ったらまずいと思った」

 だが、その頃にはもうすっかり呼び名が定着してしまっており、彼はその後もずっとタナカと呼ばれつづけた。


■テーブルトークRPG
 タナカの家にはロードス島戦記シリーズをはじめ、グループSNEのソード・ワールドRPGに関する書籍が膨大にあり、俺はそれを貪るように借りては読んだ。
 やがてタナカの家に集まる数人で、ソード・ワールドRPGで遊んでみようということになった。
 その頃ロードス島戦記のリプレイを読んではいたが、まさか自分が実際にテーブルトークRPGで遊ぶことになろうとは予想だにしていなかった。

 そうして何週間に一度、タナカの家でテーブルトークRPGを遊んだ。
 ゲームマスターは持ち回りで担当した。
 正直、俺を含めて拙いマスタリングだったと思う。
 シナリオと呼べるほど凝った話でもなく、ゴブリン退治に毛が生えたような単純なセッションだった。プレイヤー側もプレイヤー側で、照れくさくてロールプレイするどころではなく、機械的に淡々と話を進めて戦闘をこなすような無味乾燥なプレイに終始していた。
 じゃあつまらなかったのかと言うとそうではなく、すごく面白かったのだ。
 気の合う仲間とサイコロを振って一喜一憂するだけで、とにかく楽しかったのだ。(時には自作のすごろくを持ち寄って遊ぶほどだった。今思えば狂気の沙汰だ)

 そうやってタナカの家で蜜月と称してもいいほどの愉快な日々を過ごしていたわけだが、やがてそれが起こった。今でも俺の中で心残りになっている、あの事件が。

 とある休日のセッション。
 Aがゲームマスターを担当したときのことだ。
 シナリオの終盤に差し掛かり、ボス的な存在と戦闘していたときにそれは起こった。なんとプレイヤーを導いていた味方のNPCが突如裏切り、背後から攻撃魔法を撃ってきたのだ。
 それがとてつもなく強力で、プレイヤー陣はあっけなく全滅した。
 タナカ家で遊んだ数々のTRPGセッションで、初めての全滅であった。

「これはあれだよな、強制敗北イベント的な……」

 少し重苦しくなった場を盛り上げようと、俺は笑ってAに言った。
 だがAがなにか言う前に、ぼそりとタナカが吐き捨てるようにつぶやいた。

「……なんだよこれ……理不尽すぎるでしょ」

 いつになく不機嫌なタナカの口調に鼻白みつつ、Aが反駁する。

「いや、これで終わりなわけないだろ」

 その後、少しだけAとタナカの言い争いみたいなものが発生した。
 結果として、このNPCに裏切られて全滅したセッションが、タナカの家で遊んだ最後のTRPGセッションとなった。
 この事件を境に、少しずつタナカの家に集まる頻度は減っていったように思う。俺は継続してタナカの家にセガサターンをやりにいったりしていたが、パソ研のメンバーが集まって朝から晩までゲームを遊ぶ機会が訪れることは二度となかった。

 今にして思えば、それは斜陽と呼ばれるものだったのかもしれない。
 気が付かないうちに俺たちの頭上に訪れていた、黄金時代の斜陽。あるいは落日。

 NPCを裏切らせてド派手などんでん返しを演出したシナリオの後半がAの口から語られることは、もはやない。
 あのNPCはなぜ裏切ったのか。どんな事情があったのか。
 タナカは怒っていたが、俺はどんでん返しが嫌いではない。素直につづきを遊んでみたかった。
 細部は忘れはしたものの、高校時代に打ち込まれた細い楔のように、俺はあの日のことを忘れることができない。

 それから十数年が経過した今。
 あのころ怖れていた三十歳をとっくに超えてしまったAと、同じ歳の俺。そしていっこ下のタナカ。
 各自いっぱいいっぱいの十七歳を謳歌していたパソ研のボンクラどもがこぞって集まり、笑い、酒でも酌み交わしながら……あの日に失われたセッションのことを懐かしく語り合える日が来ることを俺はよく夢想する。
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個人的ゲーム史4

2013/05/17

■FMタウンズとPC98
 高校時代、俺はパソコン研究部なる怪しい部活に入っていた。
 情報処理室の片隅にあるスペースに置かれているFMタウンズでプログラムの勉強をするのが主な活動。ゲームのプログラムの参考にするため、という名目でタウンズでゲームをすることも許された。
 そういうわけで、なんとなくパソコンで遊びたいボンクラたちが集まるゆるい空間だった。

 だが、当時の俺たちは青春真っ盛りであり、絵に描いたような思春期であった。
 結論から言うとエロゲーをやりたくて仕方がなかったのだ。
 情報処理室には十数台のPC-98が設置されていた。今では信じがたいが、HDDが内蔵されておらずフロッピーディスクを読み込ませてソフトを走らせるタイプのコンピュータだった。
 それにボンクラ連中がどこからともなく持ち寄った怪しいエロゲーのフロッピーを挿入して遊んだ。夢中で遊んだ。かの名作「同級生」などはフロッピーディスク数枚組で、場所を移動するたびに入れ替えが発生したが、そんなものを苦にもせず俺たちはゲーム・オブ・エロスの世界に耽溺した。
 今ではちょっとゲーム中に読み込みが入るだけで「快適さが足りないね……プレイアビリティっていうかね……」などとしたり顔でほざく俺だが、当時はその読み込みすらも楽しんでいたように思う。
 フロッピーを入れた瞬間の、あの「かちゃり」という、そこにあるべきものを正しくはめ込む快感。そして磁気データが読み込まれて電気信号が走る。やがて画素の粗いドット絵の美少女グラフィックが15インチのモニターに表示される。その虚構に俺は魅了される。
 生身の女子と交際するという現実がとてつもなく遠い……距離にしたら太陽系とアルファ・ケンタウリ星系ぐらいに隔たりのあるような清く正しいボンクラの俺たちであったから、それはもう魅せられた。
 恥じらいを捨てて率直に言えば、モニタ越しの彼女たちに恋をしていた。
 友人からパソコン雑誌を借りて、気になった女の子のイラストを一生懸命に模写してから返す、というような気持ち悪いことすらしていた。振り返ってみると歪んだ情熱の発露っぷりがはなはだしいが、インターネットもなかった頃の十代の男子の思い出としては、ごくありがちな話だと思いたい。


 なお、情報処理室のPC98でゲームを遊ぶことは禁じられていた。
 たまに活動を覗きに来る顧問の先生にその行為の現場を見つかると、こっぴどく叱られた。

 だが、このシチュエーションは俺たちのチャレンジ精神を大いに駆り立てた。
 PC98でエロゲーを嗜む場合は、基本的に入り口から死角になる機体を選択する。ごく初歩のテクニックである。
 だが先生も間抜けではなく、実際になにをやっているのかモニタを覗いて確認しようとしてくる。そこで、傍らには必ずパソコンの教本(BASIC入門など)を置いておく。先生が接近してきたら、悟られぬよう自然な動作でフロッピーを入れ替えつつPC98をすみやかに再起動してDOSの画面を表示。さも「勉強中です」という雰囲気をかもし出す。これでたいていは回避できる。

 しかし、この手法ではゲームを強制終了させるのが必須となってしまうため、後年はすぐ隣のPC98をダミーとしてDOSやBASICを起動しておき、いざという場合はエロゲーをプレイしていたPC98のモニタだけ落として先生のチェックをやり過ごす……という非常にハイリスク・ハイリターンな技法が生み出された。成功率を高めるために、ボンクラどもが教室内に分散しておき、タイミングよく「先生、ちょっと教えてもらいたいことがあるんですが」などと声をかけて、特定のPCから注意を逸らすような真似までしていた。

 学校で遊ぶエロゲーは本当に楽しい。
 俺が高校時代に学んだ数少ない真理のひとつだ。
 やたら楽しくて、スリリングで、どんなしょうもないゲームであろうと異常に興奮した。

 女の子と遊ぶこともなく、それどころか目を合わせたり話すことすらまれで、同じクラスの中堅的な人気者ポジションだったYくんからは「雑魚グループ」と陰で呼ばれていたような俺たちだったけれど、あの経験だけは誇れるものだと思う。
 倫理的とかその他もろもろに照らすとけっしてほめられたものではないし、むしろ人として学生として恥じ入るべきエピソードであることは百も承知で、それでも俺は、十数年経った今だからこそ、人知れずささやかに誇りたい。
 俺を含めた愛すべき数人のボンクラ男子高生。今はどこでどうしているかわからない栄光なきパソ研メンバーたちのために、誇ってやりたいと思うのだ。


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