小鳥遊六花・改 劇場版 中二病でも恋がしたい!

2013/09/23



 劇場版「中二病でも恋がしたい!」であるところの「小鳥遊六花・改」を観覧してきた。

 当然、新宿ピカデリーである。
 なにがどう当然なのか自分でもうまく説明できないが、このような劇場アニメを視聴するのに新宿ピカデリーという場所は、なんというかこう、しっくりくるのである。
 三連休の真ん中の日、朝九時の回をオンラインで予約していたので、普通に出勤するのとそう変わらぬ時間帯で家を出て、電車に乗り、新宿ピカデリーにたどり着いた。
 早朝でまだ開いている店も少ないせいか、新宿の街は少し人通りが少ないように思えた。
 ピカデリーの入り口には、十数人の男女がたむろしていた。どうやらまだ入り口が閉まっているらしかった。俺が到着するとほぼ同時に自動扉が開け放たれ、よく訓練された兵士のように彼らは屋内へと吸い込まれていった。俺もその流れに乗り、映画館へと足を踏み入れた。
 手早く排尿を済ませ、込み合う前にパンフレットを買い求めたあと、エスカレーターでシアター1へと向かい、予約した席に座る。
 しばらくして場内が暗くなると同時に、周囲のざわめきがぴたりとおさまる。ポップコーンをかじる音すら聞こえない。限りなく統制された者たちのみが生み出しうる無音の空間が創出された。
 さすがに日曜の朝っぱらからここに座っている連中はものが違う。彼らも新宿ピカデリーという場所に「しっくり」くるものを感じているのだろうか……。

 予告編のあとに映画本編がはじまり、少しばかりの時が流れた。
 忘れがたい至高のとき。至福の時間。


 気がつくと俺は電車に乗っていた。
 電車に乗って、どこかへ向かっているらしかった。
 夢か?
 夢かもしれない。俺は自分以外に誰も乗客がいない車両で、ぽつりと緑色のシートに腰掛けていた。車窓からは夕焼けとも朝焼けともつかない陽の光が強く差し込んでいる。
 俺の膝には、開場前に買い求めた映画のパンフレットが乗っていた。1200円もしたが納得できるつくりの逸品である。
 とりあえず俺はそれをめくってみることにした。
 そして、今しがた体験した「小鳥遊六花・改」の余韻に浸った。

「ほう……くみん先輩の胸囲は89cm……かなりのものとは思っていたが……」
「自分より二回りも下の女の子に『先輩』はないでしょう」
 不意に声がして、俺はキャラ紹介の頁から顔をあげた。
 俺の真向かいに男が座っていた。男というよりは、少年と呼ぶほうが適切だろう。彼は詰め襟の学生服を着ていた。たるんだ頬に薄笑いを浮かべて、声変わりを迎えたばかりと思わせる低く聞き取りにくい声音で言葉をつづけた。
「くみん先輩はあざといと思うんですよ……おっぱいが大きいから許しますが……」
「あざとくてなにが悪い。そんなことを言ったら……」
 俺はそこで口をつぐんだ。そしてこわごわと疑問を口にした。
「おまえは誰なんだ……その前に、ここはどこなんだ」
 なかば自分に問うようなかたちの言葉に、少年はそっけなく応じた。
「わかりませんか」
「まさかとは思うが」
「はい」
 俺は言った。
「おまえは俺か?」
 彼はうなずいた。
「うわあ、マジか……」
「マジです。十四歳のあなたですよ」
「あっ、そうだ。過去の自分に会ったらスポーツ年鑑的な情報を渡さないと」
 ビフ・タネン的な思考にとらわれた俺を一蹴するように、十四歳の俺は言った。
「無用ですよ。これは、そういうあれではないですから」
「なに……じゃああれか。なんというか……これは精神世界的なあれか」
「言ってしまうと、そうですね」
 俺は深いため息をついた。

 電車は絶え間なく俺の身体を揺らしながら、どこかへ向かっていた。
 俺を遠くへ運ぼうとしているようにも感じられたし、同じところをぐるぐると回っているようにも思えた。
 明日に向かっているかもしれないし、昨日に進んでいるのかもしれなかった。

「中二病って、なんなんですかね」

 昨日よりもなお遠い日の俺が、俺にたずねた。
 中二病(あるいは厨二病)とは、なにやらファンタジー的な設定に取り憑かれ、痛々しい言動や行動をとってしまう状態をさす。誰にでも少しぐらいは経験のある若気の至りとでもいうか……。
 ちなみに「中二病でも恋がしたい!」は、過去に重度の中二病だった過去を持つ少年・富樫勇太が、過去を封印して入学した高校で、ばりばり現役の中二病少女・<邪王真眼>小鳥遊六花と出会う……という物語である。

「ばりばり現役の十四歳、すなわち中学二年生の俺から言わせれば」
 彼は口角を醜く歪めた。
「中二病っていうのはつまるところ性欲ですよ。ちっぽけなくせにおそろしく深刻で、行き場のない性欲。可愛い女の子が空から降ってこねーかな。それでいろいろあった末におっぱい揉ませてくれねーかな……毎日毎日、授業の合間や登下校の最中、そんなことばかり鬱々と、悶々と考え、想い、必死に願っている。要するにそういう状態のことですよ」
「それはそうかもしれんが、だからなんだと言うんだ」
「恋が成就した瞬間、中二病は治癒する」
 彼は重ねて言った。
「中二病でも恋はできますが、恋が成就したなら中二病ではいられません」

 いつの間にか、電車は徐々に速度を弱めはじめていた。
「女の子とデートしてみたり、手を握ったり、おっぱいを揉んだ瞬間に、もうその病を患う必要はないんです。卒業ですよ。渇きと飢えに苛まれつづける妄想の世界から、満ち足りて充実した現実への。俗にいうリア充ってやつです。リア充爆発しろってやつですよ。まあ爆発しそうなのはリア充な方々を眺めながら内側にいろんなものを溜め込んでいる俺たちのほうなんですが」
 彼はつとめて軽い調子で話していたが、そこにはどうしようもなく深刻なものが滲んでいた。
「でもいつかは自分も……そう思って心の平衡を保つんです。だって俺には未来がある。十四歳ゆえの盲目の希望がね」
 希望のかけらも感じさせない口調で少年は言った。
 まあ、気持ちはわかる。ほかならぬ俺の気持ちは、俺が一番よくわかる。この俺に……二十年後の俺に言いたいこともよくわかる。わからないでもない。
「それはともかく『中二病でも恋がしたい!』……すばらしいアニメでしたよね。でも、つきつめればアニメはアニメでしかありませんからね。登場人物を演じる声優さんは中二病とはほど遠い成功者だし、作画、演出その他もろもろ製作者の方々は才能にあふれた世界に誇るクリエイターです。俺たちが観ているスクリーンにも、その向こうにだって……本当の中二病なんてどこにもないんですよ。それがあるとするなら」
 昔の俺はそこで言葉を切り、黙ってこちらを見つめた。いかにも十四歳らしい、いい具合に濁って煮えたくった混沌たる感情が渦巻く双眸が、俺の姿をとらえていた。
 やがて、どこかへ行き着いたらしい電車はゆっくりとその動きを止めた。どこにも行けず、どうにもならなくなった車中の空気を吐き出すような音をたててドアが左右に開いた。
「……くみん先輩の乳に感心してる場合じゃねーだろってことですよ」
 吐き捨てて、十四歳は電車を降りていく。
「なあ」
 俺はその背中に思わず声をかけた。
「それでも、六花は可愛かったと思うんだよ」
 彼は振り返らなかった。
「勇太はがんばっていたと思うんだよ……俺は」
 ドアが閉まった。

 電車はもう動き出すことはなく、俺は新宿ピカデリーのシアター1の真ん中あたりの座席に深く腰掛けていた。すでに場内の照明は点灯し、退場をうながす放送が繰り返されていた。
 自動的にどこかへ俺を運んでくれるものもなく、誰もいなくなったシアター1の中心。六花も勇太もくみん先輩も映ってはいない白いスクリーンを一瞥して、俺はよっこらせと重い腰をあげた。
「嫁にするならモリサマちゃんだがな」
 もしも誰かが聞いていたなら虚しく絶望に満ちた言葉だと思われたかもしれないつぶやきを小さく木霊させながら、俺はいささか「しっくり」きすぎた感のある新宿ピカデリーをあとにした。

世界の終わりに敦盛を舞う

2013/09/04

 一時間あまりの通勤時間の間に、運が良ければ三人か四人ぐらいは敦盛を舞っているサラリーマンを見かけることができる。
 とは言っても、扇をかざして小鼓の伴奏に合わせ足拍子を踏み鳴らしているような人は、さすがにあまりいない。そのような本格派を見かけるのは、俺にしても十数年の社会人生活の中で二、三度ぐらいしかない。
 たいていの人は、ごくささやかに敦盛を舞っている。
 それは電車の吊り革につかまる手の微細な動きであったり、イヤホンで流行の音楽を聴くふりをしながらゆるやかに揺らす身体のリズムであったり、独り言に見せかけてそっと朗じられる詞章の一節であったりする。
 そうやって誰しもが思い思いのやり方で敦盛を舞っている。
 よくよく観察してみれば、毎日けっこうな数の男たちが個人的な範疇で敦盛を舞っていることに気づくはずだ。

 通勤電車の中で舞う以外にも、起床とともに舞う者や、就寝前にひとさし舞う者もいる。
 家族が寝静まった深夜に、誰もいない居間で静かに舞う者もいる。
 夢幻のごとき世の中で戦い、傷つき、疲れた男たちは、そうやって人知れず化天のうちをくらぶるのだろう。
 誰にも理解されないなにかをはかなみながら、自分にすらわからないなにかを惜しみ慈しむ。
 人間、五十年。
 おそらくそれは祈りのかたちだ。
 ゆるやかな終わりを慎んで迎える、男たちの奉納の舞。

 だから、もしも世界の終わりがあるとすれば、それはきっとこのような光景だろうと俺は夢想する。
 朝、いつものように家を出る。
 駅に向かう数百メートルの道中には、何十人ものサラリーマンが、背広姿のまま大きな所作で舞っている。
 だが、どれ一つとして同じ舞い方や足拍子はない。
 誰もが個人的な終焉の儀式としての敦盛を、思い思いのやり方で舞っている。
 道路に車は一切走っておらず、普段の朝の喧騒からは想像もつかないほどに静かだ。
 けれど、どこか遠くから囃しの声と鼓の音が聞こえてくる。

 いつもの通勤電車は止まっている。
 駅の職員も当然のことながら舞っているし、乗客も同様だ。
 たわむれに歩いて職場に向かう。
 何時間も歩いて、その道すがら、何百何千という男たちが路傍で敦盛を舞っているさまを見かける。

 たどり着いた都心部では、さらにおびただしい数のサラリーマンたちがひしめき合いながら舞っている。
 そのかたわらでは、女たちや子どもたちが呆けたような表情でその動作を見守っている
 駅ビルのオーロラビジョンには、全国各地で舞う男たちの姿。
 それまでその身を取り巻いていたものに関係なく、男たちは舞いつづける。
 誰にはばかることなく、心ゆくまで舞いつづけるだろう。

 されば――と、自らも扇を手にし、今や天に響くような鼓の拍動に合わせ、その舞の中へと分け入っていく。
 滅せぬもののあるべきか。
 どこか祝祭にも似た男たちの敦盛にいだかれ、やがて溶けるようにして、きっとこの世界は終わっていく。
 終わっていけばいいと思う。


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