我が家の破壊神のこと

2015/11/13

 今日はちょっと猫のことを書こうと思う。
 今この瞬間も部屋中を激しく走り回り、棚の上のものを薙ぎ払っている我が家の猫のことだ。

……あまりにも騒がしいのでヒモ(猫お気に入りの遊び道具)でしばらく遊んでやり、それでも満足せずに暴れている猫を尻目にキーボードを叩いている。
 猫と暮らすようになって丸一年が過ぎた。
 そうして分かったことが一つある。
 猫というものはまさに破壊神であるということだ。

 猫は破壊の限りを尽くした。
 買ってきた猫じゃらしは片っ端から瞬時に破壊され、爪とぎも酷使されて次々に残骸と化し、部屋中の壁という壁をぼろぼろにされ、押し入れのふすまは表も裏も破られ、カーテンも穴だらけにされた。
 部屋のあらゆる布は毛まみれになり、水飲み皿はひっくり返され、ビニール状のものは噛みちぎられた。
 微妙に温かいせいか、いくら阻止しようとしても猫はパソコンのキーボードの上に執拗に乗った。おかげでちょくちょく見たこともない謎の機能が起動したり、画面が上下逆さまになったり、挙句にはtwitterでつぶやきを勝手に投稿されたこともあった。
 ちなみに、この日記のひとつ前の意味不明なタイトルの記事は、パソコンの上に乗った猫の手(脚?)によって投稿されたものである。(消そうとも思ったが、記念に残しておくことにした)

 基本的に、猫はろくでもないことしかしない。
 破壊行為は部屋だけではなく、俺自身にも及んだ。なにかにつけて噛み付いたり引っ掻いたりしてくるため、この一年で俺の両手には無数の傷跡が刻まれた。
 夜中、寝ているときに走り回る猫に顔面を踏みつけられ、鼻の下あたりがざっくり切れて出血したこともある。もし、もう少しずれて目の上をやられていたら失明していたかもしれない。
 そのとき俺は初めて恐怖した。
 猫と暮らすということは、わりと命がけだ。
 よそはどうか知らないが、少なくとも我が家の猫は猛獣であり破壊神なのだ。
 愛玩動物と呼ぶにはあまりにも攻撃力が高く、ふわふわで愛らしい以外になんの取り柄もなく、ただふわふわで愛らしいというだけで世の中を渡っていく気満々のとんでもない生物である。

 猫は、静かにしている分にはとても愛らしい。
 その二面性もまた、破壊神と呼ぶにふさわしいと思う。
 世間の猫はどうなのかあまり知らないが、我が家の猫は手触りが異常によい。
 すべすべというのか、ふわふわというのか、とにかく毛が柔らかく、なめらかな撫で心地を誇る。贔屓目かもしれないが、世界撫で心地選手権的なものがあれば、かなりいいところまで行くのではないかと密かに思っている。とにかく筆舌に尽くしがたいとはまさにこのことで、こればかりは文字で伝えようがない。
 暑い時期は玄関先のタイルに寝そべるなどして俺に寄り付いてくることがない猫だが、寒くなると暖を取るために尻や脚をそっとくっつけてくることがある。
 猫は温もりを得て、ここぞとばかりに俺は至上の撫で心地と温もりを得る。俺が二つのものを得たように見えるが、しつこく撫でまくっているといきなりブチ切れた猫に手を噛まれるので、帳尻は合っている。おおむねWin-Winの関係である。

 猫は俺のことを暖房器具兼エサやり係兼トイレ掃除係ぐらいにしか思っていないだろうが、俺は猫を愛している。
 溺愛していると言っても過言ではない。
 朝、俺の両足の間に挟まって丸くなっている猫を起こさないようにして失敗して、不機嫌になっている猫に「いってきます」と声をかけて出社し、昼休みの暇つぶしにスマートフォンに保存された猫の写真を眺め、帰宅してドアを開けるなり頭部を擦り付けてくる猫を巧みに避けつつスーツを脱ぎながら「ただいま」を言う。
 ちなみに猫を飼う独身中年というものは世間一般ではあまりみっともいいものではないらしく、会社ではかなり奇異の目を向けられた。
「女にモテたいから飼ったの?」
 などと言われたこともあるが、もちろんそんなわけはない。
 当然モテたこともない。
 それどころか、ある同僚の独身女性に猫のことを話すと、モテるどころかあからさまな蔑みを目に浮かべ失笑されたことがあった。世の中の女性がすべてそうではないだろうが、以後、自分から猫のことを話すのはやめた。
 ところで我が家の猫も女(雌)だが、俺をそんな目で見ることはない。たいていはなにかしら気に喰わないことがあって怒りと抗議の視線を向けてくるか、俺などに見向きもせず他のなにかを見つめている。そうでないときは、ただ眠そうな目をしている。

 俺が猫と暮らすのは、俺が猫と暮らしたいからだ。
 ただ、それを決断するまでに長い葛藤の時期があった。猫は一つの命である。曲がりなりにも命を引き受けることになる。果たしてそんな資格が、あるいは覚悟が、この俺にあるのか。そんなようなことを馬鹿正直に悩んだりもした。
 とある人の家の軒先で生まれ、野良猫として生きる才能がなかったのか衰弱して死にかけていたところを家主に保護され、危ういところで命を取り留め、その後めぐりめぐって俺の部屋で破壊の限りを尽くしているのが我が家の猫だ。
 正直なところ大層な覚悟などないままに猫と暮らしはじめたのだが、とりあえず一年が経過して、部屋を破壊され、床に粗相をされ、手や顔を傷つけられ、寝不足にされたりはしたものの、本気で後悔するようなことは一度もなかった。
 これからも、なんとかかんとか、俺は猫と暮らしていくだろう。

 最近聞いた話だが、とある知人の飼い猫は二十年も生きたという。
 我が家の猫は、どうなのだろう。
 今は元気に破壊の限りを尽くしている猫も、いつかは死ぬ。考えたくはないが、ふとした折に考えてしまう。
 寒い夜、そっとくっつけられた猫の尻から伝わる、小さいけれど力強いぬくもり。
 ああ、これが命なのか、などと感じることがある。
 できることならいつまでも温かいままでいてほしいと、強く願う。

 もしも我が家の猫が二十年以上生きたとしたら、俺もかなりいい歳になっている。ひょっとすると俺のほうが先に死ぬかもしれない。
 そのときが来たら、と、ときおり俺は考える。
 もし、そのときが来たら、猫はどんな顔をするのだろう。
 日中ほとんどそうしているように、あいも変わらず眠たそうな目をしているかもしれない。あるいは、いつものように抗議するような怒りの目で俺を見るのかもしれない。
 まあどちらでもいいかな、と考えたところでまた猫が暴れだし、今日も今日とて俺は破壊神の怒りを鎮めるべく必死にヒモを振り回す。


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