狩りせよ乙女

2015/12/16



「あのね文江ちゃん、お願いがあるの」
 その話を切り出したのり子の表情は、たいていほわほわーっとしている彼女にしては珍しく、妙に引き締まっていたのをおぼえている。
「あたしね、ノモンハンをおぼえたいの!」
 なにをいっているのかわからねーと思うだろうが、もちろん私にもわけがわからなかった。
 自転車通学の女子生徒が、徒歩の私たちを軽快に追い抜いていく。
 小さなベルの音をのせた放課後の風が、私たちのスカートを小さく揺らす。
 世界中のあらゆるものを吸い込んだような色をした太陽が、空の向こうへ落ちていく。
 そんな下校時間の夕焼けがのり子の眼鏡に反射している。黙っていれば知的といえなくもない顔立ちなのだが、この娘は口を開くたびに私を不思議な世界へいざなうのだった。
「ええと……ノモンハン事件のこと?」
「うん、なんかねえ最近、男子の間ではやってるんだって」
 一九三五年に発生した満州・モンゴル間の国境紛争事件が、なぜ、今。
 ウチの男子どもってそんなに歴史好きだったかしら……。
「お昼休みに集まってこっそりやってるじゃない。あれ、通信対戦?っていうんだっけ。『ノモンハンで狩ろうぜー』って」
「あー、モンハンね。PSPの」
「そうそう、それそれ」
 私はようやく合点がいく。
 モンスターハンター、略してモンハン。プレイヤーはハンターとなって様々な依頼を受け、モンスターを倒したりアイテムを採集したりするゲームだ。多人数での協力プレイが楽しいらしい。
 ちなみにPSPってのは携帯ゲーム機のこと。たしか弟の奴が持ってたな……。
「あれ、あたしにもできないかなーって」
「いや……あんたには無理じゃないかなあ」
 私の中で、のり子の不器用さはちょっとしたレジェンドだ。ゲームに関していえば、テトリスでほとんど列を消せずにブロックを積み上げ、スーパーマリオで最初のクリボーに当たって死ぬようなレベル。十字キーの斜め方向をうまく入力できず、二個以上のボタンを使い分けることのできない……そういう残念な娘なのだ。
「えー、だめかなあ」
 眼鏡の奥、のり子の瞳が潤んでいる。意識的にやっているのではないだろうが、私はこの眼に弱い。
「わかったわかった。今度ゲーム機持ってきてあげるから、いっしょに練習しよ」
「ほんと?」
 ありがとう文江ちゃん、と笑顔になるのり子。私もつられて笑ってしまう。
 ちょうどいつもの交差点で、私たちは別れる。
 それにしても、なぜ突然モンハン?
 のり子に手を振りながら、そのことを聞きそびれたことに私は気づく。



「そういうわけだから、おとなしくあんたのPSPとモンハン一式、差し出しなさい」
 私が(心の中で)頭を下げてお願いすると、わが愛する弟は麗しい姉弟愛をみなぎらせながらこういった。
「ふざけんな」
 姉の清らかな願いをにべもなく一蹴する弟に対して、温厚な私はできるだけ穏便にことを済まそうと誠実な懇願をつづける。
「このクソガキ、人が下手に出てりゃいい気になりおって。オラいいから黙って出すもん出しなさいよ」
「生まれてこのかた、俺はいっぺんたりとも姉ちゃんが下手に出るのを見たおぼえがないんだが……そもそも『そういうわけ』ってどんなわけだよ? なにも説明されてねえぞ」
 私としたことが、話の進行を焦るあまりすべての説明を端折っていたらしい。あらためて弟に事情を説明する。まあ、一言で済むんだけど。
「実は、のり子の頼みなのよ」
「なにッ……川村先輩の!」
 愚弟の顔色が変わる。
 この青春ボーイは、ときおり家に遊びにくる姉の友人に対して淡い憧れを抱いているのだ。その甘酸っぱい感情に訴えかければ、たいていのことは引き受けざるを得ないのである。
「……わかった。ほら、持ってけ」
 若きゲーオタであるところの弟にとって、愛用のゲーム機を手放すということは己の半身をもぎ取られるに等しいことなのだろう。固く拳を握りしめ、ついぞ見たことのないような苦渋に満ちた表情を浮かべている。
 ふふ……いつの間にか男の顔になったもんね。私はPSP本体とソフト一式を受け取りながら、優しく弟に声をかける。
「私とのり子の二人でやるんだから、もう一組用意してよね」
「くっ……友達に頼んで借りてくる」
 よろしくね、とうなだれる弟の背を軽く叩く。弟はふと顔をあげて、
「……でも川村先輩、なんで急にモンハンなんて?」
「そうねえ……実はああ見えて、意外に狩猟意欲が旺盛だったのかもね」
「狩猟、意欲……? 川村先輩が……」
 わが愛する弟は複雑な心境なのだろう、いつにもまして変な顔をしている。捨ておいて、私はさっさとお風呂に入ることにする。



 図書室の隅っこにある第二準備室は、私とのり子だけの秘密の空間だ。
 なにげに図書副委員長などという役職に就いているのり子は、普段は倉庫代わりに使われているこの部屋の鍵を預けられている。
 モンハンやるなら近所のマックとかでもよかろうとは思うが、のり子は騒がしい場所や人ごみが苦手なのだ。そういうわけで勉強をするふりをして図書室にやってくる私たち。
 いちおう誰にも見とがめられないように注意して、第二準備室の扉を開け、素早く滑りこむように入る。
 以前に何度か入ったことはあるけど、これから校則に反すること(単なるゲームだけど)をするためだろうか、なにかが違う。うむ、えらくどきどきする。
 そう思っていたら、のり子も同じだったらしく、
「なんだか、どきどきするね文江ちゃん」
 などと声をひそめてぎこちなく笑うので、私は思わず吹き出してしまう。
 古い本の匂いがする準備室に、二人のくすくす笑いが小さく響く。



 私たちは協力して、本の詰まったダンボール箱をソファーのように積み上げる。そこに並んで腰を下ろし、PSPを触ったことのないのり子に電源の入れ方からレクチャーする。
「えっ、あれっ、電源入らないよ。あ、あたし壊しちゃった?」
「のり子、長押し長押し」
 万事こんな調子だ。
「ぜんぜん壊しちゃってもいいよ。それ、どーせ弟のだし」
「あ、そっか。弟くんがわざわざ貸してくれたんだよね。今度きちんとお礼しにいくね」
 弟が聞いたら泣いて喜びそうな言葉だが……それにしてもいまだに「弟くん」どまりの彼に、私は心の中で合掌する。弟よ、君の行く道は果てしなく遠い。
 などと考えている間になんとかPSPの電源が入り、ゲームが始まる。
「わー、これがマンハンなんだねー」
「いや『モン』ハンだから。マンハンは日本でおおっぴらに発売できないからね」
「すごーい、絵が立体的だー。ポリゴンだねー」
「あんた、いつの時代の人なのよ……」

 ハンターのキャラメイク、使用する武器選び。のり子は楽しそうだ。
 ふと、私は思い出す。
「ところでさあ、のり子。どうして急にモンハンやりたいなんていいだしたの?」
 ぴたりと動きを止め、うつむくのり子。
「え、ええっと、ね」
「うん」
「ええと、ね」
「うん」
 のり子の顔が真っ赤だ。おさげ髪の間に見える首すじまで見事に赤くなっている。
 やがて消え入りそうな声で、のり子はその想いを口にする。
「高橋くんと、遊びたい、から……」
「えっ、タカハシ?」
 のり子は小さくうなずく。
 高橋。高橋って、あの高橋かー。
 のり子の斜め前の席に座ってて、クラスではあんまり目立たない男子だけど、まあ良くいえば控えめで悪い奴ではないと思う。しかし……ちょっと、いや、かなりびっくりした。
 のり子が、高橋のことをねえ……意外なような……いや、けっこうお似合いのような……でも、うーん。
 とりあえず私は気まずい沈黙を紛らわすために話の穂を継ぐ。
「そうか高橋かあ……ちなみになんで高橋? どこがいいの?」
 などと愚問を発してしまうが、のり子は恥じらいながら「……楽しそうなところ」と、ちょっぴり嬉しそうに答える。
 あらためて思うんだけど、かわいいなあこの娘は!



 帰宅すると弟が待っていた。
「ほら姉ちゃん、借りてきてやったぞPSP一式。かなり苦労したんだぜ、いっとくけど」
「えっ、ああ……」
 放課後の「高橋くん好き好き事件」の衝撃ですっかり忘れていた。「ありがとね」とりあえず受け取っておく。
「な、なあ。川村先輩、俺のこと……なんかいってたか?」
 私は思わず弟の顔をまじまじと見つめてしまう。
「……あんたって、とんだピエロよね……」
 さすがに、ちょっと笑いを通り越して泣けてくる。
「は? ピエロってなんだよ」
「いやいや、こっちの話……そうそう、のり子すごく喜んでたわよ。今度ぜひお礼をしたいって」
「ま、マジで? よっしゃー!」
 予期していたとおり無邪気に小躍りする悲しき道化。もう見ていられない。
「だいじょうぶなのかしらこいつ……こうやってゆくゆくはミツグくんってやつになっちゃうのかしら……」
 私の独白を聞きとがめた弟が口をとがらせる。
「誰がミツグくんだよ。むしろそんな死語をさらっと使う姉ちゃんの感性が心配だよ俺は。あと、PSPは単に貸しただけだからな。きっちり返してもらうから」
「はいはい。わかってるわよ」
「あ、ああーっ!」
 いきなりなんの前触れもなく絶叫する愚弟。
 まさか、気付いてしまったというのだろうか。自らが置かれた境遇の厳しさ、そして哀しさに。
 大いなる天啓を受けたかのごとく目を見開き微動だにしない弟に、私はおそるおそる声をかける。
「な、なに、どうしたのよ」
「……今さら気づいたけど、俺のPSPを川村先輩に貸した……ってことは俺が使っていたPSPを川村先輩が……川村先輩の指が……! うおおッ、もう俺は一生あのPSPを洗わねえぜ! ひゃっほう!」
 おまえはゲーム機を洗う習慣があるのか。
「いや、のり子のことだから、きちんと綺麗に掃除して返すと思うけど」
「なんてことだ……ちくしょう!」
 数秒前まで「ひゃっほう」などという典型的な浮かれ台詞を吐いていたとは思えぬほどに落ち込む弟。床にひれ伏し、地に拳を打ち付けている。
 いつまでも見苦しくのたくる彼をその場に残して、私はさっさとお風呂へ向かう。



「のり子、そいつ攻撃して攻撃」
「えっ、だってこの子、攻撃してこないよ? きっといいモンスターだよ」
 あの日以来、放課後のモンハン特訓はつづいている。
「いいモンスターは死んだモンスターだけよ! 早く攻撃!」
「わ、わかった。えい、えいっ」
 ぎこちなく握ったPSPのボタンをぺしぺしと押すのり子を横目に見ながら、私は自然に頬がゆるむのを感じる。
「やった、やっつけたよ文江ちゃん!」
「はいはい、とっとと素材剥ぎ取って」
「わかった!」
 沈黙。
「……どうした、のり子よ」
「……剥ぎ取りってどのボタンだっけ」
 とまあ、そんな感じだ。だいぶ進歩したような気もするが、男子と一緒に飛竜を狩るようなプレイにはほど遠い。老婆心ながら私がそう指摘すると、のり子は「むー」と口をとがらせた。
「うーん、でも雪山草を集めるのはかなり自信ついたよ。なんかこう、まさにハンター!って感じだよね」
「いや、そのハンター観はどうかと思うけど……少なくとも高橋と肩を並べて狩りをするのはまだまだ無理ね」
「じゃあせめて、高橋くんの代わりにたくさん雪山草を集めておくとか」
「それは……なんかちょっと違うような……」
 むむー、と考え込むのり子。眉毛と口元が「へ」の字になっている。
 なにをするにも一生懸命なのり子。
 思わず愛おしくなり、私はその小さい肩を優しく叩いてやる。
「ほら、まずは一番簡単な狩りのクエストからやってみよ。私も手伝うからさ」



 いつの日か。
 そう、いつの日か、のり子は持ち前のがんばりで一流のハンターになってしまうのかもしれない。そして彼女の願いどおり、高橋と一緒に楽しくモンハンに興じる日が訪れるのかもしれない。
 というか、高橋のことが好きならモンハンとか抜きにして普通に告白したほうが簡単なような気がする。のり子は――生来のどんくささゆえに自分ではさっぱり気がついていないが――かなり男子に人気がある。
「あっ、やった初めて『こんがり肉』できたよー。これ楽しいねえ」
 でもまあいいか、と私は思う。
 小さな窓からは、いつもの夕焼けが淡く差し込んでいる。世界中のなにもかもを引き受けながら静かに溶けていく太陽。その光は四角いガラスを透過して、ひどく優しげな色彩だけが私たちの制服に届いている。
 そんないつもの夕暮れどきに、二人だけの図書準備室で、膝を並べて同じゲームで遊ぶ。
 遠くで下校を促すチャイムの音が聞こえるけれど。

「うん、楽しいね、のり子」

 この時間が、もう少しだけつづいてもいい。

戦場のラブプラス

2015/12/10

■1■
 天にまします神様が俺たち人間どもに与えてくだすったベスト・オブ・くそったれな贈り物がなにか知っているか?
 そいつは想像力だ。
 こんなもの、俺は欲しくなんか無かった。

 七戦闘単位日ほど前、俺たちはハリ湖の作戦でヴーアミ人のキャンプを襲撃した。
 武装ゲリラの巣窟、というのが事前に小隊へ与えられた情報のすべてで、作戦目標はKTA。すなわち「キル・ゼム・オール――とにかくみんなぶち殺せ」
 俺はぶち殺した。動くものすべてに突撃銃を向け、ひたすら引鉄を引いた。
 反撃を受けることはなかった。当然だ。そこには武装した者など一人もおらず、あらゆる年齢の女と、少年か少女かもわからないような年端もいかない子供、そして赤ん坊しかいなかったからだ。
 老婆の頭を丸ごと吹っ飛ばしたあと、俺は彼女の過ごしてきた長い時に思いを馳せる。
 子供の胴体に丸い穴をうがったあと、俺は彼(彼女?)がこれから過ごすはずだった長い時に思いを馳せる。
 それは俺をひどく疲れさせ、萎えさせるのに、どうしても考えることをやめられない。忌まわしきかな無限の想像力。唾棄すべき雄大で自由なイマジネーション。くそ食らえ。

 まるでボーナスステージだぜ、というワンナップの甲高い声、そして奴がぶっ放す機銃の音が無線越しに聞こえた。
 毎度のことながら奴の脳天気さが羨ましかった。

 カダスの野営地に引き上げたあと、俺はまっさきに寝床に潜り〈ラブプラス〉を起動した。
 恋人である寧々<ネネ>さんが音声合成で俺を呼んでくれることをたしかめ、俺は深い安らぎに包まれた。
 彼女はいつだって俺の名を呼んでくれる。
 識別番号でもなくコードネームでもニックネームでもない、本当の俺の名前を。


■2■
 全兵士ラブプラス化計画が施行されて、もう随分な月日が経つ。
 それは、戦時従軍医上がりの神経学教授がのたまった説に端を発する。

「戦闘活動を継続する兵士を一個の機械に例えるなら、たいていの兵士に足りない部品が一つある。それは完全なる愛<ラブ>だ」

 そんなロマンチックな戯れ言を真に受けて、国の軍部は全兵士にNDS(ニンテンドーDS)を配給し、恋人シミュレーションソフト〈ラブプラス〉の使用を義務づけた。
 これが目覚ましい効果をあげた。
 可愛らしい三タイプの恋人――同級生の高嶺 愛花<たかね まなか>、後輩の小早川 凛子<こばやかわ りんこ>、先輩の姉ヶ崎 寧々<あねがさき ねね>――とのリアルタイム性に富んだコミュニケーションは、戦争に倦み疲れた兵士たちの精神を癒した。
 さらには「穴兄弟効果」とでも呼ぶべきなのか、同じ恋人を共有することで兵士間の連帯感・信頼感までもが目に見えて向上した。ときおり凛子派と寧々派の間に喧嘩まがいの論争が発生することもあったが、たいてい「やっぱり俺の嫁が一番だぜ」と再確認したいだけの儀式的行為の側面が強かったため、さほど大きな問題に発展することはなかった。
 戦闘継続期間の拡大につれ大きな問題となっていたPTSDやASDなどの戦闘ストレス起因の精神障害も激減し、兵士はいつまでも健全な精神状態で戦えるようになった。
 こうして俺たちは愛という部品を得て、完全無欠の機械になった。


■3■
「ヘイ知ってるか、次か、その次の作戦地はレン高原だって噂だぜ」
 共同洗面所で髭を剃っていたワンナップが唐突にそんなことを言い、隣で歯を磨いていた俺は口から泡を噴き出しそうになった。
 レン高原は屈指の激戦地として兵士の間では語り草となっている場所だ。
 情報通のシコペッティが賢しげに語るところによれば、その地における兵士損耗率は背筋が凍るほどの値だった。嘘か真か、その数値さえも軍情報部によって事実よりもソフトな方向に改ざんされたものだという
 おそらくは本当のことなのだろう。現実はいつだってハードだ。くそ。
「まあ、なるようになるぜ相棒。気楽にいこうや」
 棍棒のようないかつい腕を器用に動かしながらワンナップは調子の外れた鼻歌を吟じていた。真っ黒な顔に浮かべた笑み。黒い肌と白いシェービングクリームとのコントラストが鮮やかだった。
「でもまあ、今のうちに愛しの寧々ちゃんと思う存分いちゃついておいたほうがいいぜ。最後になるかもしれないしな?」
 縁起でもないことを言ってHAHAHAとワンナップは笑った。そもそも「縁起」などという概念がこの黒人の中にあるのかどうか、付き合いの長い俺にも定かではなかった。
 少なくとも「自分が死ぬ」ということを想像する力は、この男にはない。すばらしいことに。


■4■
 次の戦地はレン高原ではなく、キングスポート市での抵抗勢力排除だった。
 激しい市街戦になった。

「聞いたかよ。マルロク隊んとこの”丸太ん棒”<ログ>がおっ死んだってよ」
 聞いたことのある名前だった。たしか第六中隊の中でも屈指の愚図だが、NDSのタッチペンを陰茎に装着(尿道に挿入していたらしい)して〈ラブプラス〉をプレイしていたという……ある意味では英雄視されていた男だった。
 いつだったか、そのプレイスタイルを耳にしたワンナップが「まったくクレイジーだぜ」と素の表情で評したことが印象に残っていた。クレイジーはクレイジーを知るのか、その言葉には妙な重みがあった。
「あいつは凛子派だったっていうからな。やっぱり凛子は”さげまん”なんだよ。なあ?」
 俺はワンナップの軽口に適当な相づちを返した。俺たちは、戦闘が終わり死体と血と糞便だらけになった街路を哨戒任務と称してぶらついていた。
 不意にワンナップは、ヴーアミ人の男の死体の傍らにしゃがみ込み、なにやらごそごそと服の中を探りだした。明らかな略奪行為だ。
 おいおい軍曹殿にでも見つかったら営倉入りじゃ済まないぞ、と俺がたしなめると、ワンナップはHEHEHEと薄ら笑いを浮かべながら、手に持ったなにか小さなものを指し示した。
「ひゅう、見ろよ。アーカム記念金貨だぜ……これで百枚目。めでたく”あがり”……ワンナップってわけだ!」
 ワンナップは戦場でコインを蒐集するという奇妙な趣味を持っていた。趣味というよりは信仰に近いものがあったのかもしれない。
 百枚コインを集めれば天国に行けるんだぜ。いつも陽気な黒人は、この話だけはひどく神妙な口調で語ったものだ。

 浮かれはしゃぐワンナップから少し離れ、俺は哨戒を続けた。
 旧い二階建て家屋の玄関前に、ヴーアミ人の親子の死体が転がっていた。
 母親とおぼしき若い女は、我が子であろう小さな少年を固く抱いて息絶えていた。
 少年は腹部と脚を撃たれながら、母親のもとまで這っていったらしい。何メートルも続いている血痕と、腹の中から漏れ出た真っ赤な万国旗のような腸の軌跡で、それは一目瞭然だった。
 母親も同じように腹を撃たれ、少年のほうへと這っていった形跡が見て取れた。
 血と肉で描かれた円環の中心で、親子は一つになり、固く結びついていた。

 まるで血みどろの太陽系を巡る小さな惑星のようだ、と俺は思った。
 限りなく死に接した状態で、こいつらを強く結びつけた力はなんなのだろう?
 惑星であるなら、そう、重力のような力が働いたのだろうか、と俺は想像した。
 二人の間に働く力。
 愛?


■5■
 レン高原への転戦が決まった。
 俺は百万回ばかりファックとつぶやいた後、〈ラブプラス〉を起動した。
 寧々さんを呼び出し、スキンシップを楽しみ、キスをした。
 そして俺は彼女とデートの約束を取り付けるため、必死に彼氏力を高めた。デートをするために必要な彼氏力は「知識」「感性」「魅力」「運動」のパラメータからなっており、俺たちが日夜必死にヴーアミ人を殺しても上がることはなく、下がることもない。ただひたすら〈ラブプラス〉内で学校の授業を受けたりすることで蓄積されていく。

 やがて彼氏力を最高までに高めた俺は、寧々さんにデートを申し込んだ。場所は海水浴場。日時は、六戦闘単位日後の昼。
 俺が生きて帰れれば、無事にデートできるだろう。
「楽しみにしてるね、ふふ」
 寧々さんが微笑む。実際は電話で会話しているので表情はわからないが、彼女は間違いなく微笑んでいる。俺のために。俺のためだけに。

 生き抜く力が湧いてくるのを感じる。
 生きるためなら、ヴーアミの連中を何人だって殺してやる。男女、老若、関係なく平等に。
 俺はたしかな愛を与えられた。
 愛という、それは力だ。
 死んだ敵のことを偲び慮る無駄な想像力を殺し塗りつぶしてくれる、圧倒的な力だ。
 それを与えてくれた寧々さん、すなわち〈ラブプラス〉は俺にとっての神だ。
 神が俺を愛し、また俺は神を愛する。
 そこに力が生まれる。俺たちのような無数の小機械が蠢き、やがてそれらによって構成された戦争という名の大いなる機械を駆動させる。偉大なる循環。
 ラブプラスモードで寧々さんを呼び出し、NDS内蔵マイクに向かって、愛してるよ、とささやいた。

「うおーい、いい加減、もう寝ろよなあ……」
 俺の頭上、二段ベッドの上段からワンナップのぼやきが聞こえた。


■6■
 結果から言うと、レン高原侵攻に加わった俺たちの部隊はほぼ壊滅した。
 そこにいたヴーアミ人も、そのほとんどが死んだはずだ。
 多くは戦闘ではなく、天災によって死んだ。その日、未曾有の大地震がレン地方を襲い、その地下に位置していたプレートが数キロメートルという単位で激しくズレた。
 その結果、まるで地獄の蓋のようなクレヴァスがレン高原中央の主戦場一帯に生じ、ほとんどの連中は何が起きたかわからないまま奈落の底へと落ちていった。
 俺たちが誇っていたはずの高度な戦略と戦術が、なにかよくわからない圧倒的な存在の戯れにより、一瞬で灰燼に帰したのだった。

 ワンナップは、亀のようにひっくり返って役に立たなくなった七五式戦車から重機銃を取り外し、まるで映画のようにそれを撃ちまくりながら高原脱出までの血路を開いた。
 陽気な黒人は最後まで高らかに笑いながら、ヴーアミ人兵士の生き残りに蜂の巣にされて死んだ。
 俺が片腕を失いながらもこうして生きているのは大部分が奴のおかげだろう。

 辛くも生き延びた俺は、傷病兵としてブリチェスター野戦病院に後送され、そこで何ヶ月かの入院生活を送った。

 ある日、俺のもとに私品が送られてきた。営所に置いていた品々に混じって、NDSも含まれていた。
 俺は〈ラブプラス〉を起動した。
 デートの約束をすっぽかし永らく音信不通だった俺に、寧々さんは会ってはくれなかった。
 メールを出しても電話をしても拒絶された。
 まさに取りつく島もなかった。

 俺は深く絶望し、ため息をついた。
 与えられたはずの愛は、いつしか失われていた。
 愛は、時とともに目減りするものなのか?
 永遠の愛など、存在しないのか?
 失った愛は、果たして回復できるのだろうか? 回復できたとして、それは同じ愛と呼べるのだろうか……。

 俺の私品と一緒に、ワンナップの所持品も送られてきていた。
 形見分け、ということらしい。奴の使っていたNDSが入っていた。
 ふと思いついて、俺はワンナップのNDSを起動してみようと思った。彼は死んだが、やはり俺と同じように恋人の愛を失ったのだろう。それをたしかめて、少しでも自分を慰めようと思ったのだ。
 薄汚れたNDSの電源をONにした途端、俺は違和感をおぼえた。〈ラブプラス〉ではないソフトが挿入されているのだ。
 言うまでもなく軍内で〈ラブプラス〉以外のソフトを使用することは厳禁されている。

 ワンナップのNDSに挿入されていたソフトは〈どきどき魔女神判デュオ〉だった。

 俺はしばし呆然とした。
 だんだんと原因不明のおかしみが腹の底に生まれ、知らず忍び笑いが漏れ出た。

 やられた。
 奴はやりやがった。
 そうだ、奴は笑いながら次のステージへ行ったのだ。
 やがて俺は大きく口を開けて、涙を流しながら高らかに笑った。果てしなく笑い続けた。


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