エスカレーターでのキス

2009/06/04

 かつてないEROティックさを感じさせるタイトルの日記だけども、もちろん俺自身のキスのことではなく、俺が一日の長い長い業務を終えて帰路につき職場から五分ばかり歩いたところにある東京メトロのエスカレーターを降りているときに、すぐ前の若者たちがキスをしておったという話だ。

 まるで地下洞窟の入り口のように深く降りていくエスカレーターは一人分の幅しかなく、それに乗って自動的に運ばれていく俺は、そのすぐ前で同じように自動的に運ばれながらも互いに身体を不自然にねじって唇を合わせている若い男女を至近距離で見るはめになった。
 男は俺に背を向けており、したがって女はこちらに顔を向けている。男の肩越しに女の顔が見える。俺はそれを見下ろすような格好となるが、目をそらすのもおっくうだったのでそのままずっと女の顔に視線をやっていた。
 女と目が合った。
 エスカレーターの途上で、男を挟んで俺と彼女はつかのま見つめ合う。
 女の瞳は揺るぎがなかった。
 たぶんこの世で自分ほど正しい存在はないと思っているに違いないその視線から、俺は思わず目をそらす。
 きっと自分ほどこの世で間違っている存在もなかろうと思っている俺は、王様一行の凱旋に道を明け渡す物乞いみたいに圧倒的な自然さで目をそらす。

 見れば男は、緑のズボンを履いていた。森の緑を体現したとでもいうべき見事なグリーン。
 女は真っ赤な服を着ている。
 きっと主人公なのだろう。それほどのレッドぶりだ。
 たぶん、これはマリオとルイージの暗喩であり、俺が今この瞬間、地下へ地下へと降りているのはキノコ王国ということなのだろう。
 王国の英雄たる兄弟の愛し合うさまを眼前にして、不条理な思いにかられ目をそらす俺はさしずめピーチ姫の役どころか。
 それなら早くクッパかなにかが俺をさらいに来るといい。
 カメだかキノコだかの王国の奥深くにでも連れて行き、俺をおもうさま幽閉すればよい。なんなら俺の五体を分割して部下たちに一つずつ守らせでもしたらいい。

 そうしてエスカレーターが終わり、俺たちは自動的にメトロのホームにたどり着いた。
 目の前の恋人たちはもう身体を離していたし、そこはキノコの王国でもなく俺はピーチ姫ではなかった。
 ようするに、エスカレーターは楽だけど、ときどきすごく意味ありげで、少しだけ疲れるよなという話。
 そして恋人たちは世間の目なんざ気にせず公衆の面前でイタリア人のようにいちゃつけばよいという話だ。
 俺はピーチ姫じゃないけど、いつかこの世界に愛と平和が満ちることを祈ってる。
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