過労とハイエルフ

2009/08/27

 先日、新しい蟹籠の手配時に淡水と海水を間違ってぶち込むという致命的なミスをやらかし、その後の処理やらなにやらで疲れている。

 忙しい。
 疲れた。
 腹減った。
 終電。
 土日も仕事。

 そういう感じで日々、忙しくて己の心がすさんでくると、世の中すべてがすさんでいるように感じる。
 たとえば一昨晩、終電で帰った駅の階段に割れた酒瓶が放置され、激しく酒精の香りをまき散らしており、俺はそこに果てしない場末の匂いを感じ取る。
 かつてない場末感。
 駅、すなわちターミナル。
 接続を意味するその場所において、なんという圧倒的な場末感。

 たとえば昨晩、またも終電で帰る途中、駅通路の床に俺は細かな木屑の山を見かける。
 それが駅員さんが吐瀉物を片付けた直後の状態であることを俺は知っており、多くの人が行きかうその場所に潜むゲロに対して俺は戦慄する。
 これも場末。
 やはり俺はどうしようもない場末ぶりを感じて悲しくなって、家に帰ったあとに少し泣く。

 そしてつい先ほど、例によって終電を降りて駅を出て家に帰り着く直前、腕を組んだ仲むつまじい男女が牛歩のごとき速度で、俺の進行方向をブロックする。
 速度を上げ、これを迂回して追い抜くことは簡単だ。
 だがスーパーの深夜割引の惣菜のレジ袋を持った俺は、なぜか彼らの前に躍り出ることを躊躇する。
 いらつきを感じつつも、俺は連中のスリップストリームにつける。
 限りなく空気抵抗の低まったその状態で何百メートルかを歩き、やがて彼らは俺の住むアパートの階段を上がっていく。

 アパートの一階に住む俺のさらに上へと、笑いさざめきながらのぼりゆく恋人たち。
 ある種の天上人といってもよい。
 それは場末ではなく、むしろ場末よりもさらに忌々しく呪わしいなにかであり、俺はやりきれない思いを抱えて玄関で靴を脱ぎかけ、ああそうだ、忘れぬうちにと燃えるごみを出しに行く。
 燃え尽きてしまえ、と強く願いながらごみを出す。

 酒瓶、吐瀉物、天上人。
 俺がすさんでいるから世界もすさむのだとは思いたくない。
 こんな俺なんぞのコンディションに関係なく、まわりはまばゆくて輝かしくて、いっそなにも見えないぐらいの盲目的幸福に満ち溢れていてほしいと俺は祈る。

 また太陽が昇り、日が暮れて、そうして気がつけば仕事のことを考えている。
 目の前には無数の蟹と籠と計器があり、さすがにうんざりして、蟹がある日突然すべて死に絶えたらいいのに、と俺はほんの少しの間だけ夢想する。
 すべてが死に絶えて、連中の吹く泡で世界が白く染まればいい。

 われながらどうかとは思うが、いずれこの忙しさの反動で俺はハイエルフになってしまうのではなかろうか、と半ば本気で考えたことを告白する。
 ハイエルフというのは、ようするに通常のエルフよりもハイな連中の総称で、とにかく風の精霊とかの力を借りて飛来する矢を防ぐほか、こよなく木々を愛し、林を守護し、ときには森に住むという自然派かつスローライフきわまりない種族である。

 すべての蟹が息絶えたあとの白く静かな森の世界で、ハイエルフとして安穏と過ごせればどんなにかすばらしいことだろう。
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