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ラブプラス、すなわち自らの生に愛を加えること

2009/09/08

 世の中の人間は二種類に分けることができる。
 ゲームに救いを求める人間と、そうではない人間だ。

 俺について正直にいうと、ゲームに救いなどは求めていないつもりだ。
 ゲームなどというものは遊戯でありお遊びであり娯楽であり、つまるところは有意義な暇つぶしだ。
 そこに救いを求めるという行為を、俺はひどくいびつなものだと感じる。
 基本的にゲーム体験というものは消費そのものであり不可逆なものであって、そこから何らかの正的フィードバックを得ようとするのは邪道というか、なにか違うんじゃないのか、という思いが常にある。
 ゲームをネタにしてブログの記事を書いたり同人誌を作って売ったりしてきた俺だけど、実は心の底ではそんなことを思っている。

 真の意味におけるゲームのすばらしさというものは、他人と共有などできない。
 いつだって最高のゲームは自分の中にあるゲームであり、けっして他人のそれではない。
 完成されたゲームプレイの姿というものは、自らの中でのみ消化し、昇華し、尾を噛む蛇のように閉じた輪の中で永遠に循環させることができる、そのようなもののことを示すではないかと。

 救い、というのはその輪から抜け出すことであり、すなわち解脱……ゲームからの逸脱だ。
 そんな体験をもたらすものは、もはやゲームではなく「ゲーム以外のなにか」であろう。


 先日「ラブプラス」なるゲームが発売された。

 あなたの人生に、ラブをプラス。


 君の心にラブは足りているか?



 そんなような売り文句で大々的に宣伝されているのを見かける。
 問われてみればたしかにここ最近、俺の人生にラブは足りないような気がする。
 いや、もっといえば、足りないどころかラブが存在しない……皆無であるといっても過言ではない。
 だが、そんなことをたかだかゲームの宣伝文句などで問われたくはない。大きなお世話だといいたい。
 笑わせるな。
 俺の人生に、ラブなど――。

 そうして気がつけば「ラブプラス」を買ってきている自分がいる。
 あまつさえニンテンドーDSiまでも同時購入している。
 俺はそんなにラブに飢えていたかのか。わざわざハードウェアを買い換えてまで、たかが携帯ゲーム機のソフトふぜいからラブを得ようなどとおこがましいことを。

 ラブ、すなわち愛。
 愛は苦に満ちた衆世を救うという。
 俺は救われたいのか。
 そして救ってくれるというのか、このゲームが……。

(つづく)
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