はなまる幼稚園

2010/04/12

 骨の浮き出た上半身を可動式ベッドにもたれかけさせ、正岡は薄型テレビに見入っている。
 田崎が病室に入っても、その眼差しは凝として液晶ディスプレイに注がれたままであった。

「また『はなまる幼稚園』ですかい、叔父貴」

 声をかけ根際に添う田崎を一顧だにしない正岡。その年輪を重ねた枯れ木の風情とは対照的な、荒々しい木彫り細工のような面貌をこころもち伏せた田崎は、ただ黙して待つ。
 先月よりも少し痩せたか――と田崎は思う。
 カリエスを患い二年ほども寝たきりになれば、かつて誠和の牛鬼と呼ばれた男がこうまで枯れ、細くなるものか――田崎は己の胸に生じた鉛の味をしばし噛み締める。

 やがてテレビに写っていたアニメ――『はなまる幼稚園』の七話『はなまるな夏休み』――が終わり、正岡が深く、長い息をつく。
 そして正岡の目玉が別の生き物のように蠢き、田崎を見据える。

「おう、おどれ……おったんかい」
「へえ」


 田崎は頭を下げる。
 関東誠和の代貸という地位に就き、面に似あわぬインテリ極道と謗られながらも誠和の組を背負って立っている自負があり、もはやおいそれと人に下げる頭を持たぬのが田崎の立場だが、正岡だけは別である。

「わしゃあ、もう老い先短い身よ」

 飄とした口調で老人は中空に言葉を紡ぐ。

「はなまることだけが……生き甲斐じゃけえのう」

 はなまる、とは『はなまる幼稚園』を力一杯視聴することを意味する隠語であり、類義語に「ひだまりスケッチを堪能する」という意の「ひだまる」などがある。

「田崎よお、おどれ『はなまる幼稚園』のオープニング、どう思うた」

 唐突な正岡の問いに戸惑いながらも、田崎は率直に応じる。

「へえ……悪くないと思いますが。威勢よくて、力が湧いてくる気がします」

 その田崎の言葉を受け止める正岡はどこか遠く――広く白い病室の壁を超え、さらに遠くのどこかにその視線の焦点を勇躍させる。
 その瞳に浮かぶ澱の色を見た田崎は思い出す。
 三十年前のあの日、あの夜――”牛鬼”の異名を界隈に轟かせたあの惨劇を起こした男の眼は、ただひたすらに寂しい冬の夜空のようで、しかしどこまでも爽やかな藍の色をたたえている――。

「わしゃあ、あのオープニングがあの世の光景に思えるわ。動くはずのねえぱんだねこの人形が動き出して、あんずや小梅が天に昇っていくんじゃ。この世のしがらみ、悩みだの痛みだのが一切ない真ッさらな笑顔でな……そうじゃ、あれはまさに浄土じゃけえ。今までさんざ野良突いとったわしにゃあ、まぶしい――縁遠い場所よ」
「叔父貴……」
「あの”花丸”を見ると……まぶしくて、切のうて、どうにもやりきれんのじゃ」


 はなまる、という四字の言葉が田崎の胸に重くのしかかる。
 よくできました、の意を持つ花形の印。
 最上の評価を示すそれは、同時に万物における因果の終焉――ものごとの終わりを暗示するものではなかったか。
 誰かは知らない。だが、この世で初めてその印を用いた者は、すでに終わり失われてしまったものに対する密かな哀悼の想いを――あるいは皮肉を――込め、いつ散るとも知れぬ儚い花のかたちを飾ったのではないのだろうか。
 正岡は、さらに深い息を虚空に吐き出す。

「しかしのう田崎よ、ときおり花丸がオメコのかたちにも見えるんじゃ。わしらオメコの汁で飯喰うとるような身よ、それでええのかもしれん。しれんが、のう田崎……」

 次第に小さくなっていく声に、伏していた顔をつと上げた田崎は、老い枯れた男が一筋の涙を頬に溢れさせるさまを目にする。
 ゆっくりと視線をずらしながら「おれは――」と田崎は思う。
――おれは、おれの両の眼は、遙か遠くではなく、ただ己が懐に抱き続ける卑近な魂を眺めるしかないのだ。

 正岡は顔の皺を集めるようにまぶたを閉ざす。
 やがて自動リピート再生で流れ始めた「はなまる幼稚園」のオープニング――主題歌「青空トライアングル」にのせて謳われる若い恋の心が、つかのま言葉をなくした二人の男の間に横たわる静寂を――ただ、ひたすら優しい夕暮れの色に満たしていく。
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