ちゃんと!
何年かぶりに風邪をひいた。
先週末、仕事を終えたあたりから、どうにも寒気がして身体がだるいような気がしていた。
寒いのは冬だから当然だし、身体がだるいのは新年会の酒やら寝不足のせいだろうと思っていたら、実は風邪だった。
風邪をひくのが本当に久しぶりすぎて、風邪だと気づくまでにしばらくかかった。
家に帰り、だるさを通り越して身体の節々がにぶく痛み出し、鼻水と咳が止まらなり、ようやく「あ、ヤバい。風邪だこれ」などと気づいたのだった。
あわてて風邪の対処法を思い出そうとする。
うがい。手洗い。
それは予防法だからおそらくもはや手遅れであろう、などとくらくらする頭で考えつつも、とりあえず口をゆすいで手を洗ってみる。
水が冷たい。
死ぬほど冷たい。
手のひらで感じた寒気が身体の奥深くに届き、俺は全身を震わせる。
普段ならすぐにおさまるはずのちょっとした寒気が、ずっとおさまらない。
震えで歯が鳴るほどに寒い。
うおお、寒い。寒すぎる。
俺は布団の中に潜り込む。出しっぱなしのコタツも併用し、全力で俺自身を温める。
「さみー、さみー、さみー、マジさみー」
呪文のようなつぶやきは、俺自身の声だ。
それを完全に無意識に口にしていて、あ、これは「うわ言」というやつだな、と俺は思う。
しかし本当に寒い。
身体に力が入らない。
そのとき、唐突な尿意をおぼえ、それが意味することについて俺は恐怖する。
え、おいおい、マジかよ。
暖房の効いていないトイレまで行って、用を足してくるのかよ。
こんなにも寒いのに?
ワンルームの、たかだか二メートルも離れていない距離のトイレにおもむくまでの困難さ、それに至る無力さを思い、俺は深く落胆する。
そうだ、思い出した。
これが風邪だ。
どうして今まで忘れていたんだろう……という疑問は、頭を侵す熱にぼんやりと飲み込まれた。
そうして丸一日ばかり寝こみ、ようやく俺の体調は快方に向かう。
大量の汗で布団のシーツが重く湿っていた。
使い古しているそのシーツは、よく見るとところどころ汚れたり布地が裂けたりしており、ひどくみすぼらしく痛々しい。
買い替えどきだなと思い、駅の近くにあるデパートに行くことにする。
幼いころ、自分にとってのデパートは玩具のフロアがすべてだった。
それ以外のフロアにはいっさい興味はなく、ましてや用事ができることなど微塵も想像しなかったし、できなかった。
俺は玩具のフロアをエスカレーターで素通りし、寝具売り場へと足を運ぶ。
シングルサイズの「毛布カバー(がーぜ)」とラベルされている商品を陳列棚から手に取る。
すぐ近くに、まったく同じサイズ・同じ会社の製品で「毛布カバー(ガーゼ)」という商品があることに気づく。なぜカタカナとひらがなで同じようなものがあるのだろう。
表記の差だけならまだしも、カタカナの「ガーゼ」のほうが「がーぜ」より500円ほど高い。
この価格差はなんなのだ。
カタカナとひらがなでどういう差異があるというのだろう。
俺はどちらを買えばいいのだろう。
数分ほど悩んだ末、けっきょく俺は最初に手にした「がーぜ」のほうを購入した。
もともと「ガーゼ」はドイツ語であり、すなわち外来語だ。日本における言葉の用法として、外来語はカタカナで表記するのが一般的のはずであり、そうであれば「がーぜ」とは「ガーゼ」とは似て非なる謎の織物なのだろうか……。
そんなことを考えつつ「レジ袋削減にご協力ください」と書かれているレジで会計を済ませ、普通にレジ袋をもらい一抹の罪悪感に駆り立てられる。
帰宅するべく俺は下りのエスカレーターに足を乗せ、身体を沈ませていく。
下へ、外界へ。
その途中、子供衣料のフロアを通りすぎる。
来るときには気付かなかったが、大きな広告ポスターが貼り出されており、そこにはこうある。
入学式。
そうか、もう入学の季節が近づいてきているのか。
こんなにも寒いので実感がわきづらいが、春の訪れは遠くない。
そう思ってみると、つかの間、春のそよ風が吹いたような気がして不思議な暖かさを感じたような気がする。
それにしても、小学生か。
もはや自分に小学生時代があったということなど、設定上の話なんじゃないかと思うぐらいに、あまりに遠すぎて現実味がない。
ちゃんと……か。
風邪ごときで弱っている場合ではない。
小学生に負けないよう、俺も「ちゃんと」しなければ。
そんな殊勝な思いを胸にした俺は、広告ポスターの右横に描かれているイラストを目にする。
俺は思わずエスカレーターを転げ落ちそうになる。
誰だ。
いったい誰なのだ、おまえは。
心の中で力いっぱい問いかける。
いや、わかっている。よくよく見れば、ご丁寧にも右横に小さく書いてある。
「ちゃんと先生」
先生――だというのか。
子供の規範となり、その指導にあたる大人であることを意味する「先生」だというのか。この人物が。
そう表記されているからには先生なのだろう。
しかし「ちゃんと先生」とは何事か。
そもそもあなたが一番ちゃんとするべきではないのか。
ランドセルは頭部にかぶるものではないだろう。
そんな奇矯な格好をして、どの口で「第一印象がだいじ」などと言えるのか……。
思わず口をついて出そうになる数々の指摘事項をすんでのところで飲み込み、ひとまず俺は深く息をつく。
深呼吸。
あるいはため息。
ここで俺はうっかり、一言だけ言葉を漏らしてしまう。
「……ちゃんとしよう」
下りエスカレーターのすぐ二段ほど前にいたご婦人が、怪訝そうにふりかえった。
先週末、仕事を終えたあたりから、どうにも寒気がして身体がだるいような気がしていた。
寒いのは冬だから当然だし、身体がだるいのは新年会の酒やら寝不足のせいだろうと思っていたら、実は風邪だった。
風邪をひくのが本当に久しぶりすぎて、風邪だと気づくまでにしばらくかかった。
家に帰り、だるさを通り越して身体の節々がにぶく痛み出し、鼻水と咳が止まらなり、ようやく「あ、ヤバい。風邪だこれ」などと気づいたのだった。
あわてて風邪の対処法を思い出そうとする。
うがい。手洗い。
それは予防法だからおそらくもはや手遅れであろう、などとくらくらする頭で考えつつも、とりあえず口をゆすいで手を洗ってみる。
水が冷たい。
死ぬほど冷たい。
手のひらで感じた寒気が身体の奥深くに届き、俺は全身を震わせる。
普段ならすぐにおさまるはずのちょっとした寒気が、ずっとおさまらない。
震えで歯が鳴るほどに寒い。
うおお、寒い。寒すぎる。
俺は布団の中に潜り込む。出しっぱなしのコタツも併用し、全力で俺自身を温める。
「さみー、さみー、さみー、マジさみー」
呪文のようなつぶやきは、俺自身の声だ。
それを完全に無意識に口にしていて、あ、これは「うわ言」というやつだな、と俺は思う。
しかし本当に寒い。
身体に力が入らない。
そのとき、唐突な尿意をおぼえ、それが意味することについて俺は恐怖する。
え、おいおい、マジかよ。
暖房の効いていないトイレまで行って、用を足してくるのかよ。
こんなにも寒いのに?
ワンルームの、たかだか二メートルも離れていない距離のトイレにおもむくまでの困難さ、それに至る無力さを思い、俺は深く落胆する。
そうだ、思い出した。
これが風邪だ。
どうして今まで忘れていたんだろう……という疑問は、頭を侵す熱にぼんやりと飲み込まれた。
そうして丸一日ばかり寝こみ、ようやく俺の体調は快方に向かう。
大量の汗で布団のシーツが重く湿っていた。
使い古しているそのシーツは、よく見るとところどころ汚れたり布地が裂けたりしており、ひどくみすぼらしく痛々しい。
買い替えどきだなと思い、駅の近くにあるデパートに行くことにする。
幼いころ、自分にとってのデパートは玩具のフロアがすべてだった。
それ以外のフロアにはいっさい興味はなく、ましてや用事ができることなど微塵も想像しなかったし、できなかった。
俺は玩具のフロアをエスカレーターで素通りし、寝具売り場へと足を運ぶ。
シングルサイズの「毛布カバー(がーぜ)」とラベルされている商品を陳列棚から手に取る。
すぐ近くに、まったく同じサイズ・同じ会社の製品で「毛布カバー(ガーゼ)」という商品があることに気づく。なぜカタカナとひらがなで同じようなものがあるのだろう。
表記の差だけならまだしも、カタカナの「ガーゼ」のほうが「がーぜ」より500円ほど高い。
この価格差はなんなのだ。
カタカナとひらがなでどういう差異があるというのだろう。
俺はどちらを買えばいいのだろう。
数分ほど悩んだ末、けっきょく俺は最初に手にした「がーぜ」のほうを購入した。
もともと「ガーゼ」はドイツ語であり、すなわち外来語だ。日本における言葉の用法として、外来語はカタカナで表記するのが一般的のはずであり、そうであれば「がーぜ」とは「ガーゼ」とは似て非なる謎の織物なのだろうか……。
そんなことを考えつつ「レジ袋削減にご協力ください」と書かれているレジで会計を済ませ、普通にレジ袋をもらい一抹の罪悪感に駆り立てられる。
帰宅するべく俺は下りのエスカレーターに足を乗せ、身体を沈ませていく。
下へ、外界へ。
その途中、子供衣料のフロアを通りすぎる。
来るときには気付かなかったが、大きな広告ポスターが貼り出されており、そこにはこうある。
入学式は第一印象がだいじ
小学生は毎日がだいじ
ちゃんと! 一年生
入学式。
そうか、もう入学の季節が近づいてきているのか。
こんなにも寒いので実感がわきづらいが、春の訪れは遠くない。
そう思ってみると、つかの間、春のそよ風が吹いたような気がして不思議な暖かさを感じたような気がする。
それにしても、小学生か。
もはや自分に小学生時代があったということなど、設定上の話なんじゃないかと思うぐらいに、あまりに遠すぎて現実味がない。
ちゃんと……か。
風邪ごときで弱っている場合ではない。
小学生に負けないよう、俺も「ちゃんと」しなければ。
そんな殊勝な思いを胸にした俺は、広告ポスターの右横に描かれているイラストを目にする。
俺は思わずエスカレーターを転げ落ちそうになる。
誰だ。
いったい誰なのだ、おまえは。
心の中で力いっぱい問いかける。
いや、わかっている。よくよく見れば、ご丁寧にも右横に小さく書いてある。
「ちゃんと先生」
先生――だというのか。
子供の規範となり、その指導にあたる大人であることを意味する「先生」だというのか。この人物が。
そう表記されているからには先生なのだろう。
しかし「ちゃんと先生」とは何事か。
そもそもあなたが一番ちゃんとするべきではないのか。
ランドセルは頭部にかぶるものではないだろう。
そんな奇矯な格好をして、どの口で「第一印象がだいじ」などと言えるのか……。
思わず口をついて出そうになる数々の指摘事項をすんでのところで飲み込み、ひとまず俺は深く息をつく。
深呼吸。
あるいはため息。
ここで俺はうっかり、一言だけ言葉を漏らしてしまう。
「……ちゃんとしよう」
下りエスカレーターのすぐ二段ほど前にいたご婦人が、怪訝そうにふりかえった。
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