吉田戦車さんの「逃避めし」

2011/07/24

 twitterでひっそり吉田戦車さんをフォローしている。
 知り合いでもないのに「さん」付けなど馴れ馴れしいことこの上ないが、情報化もきわまった感のあるこのご時世、なにかの拍子にご本人がここを読むことがあるかもしれない。
 その際、うっかり呼び捨てで表記していていたらお気を悪くされるであろう……そんな配慮が「いやいや自意識過剰だろ」という思いを上回った結果としての「さん」付けである。


 で、氏の最近のツイートにより「逃避めし」なる書籍が発売されているらしいことを知り、さっそく本屋に走る。
 いったいどんな内容の本なのか想像もつかないが、「逃避」という後ろ暗い言葉と「めし」というぞんざいで男臭い言葉のハーモニーが、なんとも言えぬ情緒を醸し出している。

 さんざん探したあげく、紀伊國屋書店の普段まったく訪れることのない「料理」カテゴリの棚にあるのを見つけて購入。
 読了。
 おもしろい。



 一人暮らし時代から連綿とつづく、氏の「自分料理」の記録をつづるエッセイ。
 思っていた以上に本格的な料理から、お手軽料理、キワモノ料理まで、いい意味で節操なくバラエディに富んでいる。さりげなく吉田戦車さんの普段の生活風景やら素朴な思い出が織り交ぜられており、気がつけば氏のことを深く知り、うっかり好きになってしまう狡猾な構成である。

 料理の作り方が詳しく書いているものもあるが、たいていは材料だけ記され曖昧な調理過程しか書かれていないために「よし、この本にある料理を実際につくってみよう」的な本物の実用書としては使いづらいが、むしろそのいい加減さが心地良く、繰り返しになるけれどおもしろい。

 吉田戦車さんには「いい加減なおもしろさ」というものを教えてもらった。
 初めて読んだ氏の作品は「伝染るんです。」だったと思うが、同じ時期にファミ通で連載されていた「はまり道」というゲーム四コマ漫画が大好きで、今もときおり単行本を読み返す。この本にはイラスト入りエッセイ「ニューボンボン」も収録されており、こちらもとてつもなく好きだ。愛読書と言ってもよい。

 当時もうっすら思ったが、今読んでみてあらためて思うのは「なんといういい加減さなのだ」ということ。
 漫画に登場するマリオやルイージはえらく小汚い親父として暑苦しく描かれている上に、ほとんどの場面でなぜか半裸である。(きっと彼らの衣装を描くのが面倒だったのだろう……と勝手に思っている)
 そのほか、あからさまなうろおぼえや聞きかじり、あまつさえゲームタイトルからの連想だけで描いたような話が多数あり、なんというか、もう本当にいい加減である。

 誰にも負けないほどゲームに詳しいわけではない。
 一生かけて愛するほどゲームが好きなわけでもない。
 個人的な名作「やらずにすむゲームはないか」をはじめ、漫画の節々からそんな作者の姿勢がしみじみと伝わってくる。
 ちなみにこのセリフは、同じように三十路を超えた(いい加減な、それなりの)ゲーム好きであれば誰しも深く心に響くと思う。少年の時分は、この心境がまったく理解できなかったものだけれど。

 もしかしたらすべて計算づくで描いているのかもしれないが、吉田戦車さんの作品群から俺は一方的に「おもしろいものというものは、いい加減でテキトーでもオーケーなのだ」ということを学んだ。
 それを知るということはたぶん大事なことだ。
 一般的に重要じゃないこと、誰も顧みない隙間のような部分、生ぬるい場所、力の抜けたところ。そういうものの中に、実はわりと大事なものがあったりする。
 つらいこと、つまらないこと、腹立たしいこと、やりきれないことであっても、ちょっとした工夫でおもしろくなってしまうのだ。
 そういうことを勝手に教えてもらった、ような気がする。

 などといろいろ書いてみたものの、俺は吉田戦車さんの作品を全部読んでいるわけでもなく「逃避めし」にしても発売後に知ったほどのいい加減なファンぶりだが、たぶんそれでもいいのだ。
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