シンデレラたちに花束を

2012/02/25

 電車の中やトイレの個室の中でモバマスをやっていると、いつも俺は世界からの隔絶を感じる。
 なにか大切なもの、大いなるものから切り離されている感覚。
 手の中の小さな携帯端末の画面に映し出されるアイドルたちの世界も、俺とは大きく隔てられている。
 おそらく彼女たちも、なにか別の大事なものから切り離され、閉ざされているのだろう。



 モバゲーから提供されている、アイドルマスターから派生したソーシャルゲーム。
 通称モバマス。
 正式名称は、アイドルマスター シンデレラガールズ。

 シンデレラガールズ。
 遠い昔のお伽話のように、持たざる身から一転して輝かしい栄光を手にする少女たち。
 正しくは、ガラスの靴を与えられる一握りの少女たちと、そうではない少女たちの物語。
 物語と言っても、このゲームにはわかりやすいシナリオ、ストーリーがあるわけではない。
 ただ明確な目的と手段が与えられるのみだ。
 このゲームが示す目的は、究極的にはただひとつ。
 より希少で、より価値の高いアイドルを入手すること、である。



 どうやってアイドルを手に入れるのか。
 まず、オーディションを通じて入手する方法がひとつ。
 これは俗に「ガチャ」と呼ばれ、無料と有料(課金)のものがある。無論、有料のガチャは希少なアイドルが出現しやすい。

 次に、「衣装」を収集し、種類を揃えることで特典のアイドルを入手する方法が挙げられる。
 衣装の基本的な入手方法は、一言で表せば「力づく」である。
 他のプロデューサー(アイマスではプレイヤーのことをこう称する)から奪い取るのだ。
 ガチャで入手し、育成したアイドルたちに隊伍を組ませ、他のプロデューサーにLIVEバトルという名の戦いを挑む。総攻撃力が相手の防御力より勝っていれば、狙った衣装(と、はした金)を強奪することができる。
 モバマスは、いわば衣装という資源を奪い合う果てしない戦争だ。
 LIVEバトルに勝利し、一着の衣装を得て安心していると、知らぬ間に他の者から二着の衣装を奪われている。
 ここは修羅の国か。
 あるいは野盗が跋扈する平安京か――。
 日常的に発生する衣服の奪い合い、その温床となる人心の荒廃ぶりたるや、まさに芥川の「羅生門」そのものである。

 そのありようは、あまりにむごく、寒い。
 心が乾く。



 そんな悪徳の渦巻く世界のただ中にあって、アイドルたちは皆、ひたすらに明るく朗らかだ。
 コンサートやグラビア撮影などのさまざまな仕事をひたむきにこなし、プロデューサーたる俺に信頼を寄せてくる。
 アイドルたちの微笑みが表示された端末の液晶画面。
 それは俺と彼女をつなぐ窓口にして、両者を分け隔てる壁でもある。
 彼女たちの好意が、絶望にも似た隔絶を超えようとする。
 俺はそれに手を伸ばす。自分でもわからない失われたなにか、大事ななにかをかき集めるように。
 LIVEバトルや仕事を経るごとに上昇していく彼女たちの親愛度。それが単なるパラメータに過ぎず、彼女たちの言葉があらかじめ定められた文章のランダム表示だとしても。
 俺はデジタルで制御された彼女たちの言葉や表情、そのひとつひとつを愛おしみ、己の心に刻みつける。
 その必要がある。
 俺には、そうする義務があるのだ。

 なぜなら、彼女たちの虚構など取るに足らない大いなる欺瞞が、俺自身の内に存在するからだ。
 ガチャ、衣装コンプにつづく、もうひとつのアイドル入手方法。
 すなわち、

「親愛度を上限までアップさせたアイドルが一定数に達すると、特典のレアアイドルを入手できる」

 そうだ。
 俺は日々、彼女たちの信頼と友愛を絞り取り、より希少なアイドル入手のための糧としている。
 先にも述べたが、このゲームの目的は徹頭徹尾「アイドルの入手」であり、その手段もまたアイドルである。
 有象無象のアイドルたちを使い捨て、より希少で美しいアイドルを入手する。
 それがこのゲームにおける唯一の理であり、そのためになされる行為はすべて是とされる。
 だから俺が彼女たちに抱く罪悪感はまったくの筋違いであり、否定すべきものだ。
 否定すべきものの、はずだ。



 入手したアイドルをレベルアップさせ、強化する手段もまた、アイドルである。
 システム的には「レッスン」と称される。
 アイドルを強化するためにレッスンを行う場合、必ず「レッスンパートナー」を指定する必要がある。
 レッスンパートナーとなったアイドルは、いなくなってしまう。
 消滅である。
 システム的にはただ「いなくなります」とだけ冷たく表記されており、そのへんの不条理さを説明するものはなにもない。
 親愛度を上げきってしまったアイドル、ガチャで余分に入手したアイドル、そのほか使い道のないアイドルは総じて誰かの「レッスンパートナー」となり、いずこかへと消えていく。まるでレッスンしたアイドルに贄として捧げられるような演出とともに。

 そのような行為を無数に繰り返し、ひたすら繰り返し、繰り返しつづけるのが、このゲームだ。
 シンデレラが御足を通すガラスの靴は、無数の――まさに星の数ほどの「シンデレラのなりそこね」たちで、できている。



 まるで古の呪術師が行う蟲毒のようにアイドルたちをかけ合わせ、精錬していて、ふと思う。

 レッスンパートナーとなった彼女たちは、いったいどこへ行くのだろう?

 それは他愛もない空想であり、感傷だ。
 仕事帰りの電車の中で、あの言葉にしがたい閉塞感を抱きながら、俺は夢想する。
 彼女たちの存在を制御するフラグの、オン/オフのはざま。
 百万人規模のソーシャルゲームが産み落とす深い闇の底、その虚空の果てに。
 他のアイドルの礎となり消費されていった彼女たちが暮らす、安息の地があるのではないかと。

 いつか俺も誰かに消費され、この世界から消え去ったあとに……その地へたどり着くことができるだろうか。
 頭を下げて彼女たちに赦しを乞い、かつて隔絶されていた世界で生じた信頼と友愛に、まっすぐ応えられるときが来るのだろうか。
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