ストライクウィッチーズ劇場版

2012/03/31

 何ヶ月かぶりに休暇を取得できた。
 この時期の平日に休みを取れたら、することはただひとつ。

 ストライクウィッチーズ劇場版を観に行くことしかない。
 観に行くしかない。
 むしろ観に行くっきゃない。
 なぜか心の中で言い直しながら、新宿の角川シネマに摺り足で向かう。

 劇場のロビーで関連グッズなどを眺めて、開演までの時間を過ごす。
 映画パンフレットの見本は、いったいなにがあったのかというぐらいボロボロに擦り切れている。封切り後まだ二週間も経過していないというのに。
 もはやここは戦場なのかもしれない。
 上層部に小言を言われているミーナさんのように、俺はケツを引き締めることにする。


~以下、少しばかりネタバレっぽいものを含むので注意のこと~


 物語は、501部隊の活躍によりある程度の平和が戻った欧州を舞台にして幕を開ける。
 なにやら謎のネウロイが各地に出没し、不穏な気配が漂っている。
 あいつら、またネウロいやがって。
 TV放映時と変わらず、まったくもって許せん奴らである。

 ネウロイを迎え撃つ、各地のウィッチたち。
 すさまじい戦いぶりである。
 すごい。
 すごすぎると言っても過言ではない。
 なにがすごいかって、劇場の大画面で迫ってくるウィッチたちのズポン……その股間の迫力がすげえ。
 これから夜な夜な夢に見るんじゃねえか、というぐらいすげえ。

 もしも俺が下品な中年親父であったなら、観劇中おそらく百回ぐらいは「おおう、あいつら相変わらずいいケツしてやがんな!」と思っていたであろう。
 時にはうっかり口に出してしまっていたかもしれない。

 それほどの、いいケツであった。いいケツをしていた。
 おぼっちゃまくん的に称すれば「いいなけつ」であるのかもしれない。
 そう、あいつら、みんな俺のいいなけつ。
 そう高らかに叫んで、涙を流しながら狂ったように劇場中を練り歩いていたかもしれない。
 俺が下品な中年でなくて、本当によかったと思う。

 ところで、ウィッチたちが空戦を行う際のカメラアングルが、また絶妙なのである。
 TV版のときも顕著だったが、作画だとか原画枚数にお金のかかった劇場版のそれは、また大変なことになっている。
 とにかく予想通りにというか、俺の欲望通り、期待通りにカメラがいい具合にズームしていくのだ。
 なんというか、これはもう、一種のライブである。
 一体感。
 あるいは全能感。
 まるで俺がカメラとなり、視点そのものとなり、いつしか神そのものになり、ウィッチたちの股間を覆うパンツ……いやズボンのしわの描き込み、尻肉のディティールひとつひとつまでをも精細に把握し、愛でることができる。
 むしろ俺の欲望の先をあっさり通り越して、カメラがはるか遠くへ向かっていく感すらある。
 おお、あなたは、どこへ行かれるのか。
 ストライクウィッチーズという作品は、俺たち視聴者の視点や欲望を軽々と飛び越えて、いったい如何なる地平を目指すというのか……。
 そのような不安とも希望ともつかない感情がわきあがってくるのだ。

 それにしてもいいケツであった。

 物語は、魔法力を失っていた宮藤芳佳が奇跡の大復活を遂げ、501部隊が再結集するという熱い展開で幕を閉じる。
 芳佳が魔法力を取り戻した理由は、よくわからない。
 瀕死の重傷を負った折、無線機から仲間たちの声(エール)が聞こえてきたことがきっかけであり、すなわちそれ、宮藤芳佳の勝利を願う仲間たちの魂の叫び。
 そう、男塾である。
 男塾名物・大鐘音のエールである。
 とてつもなく燃える展開ではあるが、なんの理由にもなっていない。

 唯一きちんとした理由を知っていそうな坂本さん(ご丁寧に「こんなこともあろうかと」っぽく芳佳用のストライカーユニットを運んできていた)も、

「あっはっは、それは……仲間たちの力さ!」

 などと相変わらずの根性論全開である。

 ただ、まあ、ぶっちゃけそんな些事などどうでもよくなるぐらい、徹頭徹尾、爽快で痛快な映画であった。
 とにかく宮藤さんがんばった。超がんばった。あとリーネちゃんと性行為寸前ってぐらいイチャイチャしてた。ごちそうさまでした。

 TV版を観ていた人は必見である。
 なんというか、とにかく肩肘張らずに観るといいと思う。
 大画面で、大空を駆けるウィッチたちの臀部を、えぐるようなアングルで思うさま愛でる。
 それだけでも観る意義のある映画だと断言できる。
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