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個人的ゲーム史1

2012/11/02

 いつの間にか三十五歳。
 もしかするともう自分の人生は半分過ぎてるんじゃないか。
 それなのに、まだなにも始まっちゃいないような気がするのはなぜだろう。

 そんなことを考えてしまいがちな夜だから、なんとなくゲームのハードウェアごとの思い出。


■ファミコン
 初めてファミコンとそのゲームを見たのは、小学校一年生だったか二年生だったか。
 たしか友達の家で見たスーパーマリオブラザーズが初めてだったと思う。
 ボタンを押すとテレビの中のヒゲのオヤジがジャンプしたり走ったり、カメを踏んづけたり、キノコを食って巨大化したり。今もってよくわからない世界観だったが、俺は素直に感動した。
 たしかずっと友達の兄貴が遊んでいて、そのときはプレイできなかったように思う。いつの日か好きなだけあのオヤジをコントローラーで操ってやりたい、と強く思った。

 その頃はファミコンを持っている友達の家に、それこそ毎日のように遊びに行っていた。今思うと相当うざかったろうなと思う。

■セガSG-2000
 父親が念願のファミコンを買ってきた、と思いきやセガSG-2000だった。
 ファミコンが売り切れだったから代わりに買ってきたのか、単に間違ったのか、なにか強いこだわりがあったのか今となっては定かではないが、とにかく家でTVゲームが遊べるのでそれほど文句はなかった。
 当時まわりの友達でセガのハードを持っているのはナリタくんだけだった。それがきっかけで仲良くなり、彼の家にもよく行くようになった。
 寒冷地特有の強い暖房によって空気が乾燥しがちなナリタくん家の薄暗い居間で、まるで置物のようなナリタくんの祖母が静かに見守る中、俺たちはひたすらジッピーレースをプレイしていた。

■ファミコンその2
 今度こそ父親がファミコンを買ってくれることになった。
 近所の玩具屋「一番堂」に行くと、欲しかったスーパーマリオは売り切れていた。代わりに、なぜかポートピア連続殺人事件を買ってもらった。
 ほんと、なぜなんだ。

 しかし、これはとても幸せな出会いだった。
 このとき買い与えてもらったゲームがもし別のものだったら、俺という人間はまるで別の人格になっていたのではないか、とすら思う。

 俺は来る日も来る日もヤスを連れて殺人事件の捜査に明け暮れた。
 このゲームにはセーブ機能はおろかパスワード機能すらなかったため、ファミコンの電源を切るたびに捜査状況がリセットされてしまう。しかし子供時代にのみ発揮される無駄な記憶力により、俺は操作を進めるための選択肢をほぼすべて丸暗記していた。
 当時このゲームを遊んでいた者であれば、今でも30分ほどあれば楽に阿弥陀ヶ峰(平田の自殺現場)まで行けるだろう。ただ、地下迷路は少しキツいかもしれない。
 犯人はヤス。
 今となってはもはや常識となった有名な事実ではあるが、当時の俺にはその話を信じられなかった。ヤスは俺のもっとも信頼する部下であり、この困難な事件に共に立ち向かう無二の相棒なのだ。
 とうてい受け入れられない話であった。
 彼自身の服を取ることを三度続けて命じ、その目で動かぬ証拠を確かめたあのときまでは……。


 クラスの人気者ナミオカくんの家で、よくアイスクライマーを遊んだ。
 彼の家はやたら広くてまごうことなき豪邸だったけれど、なぜかファミコンとテレビは台所のようなキッチンっぽい部屋に置いてあったような記憶がある。
 ナミオカママが物憂げに夕飯の支度をしているそばで、俺はナミオカくんと協力しながら氷の山を上へ上へと登っていた。
 アイスクライマーの醍醐味である妨害プレイは、当時とてもじゃないができなかった。


■ファミコンその3
 クラスメイトのキヨシくんの家には、妖しい魅力があった。公営団地の一階にある薄暗い彼(と彼の兄)の部屋には常に最新のファミコンソフトや、見たことのない漫画が乱雑に置かれていた。
 コーエーの三国志を貸してもらって、あまりの難解さ(と処理の遅さ)に投げ出してしまった思い出がある。あのときもっと真剣に遊んでいたら、また違った人生を歩んでいたのかもしれないと思う。

 このあたりから「マンガ道場」という店に出入りするようになる。
 玩具屋「一番堂」の近くにある古本や中古ゲームを扱う店で、恐ろしく狭い店内に陰気な親父がぽつりと座り、いつもなにかのテレビドラマが流れていた。
 ここでゲームの攻略本のほか、中古のミネルバトンサーガやアルゴスの戦士を買ったりした。


 小学校時代のことを書いていて、ふと思い立ってgoogleマップで当時の母校周辺を閲覧してみた。
 あまりの懐かしさに胸がつまる。
 冬の朝、校舎の前にずらっと並んだバスに乗り込みスキー遠足に行った思い出などがよみがえり、過去の濃密なにおいにむせ返りそうになった。
 あのころは通学路が厳密に定められていて、学校には必ず決まった道順で行き帰りしていたなーと思いながら、小学校の頃に住んでいた自宅(借家)を見て、あまりのボロさに愕然とする。

小学生の頃住んでた借家
 なんか汚い板とか立てかけられており廃屋かと見紛うみすぼらしさだが、いちおう二階建てでそれなりに広く、そこそこ快適であった。土地のあり余っている北海道であるから、一軒家とは言え家賃もかなり安かったのだろう。
 しかしこの家、風呂場があまりに汚すぎて害虫(わらじ虫とか毛虫)の温床になっていた。それも今となってはいい思い出ではある。
 が、おかげでちょっとしたトラウマになったらしく、今でも少し風呂場が怖い。
 また、玄関のドアが老朽化しすぎていて、ちょっとした力の加減で簡単に鍵が開いてしまうという、現在では考えられないセキュリティの低さであった。というか、あれから二十年経ってるのにまだ交換されてないっぽい。


 ちなみに、すぐ向かいの家には、クラスメイトの女子イトウさんが住んでいた。
向かいのフカセさん家
 絵に描いたような成功者の家。麗しのマイホームである。
 もちろん窓にボロ板などはまっていない。おそらく風呂場も綺麗であろう。
 あまつさえ、これみよがしにマイカーも完備されている。

 こうして見比べてみるとおそろしいまでの格差だが、当時の俺はとくに疑問を抱いたり、羨んだり引け目を感じたりということもなかったように思う。
 ここでもう少し妬みとか嫉みを養っていれば、もっと上昇志向を持ったギラギラした大人になっていたかもしれない。玉座のようなマホガニー製の机にふんぞり返り、巨大な宝石の付いた指輪をはめ、ぶっとい葉巻をふかしながら血統書付きのシャム猫を撫でていたかもしれない。(部下から良くない報告を聞くと首をへし折る)


 俺の両親、こんなボロ家に住んでるくせにのんきに子供にゲーム機なんぞ買い与えてんじゃないよと思わないでもない。
 それでもゲームを遊べる環境をもたらしてくれたことに、ただひたすら感謝するしかない。
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