売れ残りのクリスマスケーキ

2013/12/27

 クリスマスケーキと話をしたことがあるだろうか。
 信じてはもらえないかもしれないが、俺はある。



 昨年の冬のことだ。
 例年のようにとくになにごともなくクリスマスをやり過ごした俺は、会社帰りにコンビニへ立ち寄ったついでに、半額で叩き売られていたクリスマスケーキを買った。
 それは雪のようなホワイトクリームをベースに小さな苺の切り身が乗っかったホールケーキで、レジのすぐ前で「半額!」のポップとともに雑然と並べられていた。
 クリスマスにはなんの思い入れもないが、ケーキは好きだ。
 大勢で食おうが一人で食おうが、その比類なき甘さは俺に安寧をもたらしてくれる。いやおうなく日常を感じさせるその安っぽい味は常に俺を救ってくれたし、たぶんこれからもずっと救ってくれる。虫歯と肥満に気をつける限りは。



 誰が待つでもないワンルームに帰りついた俺は、コンビニで買った弁当を食ったあと、おもむろにケーキにとりかかることにした。
 透明なプラスチックの外装を取り外したときのことだ。
 いきなり、唐突で場違いにもほどがある祝いの言葉が狭い部屋に響いた。

『メリー・クリスマース!』

 文字通り仰天した。
 あわてて部屋の中を見回す。テレビやオーディオ機器の電源は入っていない。もちろん部屋の中に誰かがいるわけでもない。
『ジングルベールジングルベール、すずが、なるー♪』
 そのどこか調子の外れた甲高い声はまぎれもなく目の前のケーキから聞こえてきた。
 今のケーキは音が出るような仕掛けがしてあるのだろうか。ケーキを持ち上げ、いったいどこから音が出ているのか調べてみる。
『ちょっとちょっとー、もっと丁寧に扱いなさいよ。かたちが崩れちゃうでしょー』
 音声を発するだけではなく、どこかに傾きとかを検知するセンサーまで内蔵しているのか……最新の携帯ゲーム機並だな……と思わず感心していると、さらにケーキの声が響いた。
『あんた、食べる前にきちんと手は洗ったんでしょうね。あと、ロウソク! きちんとロウソクを立てて、楽しくクリスマスの歌を歌ってから食べなさいよ。今日は楽しいクリスマス~♪ってね』

 いや、もうクリスマスはとっくに終わってるんだが……。

 思わず俺がそうつぶやくと、とたんにケーキは静かになった。
 不気味な静けさが訪れた。ケーキはいきなり黙りこんでしまった。まあそれが普通なのだが……それまで異様な騒々しさを発揮していただけに、その沈黙は妙に寒々しく感じられた。



 なんだったのだろう、今のは。
 少し冷静になった俺は考えた。
 独身男性というものは、非モテや童貞をこじらせるとクリスマスケーキの声を聴けるようになるものなのだろうか。そんなの聞いたこともない。そんなしょうもない異能の力、まったくうれしくない。
 俺はただ、なにもかも忘れてひたすら半額のケーキを貪りたいだけなのに。

『……うそでしょ……?』

 いきなりまた声が聞こえて、俺はぎくりとした。
『完全無欠のクリスマスケーキたるこの私が……クリスマスの日に食べられないなんて……しかも家族団らんの中ですらなく、むさいおっさんが一人で食べようとしているなんて……うそなんでしょ?』
 むさいおっさんという、そのあまりにも的確な表現が俺の繊細な心を少なからずえぐった。気分を害した俺は言ってやることにした。クリスマスは昨日で、今日はもう12月26日であることを執拗かつ懇切丁寧に説明してやった。
 ケーキに対してこれほどまでに濃密なコミュニケーションを図った人類は、世間的にあまり多くはいるまい。
『うそ……うそよう……年に一度のクリスマスという特別な日のために、名だたる菓子職人が手間ひまかけて箱入り娘のように大切に大切につくりあげられた……この私が……』
 いやいや、おまえはコンビニで売られていた大量量産品であり、しかも期限切れ寸前で、半額で売られていたのだ。そう冷静に現実を告げると、なんとクリスマスケーキは泣きだしてしまった。



『うえーん……うえーん』
 ケーキに泣かれた男というのも古今あまり類を見ないであろう。
 クリスマスケーキは泣きつづけた。ひたすら泣きつづけた。
『ひっく……うえーん……えーん』
 どこをどうやっているのかわからないが、ケーキはときおりしゃくりあげながら号泣をやめなかった。このままだとケーキがしょっぱくなりそうだな、などと思いつつ俺はなんとかケーキをなだめすかすことに腐心した。
 目の前で誰かが泣いていればどうにかしてやりたくなる。たとえそれがケーキであっても。なんというか、それが男という生き物なのだ。
『うええん……ばかあ……なんで昨日のうちに買ってくれなかったのよう……えーん』
 俺は今まで、この世で一番惨めなものは「クリスマスが過ぎて半額になったクリスマスケーキを買って一人で食う男」だと思っていた。
 だが、間違いだった。
 それより惨めで哀しい存在があることを俺は知った。



 先ほどまでの態度をあらため、俺はなるべくケーキに優しく接してやることにした。
『えーん……ていうか……ケーキ買って一人で食べるとか……キモいよう……えーん』
 おっしゃるとおりである。俺は耐えた。
『えーん、私、不幸……不幸だよう。こんなことなら誰にも買われずに廃棄処分になったほうがマシだったよお……うえええん』
 長らく俺は黙っていた。
『…………』
 やがてケーキは泣きやみ、どことなく俺のほうをちらちらとうかがう気配を見せた。
『……あの……』
 俺は黙っている。
『なんか……あの、怒ってる……?』
 怒ってなどいない、と俺は答えた。
『そう……』
 しばらくの間があったあとに、ぽつりぽつりとケーキは言った。
『さっきは少し、取り乱しちゃって……ごめんなさい。買ってもらえただけ、よかったよね。廃棄になった子たちもたくさんいたんだろうし』
 驚いたことに、そこでケーキは深々とため息をついた。
『私、なに高望みしちゃってたんだろう。ほんと……馬鹿みたい』
 そんなに自分を卑下するな、と俺は言った。
『なによ。キモいおっさんからそんな慰めを聞いてもキモいだけなんですけど。どうせ、どのクリスマスケーキでも良かったんでしょ? そもそもクリスマスケーキである必要もなかったんでしょ! 私よりも十円でも安いケーキがあったらそっちを買ってたんでしょっ?』
 逆上したクリスマスケーキの罵倒の言葉を、俺はただじっと聞いていた。
 クリスマスが終わったあとの晩に、クリスマスケーキから罵られる。
 ひどく奇妙な夜だと俺は思った。



『なんとか言いなさいよ』
――実はちょっと勘違いをしていたんだ。
 意を決して俺はそう言った。
『勘違いって……なんのことよ』
 俺は頭をかき、ケーキからほんの少し目を逸らしながら言った。
 うっかり日付を勘違いしていた。
 間違いだった。
 今日は二十六日なんかじゃない。つまり二十五日だ。クリスマスなんだよ、今日が。
 次第に矢継ぎ早になる俺のうそくさい言葉を――というか混じりっけなしの虚偽そのものの言葉を――クリスマスケーキは複雑な面持ちで聞いていた(ように見えた)
 さすがにこれは苦しかったか……と思いつつも、俺はなかばやけっぱちな気分になり、うろおぼえのクリスマスソングをがなりたてた。

 ジングルベル。
 ジングルベル。
 鈴が鳴る……。

『今日は楽しい、クリスマス……』

 俺のへたくそな歌に、ケーキが控えめに唱和した。
 ぷっ、くすくす……と、耐えかねたようにケーキが小さく吹き出す。
『ふふふ……やっぱり、そうよね。今日はクリスマス……私はこの日のために生まれたんだもの!』
 ああ、そうだ、と大きくうなずいてやる。
 するとクリスマスケーキは、嬉しげに笑い声をあげた。



 それからクリスマスケーキはずっと上機嫌にさまざまなクリスマスソングを歌った。
 俺はケーキに付属していたロウソクに火を灯し、慎重にケーキの上に飾りつけた。
 部屋を暗くしてみると、ほのかな橙色に彩られたケーキが、まるでこの世の主役のように輝いていた。
 それはなんとも幻想的な光景で、俺は素直に美しいと感じた。そうして、長らく忘れていた気持ちが胸の底からわきあがってくるのを感じた。
 くすぐったいような、甘ったるくて酸っぱいような、おかしな気分だった。

『……泣いているの?』

 俺は黙っていた。口を開くとそのことがばれてしまうからだ。
 しばらくの間、ケーキは小さくアヴェ・マリアをハミングしていた。
 小さなロウソクが照らし出すちっぽけな世界の隅々まで、それは子守唄のように響き、このうえなく優しく俺の耳朶を震わせた。
 やがて歌が終わり、ケーキは俺に問う。
『ねえ、いつ私を食べてくれるの?』
 俺は黙っている。
『ねえ』
 俺はやっとのことで口を開く。
 もったいなくて食べられない。
『えー、なにそれ』
 クリスマスが終わるまでにはきっと食べるよ、と俺は約束する。
『……ううん、いいよ。あんたが食べたいときに食べて。クリスマスケーキである前に、私は一個のケーキだもん。あんた、ケーキは好き?』
 大好きだよ、と俺は答える。
『そっか』
 そうしてケーキはまたしばらくハミングをつづけた。
 俺はそうやって輝きながら歌うクリスマスケーキを、ずっと見つめていた。

 やがて、短くなったロウソクからゆっくりと光が消えた。
 同時に、かぼそい歌声も途絶えた。
 部屋の中の唯一の明かりがなくなり、ちっぽけな闇と、俺と、俺の孤独だけが残された。
 それっきり、もうクリスマスケーキは言葉を発することはなかった。



 それが、昨年の冬のことだ。一年前の話。

 仕事を終え、珍しく寄り道をせずに帰った俺は、一年間ずっと冷凍庫に入れてあったクリスマスケーキをそっと取り出した。
 今日は十二月二十五日。
 正真正銘、まごうことなきクリスマスの日だった。
 氷づけになっていたケーキが解凍されるまで、俺はじっと待ちつづけた。
 やがて、あの日のようにロウソクを綺麗に飾ってやり、俺はその言葉を口にする。
 メリークリスマス。
 すると、

『……メリー、クリスマス』

 思ったよりもひかえめで恥ずかしげな声が聞こえた。
関連記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://randamhexa.blog5.fc2.com/tb.php/497-b877c348
この記事へのトラックバック


RECENT ENTRY