お墓参り

2014/03/31

 先日、友人たち数人と伊藤計劃さんのお墓参りをしてきた。

 千葉県内のとある場所にある霊園はおそろしく広々としていた。
 見渡す限り一面に墓石が並び、やたら天気はよく、人はまばらだった。
 霊園はいくつもの区画に分かれており、とにかく広大だった。
 中心地にある墓の一群はひときわ目立つ美しい石材で作られ、周囲は豪華に飾られており、俺の実家などよりもよほど住み心地が良さそうだった。あるいは気軽に墓などと呼んではいけないのかもしれなかった。

 伊藤さんを除きこれまで身近で死んだ者もなく、親戚づきあいもない俺にとって、実はこれが初めてのお墓参りだった。そのため、正直なところお墓参りにおいてやるべきことがよくわかっていなかった。俺の中でお墓参りといえば「ほら、お前が好きだった酒だぜ」などと言いながら一升瓶の中身を墓石に注ぎかけるようなイメージぐらいしかない。

 周囲の情報を総合すると、とりあえず墓石を綺麗にしてみたり花や線香を供えてみたりするのが定番だという。
 そういえば墓石を洗うための桶や柄杓はどうするのだろう、マイ桶とかを用意する必要があるのか?……と思っていたら普通に備え付けのものがあった。

 やたら親切な管理人の老人に案内された伊藤さん家のお墓は、お墓以上でもお墓以下でもなく、当然ながらお墓以外のなにものでもなかった。
 綺麗に磨かれた石に彫られた伊藤さんの戒名には、きちんと「計劃」の字が入っていた。

 皆、思い思いに供え物をしたり、手を合わせたりした。
 俺は伊藤さん著のMGS小説本を持ってきて、少し前に小島監督にもサインしてもらったよと報告した。最近メタルギアシリーズの新作が出ましたよ、とも。

mgs_sign

 なんとなく本のページをめくってみると、物語の冒頭には「ある墓の話をしよう。」と書いてあった。

 他の者も「仕事を辞めたよ」だの「あの漫画が完結したよ」だの「虐殺器官とハーモニーが劇場映画化だってさ」だのと、重要かどうかよくわからないことをそれぞれ口に出して報告していた。重要かどうかは、たぶんここでは重要ではないのだろう。

「伊藤さんの年齢になるまでに、なにかをやり遂げます」
 というようなことを誰かが言った。「やり遂げたい」だったかもしれないが、まったく同感だった。
 でも、考えてみれば俺はもう伊藤さんの年齢を追い越してしまった。
 たいしてがんばっていないし、これからもたいしたことはできないかもしれない。お墓を前にしてそんなちっぽけな自分が浮き彫りになったような気がした。
 それでもいいのかもしれないし、それではいけないのかもしれない。わからないが、お墓はなにも答えてくれないことだけは確かだった。

 その後、墓前で記念撮影をした。
 快晴だったが風が強く、スマホを付近に立てかけて集合写真を撮影するのにえらく難儀した。
 なんとか伊藤さんのお墓を中心に据えようとして位置取りを試行錯誤したが、どうしてもフレームの中は生者たちの顔でひしめいてしまい、なにが主役なのかわからない写真になっていた。
 お墓参りというものは、とにかくそういうものなのかもしれない。
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