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狩りせよ乙女

2015/12/16



「あのね文江ちゃん、お願いがあるの」
 その話を切り出したのり子の表情は、たいていほわほわーっとしている彼女にしては珍しく、妙に引き締まっていたのをおぼえている。
「あたしね、ノモンハンをおぼえたいの!」
 なにをいっているのかわからねーと思うだろうが、もちろん私にもわけがわからなかった。
 自転車通学の女子生徒が、徒歩の私たちを軽快に追い抜いていく。
 小さなベルの音をのせた放課後の風が、私たちのスカートを小さく揺らす。
 世界中のあらゆるものを吸い込んだような色をした太陽が、空の向こうへ落ちていく。
 そんな下校時間の夕焼けがのり子の眼鏡に反射している。黙っていれば知的といえなくもない顔立ちなのだが、この娘は口を開くたびに私を不思議な世界へいざなうのだった。
「ええと……ノモンハン事件のこと?」
「うん、なんかねえ最近、男子の間ではやってるんだって」
 一九三五年に発生した満州・モンゴル間の国境紛争事件が、なぜ、今。
 ウチの男子どもってそんなに歴史好きだったかしら……。
「お昼休みに集まってこっそりやってるじゃない。あれ、通信対戦?っていうんだっけ。『ノモンハンで狩ろうぜー』って」
「あー、モンハンね。PSPの」
「そうそう、それそれ」
 私はようやく合点がいく。
 モンスターハンター、略してモンハン。プレイヤーはハンターとなって様々な依頼を受け、モンスターを倒したりアイテムを採集したりするゲームだ。多人数での協力プレイが楽しいらしい。
 ちなみにPSPってのは携帯ゲーム機のこと。たしか弟の奴が持ってたな……。
「あれ、あたしにもできないかなーって」
「いや……あんたには無理じゃないかなあ」
 私の中で、のり子の不器用さはちょっとしたレジェンドだ。ゲームに関していえば、テトリスでほとんど列を消せずにブロックを積み上げ、スーパーマリオで最初のクリボーに当たって死ぬようなレベル。十字キーの斜め方向をうまく入力できず、二個以上のボタンを使い分けることのできない……そういう残念な娘なのだ。
「えー、だめかなあ」
 眼鏡の奥、のり子の瞳が潤んでいる。意識的にやっているのではないだろうが、私はこの眼に弱い。
「わかったわかった。今度ゲーム機持ってきてあげるから、いっしょに練習しよ」
「ほんと?」
 ありがとう文江ちゃん、と笑顔になるのり子。私もつられて笑ってしまう。
 ちょうどいつもの交差点で、私たちは別れる。
 それにしても、なぜ突然モンハン?
 のり子に手を振りながら、そのことを聞きそびれたことに私は気づく。



「そういうわけだから、おとなしくあんたのPSPとモンハン一式、差し出しなさい」
 私が(心の中で)頭を下げてお願いすると、わが愛する弟は麗しい姉弟愛をみなぎらせながらこういった。
「ふざけんな」
 姉の清らかな願いをにべもなく一蹴する弟に対して、温厚な私はできるだけ穏便にことを済まそうと誠実な懇願をつづける。
「このクソガキ、人が下手に出てりゃいい気になりおって。オラいいから黙って出すもん出しなさいよ」
「生まれてこのかた、俺はいっぺんたりとも姉ちゃんが下手に出るのを見たおぼえがないんだが……そもそも『そういうわけ』ってどんなわけだよ? なにも説明されてねえぞ」
 私としたことが、話の進行を焦るあまりすべての説明を端折っていたらしい。あらためて弟に事情を説明する。まあ、一言で済むんだけど。
「実は、のり子の頼みなのよ」
「なにッ……川村先輩の!」
 愚弟の顔色が変わる。
 この青春ボーイは、ときおり家に遊びにくる姉の友人に対して淡い憧れを抱いているのだ。その甘酸っぱい感情に訴えかければ、たいていのことは引き受けざるを得ないのである。
「……わかった。ほら、持ってけ」
 若きゲーオタであるところの弟にとって、愛用のゲーム機を手放すということは己の半身をもぎ取られるに等しいことなのだろう。固く拳を握りしめ、ついぞ見たことのないような苦渋に満ちた表情を浮かべている。
 ふふ……いつの間にか男の顔になったもんね。私はPSP本体とソフト一式を受け取りながら、優しく弟に声をかける。
「私とのり子の二人でやるんだから、もう一組用意してよね」
「くっ……友達に頼んで借りてくる」
 よろしくね、とうなだれる弟の背を軽く叩く。弟はふと顔をあげて、
「……でも川村先輩、なんで急にモンハンなんて?」
「そうねえ……実はああ見えて、意外に狩猟意欲が旺盛だったのかもね」
「狩猟、意欲……? 川村先輩が……」
 わが愛する弟は複雑な心境なのだろう、いつにもまして変な顔をしている。捨ておいて、私はさっさとお風呂に入ることにする。



 図書室の隅っこにある第二準備室は、私とのり子だけの秘密の空間だ。
 なにげに図書副委員長などという役職に就いているのり子は、普段は倉庫代わりに使われているこの部屋の鍵を預けられている。
 モンハンやるなら近所のマックとかでもよかろうとは思うが、のり子は騒がしい場所や人ごみが苦手なのだ。そういうわけで勉強をするふりをして図書室にやってくる私たち。
 いちおう誰にも見とがめられないように注意して、第二準備室の扉を開け、素早く滑りこむように入る。
 以前に何度か入ったことはあるけど、これから校則に反すること(単なるゲームだけど)をするためだろうか、なにかが違う。うむ、えらくどきどきする。
 そう思っていたら、のり子も同じだったらしく、
「なんだか、どきどきするね文江ちゃん」
 などと声をひそめてぎこちなく笑うので、私は思わず吹き出してしまう。
 古い本の匂いがする準備室に、二人のくすくす笑いが小さく響く。



 私たちは協力して、本の詰まったダンボール箱をソファーのように積み上げる。そこに並んで腰を下ろし、PSPを触ったことのないのり子に電源の入れ方からレクチャーする。
「えっ、あれっ、電源入らないよ。あ、あたし壊しちゃった?」
「のり子、長押し長押し」
 万事こんな調子だ。
「ぜんぜん壊しちゃってもいいよ。それ、どーせ弟のだし」
「あ、そっか。弟くんがわざわざ貸してくれたんだよね。今度きちんとお礼しにいくね」
 弟が聞いたら泣いて喜びそうな言葉だが……それにしてもいまだに「弟くん」どまりの彼に、私は心の中で合掌する。弟よ、君の行く道は果てしなく遠い。
 などと考えている間になんとかPSPの電源が入り、ゲームが始まる。
「わー、これがマンハンなんだねー」
「いや『モン』ハンだから。マンハンは日本でおおっぴらに発売できないからね」
「すごーい、絵が立体的だー。ポリゴンだねー」
「あんた、いつの時代の人なのよ……」

 ハンターのキャラメイク、使用する武器選び。のり子は楽しそうだ。
 ふと、私は思い出す。
「ところでさあ、のり子。どうして急にモンハンやりたいなんていいだしたの?」
 ぴたりと動きを止め、うつむくのり子。
「え、ええっと、ね」
「うん」
「ええと、ね」
「うん」
 のり子の顔が真っ赤だ。おさげ髪の間に見える首すじまで見事に赤くなっている。
 やがて消え入りそうな声で、のり子はその想いを口にする。
「高橋くんと、遊びたい、から……」
「えっ、タカハシ?」
 のり子は小さくうなずく。
 高橋。高橋って、あの高橋かー。
 のり子の斜め前の席に座ってて、クラスではあんまり目立たない男子だけど、まあ良くいえば控えめで悪い奴ではないと思う。しかし……ちょっと、いや、かなりびっくりした。
 のり子が、高橋のことをねえ……意外なような……いや、けっこうお似合いのような……でも、うーん。
 とりあえず私は気まずい沈黙を紛らわすために話の穂を継ぐ。
「そうか高橋かあ……ちなみになんで高橋? どこがいいの?」
 などと愚問を発してしまうが、のり子は恥じらいながら「……楽しそうなところ」と、ちょっぴり嬉しそうに答える。
 あらためて思うんだけど、かわいいなあこの娘は!



 帰宅すると弟が待っていた。
「ほら姉ちゃん、借りてきてやったぞPSP一式。かなり苦労したんだぜ、いっとくけど」
「えっ、ああ……」
 放課後の「高橋くん好き好き事件」の衝撃ですっかり忘れていた。「ありがとね」とりあえず受け取っておく。
「な、なあ。川村先輩、俺のこと……なんかいってたか?」
 私は思わず弟の顔をまじまじと見つめてしまう。
「……あんたって、とんだピエロよね……」
 さすがに、ちょっと笑いを通り越して泣けてくる。
「は? ピエロってなんだよ」
「いやいや、こっちの話……そうそう、のり子すごく喜んでたわよ。今度ぜひお礼をしたいって」
「ま、マジで? よっしゃー!」
 予期していたとおり無邪気に小躍りする悲しき道化。もう見ていられない。
「だいじょうぶなのかしらこいつ……こうやってゆくゆくはミツグくんってやつになっちゃうのかしら……」
 私の独白を聞きとがめた弟が口をとがらせる。
「誰がミツグくんだよ。むしろそんな死語をさらっと使う姉ちゃんの感性が心配だよ俺は。あと、PSPは単に貸しただけだからな。きっちり返してもらうから」
「はいはい。わかってるわよ」
「あ、ああーっ!」
 いきなりなんの前触れもなく絶叫する愚弟。
 まさか、気付いてしまったというのだろうか。自らが置かれた境遇の厳しさ、そして哀しさに。
 大いなる天啓を受けたかのごとく目を見開き微動だにしない弟に、私はおそるおそる声をかける。
「な、なに、どうしたのよ」
「……今さら気づいたけど、俺のPSPを川村先輩に貸した……ってことは俺が使っていたPSPを川村先輩が……川村先輩の指が……! うおおッ、もう俺は一生あのPSPを洗わねえぜ! ひゃっほう!」
 おまえはゲーム機を洗う習慣があるのか。
「いや、のり子のことだから、きちんと綺麗に掃除して返すと思うけど」
「なんてことだ……ちくしょう!」
 数秒前まで「ひゃっほう」などという典型的な浮かれ台詞を吐いていたとは思えぬほどに落ち込む弟。床にひれ伏し、地に拳を打ち付けている。
 いつまでも見苦しくのたくる彼をその場に残して、私はさっさとお風呂へ向かう。



「のり子、そいつ攻撃して攻撃」
「えっ、だってこの子、攻撃してこないよ? きっといいモンスターだよ」
 あの日以来、放課後のモンハン特訓はつづいている。
「いいモンスターは死んだモンスターだけよ! 早く攻撃!」
「わ、わかった。えい、えいっ」
 ぎこちなく握ったPSPのボタンをぺしぺしと押すのり子を横目に見ながら、私は自然に頬がゆるむのを感じる。
「やった、やっつけたよ文江ちゃん!」
「はいはい、とっとと素材剥ぎ取って」
「わかった!」
 沈黙。
「……どうした、のり子よ」
「……剥ぎ取りってどのボタンだっけ」
 とまあ、そんな感じだ。だいぶ進歩したような気もするが、男子と一緒に飛竜を狩るようなプレイにはほど遠い。老婆心ながら私がそう指摘すると、のり子は「むー」と口をとがらせた。
「うーん、でも雪山草を集めるのはかなり自信ついたよ。なんかこう、まさにハンター!って感じだよね」
「いや、そのハンター観はどうかと思うけど……少なくとも高橋と肩を並べて狩りをするのはまだまだ無理ね」
「じゃあせめて、高橋くんの代わりにたくさん雪山草を集めておくとか」
「それは……なんかちょっと違うような……」
 むむー、と考え込むのり子。眉毛と口元が「へ」の字になっている。
 なにをするにも一生懸命なのり子。
 思わず愛おしくなり、私はその小さい肩を優しく叩いてやる。
「ほら、まずは一番簡単な狩りのクエストからやってみよ。私も手伝うからさ」



 いつの日か。
 そう、いつの日か、のり子は持ち前のがんばりで一流のハンターになってしまうのかもしれない。そして彼女の願いどおり、高橋と一緒に楽しくモンハンに興じる日が訪れるのかもしれない。
 というか、高橋のことが好きならモンハンとか抜きにして普通に告白したほうが簡単なような気がする。のり子は――生来のどんくささゆえに自分ではさっぱり気がついていないが――かなり男子に人気がある。
「あっ、やった初めて『こんがり肉』できたよー。これ楽しいねえ」
 でもまあいいか、と私は思う。
 小さな窓からは、いつもの夕焼けが淡く差し込んでいる。世界中のなにもかもを引き受けながら静かに溶けていく太陽。その光は四角いガラスを透過して、ひどく優しげな色彩だけが私たちの制服に届いている。
 そんないつもの夕暮れどきに、二人だけの図書準備室で、膝を並べて同じゲームで遊ぶ。
 遠くで下校を促すチャイムの音が聞こえるけれど。

「うん、楽しいね、のり子」

 この時間が、もう少しだけつづいてもいい。
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